interlude-1

「……なんだと」

 バゼット・フラガ・マクミレッツは苦虫を噛み殺したような表情で忌々しげに呟いた。
 続いて己の左手の甲を親の仇を見るような鋭い目つきで睨みつけ、入れ墨のような紋様――聖杯戦争に参加するマスターの証であり、サーヴァントに対する三つの絶対命令権である令呪が消えて行くのを見届け、完全にそれが消え去るのと同時、その左手をブロック塀に思い切り打ちつけた。

「ランサー……、君が、セイバーさえ退けた君が負けたというのか……っ!」

 魔力が込められていたのだろう。手の骨ではなくブロック塀の方が派手な音をあげて砕け散る。
 バゼットの令呪が消えたその瞬間、それはライダーが魔眼を開放し、ランサーが石化したその時であった。
 ――そう、聖杯戦争に参加する七騎のサーヴァントのうちが一騎、槍の騎士、サーヴァント。ランサーのマスターは彼女である。
 魔術協会から聖杯戦争に参加するため選抜、派遣された彼女は、魔術師としてもマスターとしても一流で、ルーン石で出来たピアスを触媒に呼び出したサーヴァント――アイルランドの光の御子、ケルトの大英雄クーフーリンもまた超一流であった。
 先刻はその力を存分に発揮し、この地の管理者遠坂凛と、彼女が駆るサーヴァント――最優と謡われるセイバーを仕留める、とはいかないものの、ランサーの持つ宝具――刺し穿つ死棘の槍≪ゲイ・ボルグ≫――を使い、深手を負わせて退けたところである。
 ところが、そこで順風満帆、最高のスタートを切ったと思われる彼女とランサーとの聖杯戦争に一つの邪魔が入った。一般人の目撃者、偶然に戦場である校庭を通りかかり、その戦闘を目撃してしまった衛宮士郎である。
 彼は直ぐに逃げた――その時は別に逃しても構わないと思った、見られたのはセイバーを撃退した後、槍をしまうランサーの姿だけだった。それだけなら普通の人間には何も判るまい。バゼットもランサーも要らぬ殺生は好まない――が、士郎が強化の魔術を使って逃げた、魔術師に見られたとなっては話は別だ。
 彼女はすぐさまランサーに追って殺すように命令し、自分は離れた、見晴らしの良い交差点で待機していて――現在のこのザマだ。

「……住宅街の奥、大きい武家屋敷」

 バゼットは金の短髪に飛び掛かった破片を苛立たしげな動作で右手払いのけ、怨嗟の声を搾り出した。
 ランサーとの最後の念話は「宝具を使う」だった。ということは、そのとき彼が戦っていた相手はサーヴァントで、あの少年もマスターだったということだ。しかもそのサーヴァンとは、最速であるランサーに逃げる宝具を使わせる暇も、暇も与えずに殺す、という芸当をやらかしたとんでもない相手。

「無謀だ、無謀極まりない」

 だがそれがなんだ、とバゼットは吐き捨てた。
 このまま教会――あの男の所に逃げ込む事が別段嫌だという訳ではない。いや、正直なところ嫌だった。まだ開始が宣言すらされていない此度の聖杯戦争の最初の脱落者だと彼が知ったらどう思う、どんな顔をするだろうか。歪んだ彼の事だ、自分に遠慮の欠片も見せずに喜び、愉しみ、哂うだろう。
 そんなのは嫌だ、それこそ、このままその屋敷に攻め入って敵のサーヴァントに縊り殺されるよりも。

「ランサー、私は戦う、どうか見守っていてくれ」

 魔術にも格闘にも、驕りではない確かな自信とまわりの評価がある。
 代行者の銘は伊達では無い。たとえランサーの後を追う――厳密には彼は死んだのではないが――ことになっても、せめて一矢、いや、一死報いてやる。
 あの時あの少年から感じた魔力は微々たるものだった。厄介なのは強力なサーヴァントだけ。

「……行くぞ」

 そしてバゼットが全身に魔力を張り巡らし、住宅街を駆けようと脚に力を込めた、その瞬間。


「――――ねぇ、あなたってマスターでしょ」


 ――目的地からは逆の坂の上、そこからぞっとするような、怖ろしく冷たい声が響いた。


「チ――――」

 ……しまった、別のマスターか。小さく舌打ちし、振り返るバゼット。
 彼女が視線を遣ったその先、爛々と輝く月を背景にバゼットを見下ろすように佇む声の主は、まだ年端も往かない銀の髪をした小さな少女であった。

