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 眼が眩む目映い閃光の中からソレは現れた。
 ――思考が停止している。
 ソレは俺に背を向け、槍の男から俺を護るように悠然と立っている。
 俺にはソレが……地に届きそうな程の長髪を靡かせている長身の女性だということしか分らない。

 きん、という甲高い音がして槍が弾かれたかと思うと、次の瞬間。
 残像すら残さず、凄まじい速度で女性は槍の男へ肉薄し、

「――――はっ!」

 突進の勢いそのままに、男の鳩尾へ目掛けて膝蹴りを繰り出した。

「ぐ――――!」

 咄嗟に槍の腹で受け止め、されど数メートル。庭の中心あたりへと軽く吹き飛ばされる男。
 空中で姿勢を正して音も無く着地し、再び槍を構えた男の身のこなしも見事の一言だったが、なにより、瞬き程度の一瞬で、男の槍を弾き、今の攻撃を繰り出した女性のスピードと力に驚愕した。

「――――」

 女性は手にした大きい釘のような物を隙なく構えて男を威