「……そういう貴様もマスターだな」

 張り巡らした魔力をそのままに、油断無く酷く大人びた、悪戯めいた微笑を湛える少女をはっきりと見据える。
 こと魔術師を外見で判断してはならない。この少女から感じる魔力は、遠坂の末代や自分のそれに匹敵――いや、信じられない事に上回っていた。となれば、今は霊体になっているのか姿は見えないが、この少女が駆るサーヴァントもまた強力であろう。ランサーが居ない今、果たして勝つ――馬鹿な、この相手では逃げ切れるかどうかさえ判らない。

「……えぇ、私の名前は――――って、あれ? 貴方、女だったの」

 少女が言葉を区切り目を丸くする。
 今のバゼットの格好は上下共に男物のスーツ。しかも鍛えていて体格がよく、短髪の彼女は、夜、遠目から見ると男にも見えなくはない。だが彼女は確かに女性である。男装の麗人、といったところだろうか。

「……まぁそんなことどうでっていいわ、だって貴方はここで死ぬんだもん」

 何が嬉しいのか、少女が歌うようにそう言うと同時、辺りが濃密な殺気に包まれる。
 それが少女から発せられるモノにしては禍々し過ぎる、と直感的に察知してバゼットは身構える。

(……くそ、サーヴァントは隠れているのか……!)

 この殺気はサーヴァントから発せられるものだ。姿を見せないということは、相手はアーチャーか、キャスターか、はたまたアサシンか。そのどれにしろ、相手が白兵戦型のサーヴァントで無い、という事はバゼットにとっては絶望的だ。視認できない速度で飛んでくる矢や、自分では到底防ぎようのない大魔術、気配さ
え感じさえ無い暗殺。

「……なんだ、貴方のサーヴァントはもうやられちゃったんだ。……つまんないの」

 少女は身構えたまま何もしない――実際は出来ないバゼットを見つめ、本当に心底詰まらない、といった風に口を尖らせた。
 そんな少女を見遣りながら、緊張を最高度に保ってバゼットは考える。
 このままでは確実にやられるだろう。あの少年に恨み言の一つもぶつけてやれないままだ。

「あーあ。貴方なんか無視して直接お兄ちゃんの所へ行けばよかったなぁ」

 これ見よがしに小さな肩を竦めて見せる少女。

 ――事を起すのなら少女が意味の無い御喋りをしていれくれている今か。

 バゼットが脚と魔術刻印に力を込めた。

 ……自分の能力は知り尽くしている。この距離なら二息。
 少年を殺す事も、ここから逃げることも出来ないのならば道は無理矢理切り開くしかない。体つきた仕草や動作から見るにこの少女は対術に関しては素人だ。いや、そんなことはどうでもいい。
 大事なのは自分自身の気の持ちようだ。ランサーがやられて自分は少々参っている節がある。そこにこんな出鱈目な魔力を持った魔術師だ。思考が暗い方向に行くのも無理は無い。

 ――アイツが私を見て哂っている。

 きっとそうだ。こんな状況になった私を見て愉しそうに哂っているに違いない。
 私がここで殺されると思って、確信して哂っているに違いない。

 ――だが、そんなものは幻想だ。

 私は代行者だ。私は選ばれたマスターだ。遠坂の末代にもひけをとらぬ一流の魔術師だ。
 私はランサーと共に戦い、セイバーを退けたマスターだ。
 そんな私がこんなところで死んでなるものか。
 だから見ていろ、言峰。だから待っていろ、名も知らぬ少年。だから見守っていてくれ、ランサー。
 私は全力で戦い、あわよくばこの少女から令呪を奪い、今一度マスターとして聖杯戦争に復帰――いや、まだ脱落などしていない――!

 バゼットが左手を握り締める。
 そして地を蹴り、少女に飛び掛ろうとして――――

「もういいや、やっちゃえ」

 ――少女がそう謡うように宣言するのと同時、

「――――! うぁ……っ!」

 バゼットは突如目の前に現れた鉛色の巨人に身体を掴み上げられた。
 そのまま怖ろしいまでの怪力で握り締められる。

「っ……!」

 バゼットの顔が苦痛に歪む。
 腹をとても人間のものとは思えない太い指で圧迫され、骨が軋みをあげる。
 筋肉が無理やり断裂させられ、ぐちゃ、という音とともに、内臓のどれかが破裂した。

「かふっ……」

 思わず咳き込み、血塊を吐き散らす。その反動で肋骨にびきり、と幾つも罅が入る。
 常人なら失神、いや、瀕死に臥しかねないほどの激痛と重症。
 このままでは握りつぶされる、と引き剥がそうとして、しかし瞬時に諦める。

「っあ……」

 人智を超える、とはこういった力のことを言うのだろう。
 身体と同じく鉛色の指は、一本一本が細めの丸太のように太く鋼鉄のように固い。
 その指や掌から繰り出される圧力は、人間が抵抗できるレベルを遥かに超えている。

 ――腕力で無理ならば、魔力で対抗するまで……!

 バゼットはそれならば、と全身に巡らせていた魔力を自由な右手に集結させ、その右手で、右耳につけているピアスを強引に引きちぎる。
 そして火花が散り、白く霞がかった視界。己を掴みあげる腕の手首にそのピアスを投げつけ、ただ全力でスペルを叫んだ。

「―――F i r s t. flame.Sonic……!」

 永い詠唱は不可能。
 されど、僅か数節の火炎砲撃の魔術に篭められた魔力は、一流の名に恥じぬ大容量。
 魔力の篭められていたピアスは爆炎を吹き上げながら、轟炎を纏って炸裂する。
 凄まじい轟音が轟いた。爆風を真正面から受け止めたバゼットの視界が白い煙に包まれる。

「…………っ」

 確かな手ごたえにバゼットは血に濡れた口の端を僅かに吊り上げた。
 いくら相手がサーヴァントであろうと、この至近距離で、尚且つ手首という脆い部分にBランクに該当する威力を持った魔力弾を受けて無傷である筈が無い。
 流石に吹き飛ばすまでとはいかなくも、この衝撃で握り締める力が緩んだ隙に脱出出来るだろう。
 そう考え、バゼットは巨人の掌から己の身体を引き抜こうと力を篭め、

「――――!?」

 腸を抉るように深く食い込んだままぴくり、ともしない巨人の指と、

「くっ――あっ……!!!」

 その指に篭められた更なる圧力に耐えかね、悲鳴を上げた。

 煙が晴れる。
 何故だ、という疑問と、激痛に朦朧とする意識の中、己を掴みあげた鉛色の巨人の姿がバゼットの視界に飛び込んでくる。

「――――」

 そこにあったのは、まるでギリシャ彫刻を思わせるかのような見事な体躯をした巨人。
 無駄など一切ない引き締まった体の上に、幾重にも幾重にも筋肉の鎧が重ねられ、鉛色のそれは重厚な鎧を思わせた。

「――――中々見事な魔術だった。相手が私でなければ悪あがき程度にはなっただろう」

 巨人が口を開く。低く、渋く、重みのある声。
 バゼットは己の魔術がまったく効いていなかったことよりも、ただ、己に向けられる暴力とは裏腹に、どこまでも澄んだ巨人の目を見て――その余りの神聖さに、言葉を失った。

「アーチャー、おしゃべりなんかしてないで早く殺しなさい」

 少女が苛立たしげに自らのサーヴァント――アーチャーに命令を下す。
 アーチャーと呼ばれた巨人は「承知した」と小さく呟き、主の命令に応えるべく更に掌に力を篭める。

「――――があ、あっ……!!」

 固い音をたてて骨が砕かれる。柔らかい音をたてて内臓が潰される。
 口から溢れんばかりの鮮血を迸らせながら、バゼットは出鱈目だ、心の中で吐き捨てた。
 アーチャー、アーチャーなら弓兵、弓で攻撃する、後方からの遠距離攻撃が普通なのではないか。
 自分もそれを警戒した故にその攻撃を受ける前にマスターを仕留めんと飛び込んだのだ。
 なのに今自分を握りつぶそうとしているサーヴァントはなんだ。
二メートルを超える巨体や、人間の身体を握力だけで粉砕せんとする怪力。それに弓さえ持っていない。
 この不思議な神聖さがなければ、少女がその名を呼ぶまで、きっと自分はこのサーヴァントの事をバーサーカーだと判断したに違いない。

「―――――」

 アーチャーらしからぬアーチャーは、無言でぎりぎりと力を篭めていく。
 その恐るべき怪力を持ってすれば、バゼットの身体など一瞬で肉塊に変えられるだろう。
 なのにそうしないのは、主を襲おうとした者への怒り、苦しんで死ね、という意思の現われか。

 ――と、ふいにその力が緩められた。

「っは――――、はぁ、ぁ……!」

 その瞬間を逃すまいとバゼットが大きく呼吸する。
 締め上げられた肺には一欠けらの酸素も残っていなかった。
全身に新たなエネルギーが巡り、新たな痛みを返してくるが、それはまだ生きている、という証拠。

「メイガス、貴様は運が良い」

 アーチャーが己の手の中で血を吐きながら息をするバゼットに向けて呟いた。

「は―――、ぁ……?」

 何の事だ。とバゼットが顔を上げる。
こんな目に遭った私以上にツキに見放されたマスターなど居ない。自分でそう思い、忌々しいことに納得してしまっている私が運が良い、だと? 確かに礼装を施していたスーツのおかげで瞬時に握りつぶされることは無かったが、腹の中はぐちゃぐちゃだし、少しでも気を抜けば意識が飛びそうだ。

 ――その、飛びそうな意識の中に、

「――――その女性を離せ――――…………!!!」

 凛々しい声と共に、一陣の銀光が、駆け抜けた。

intelude out

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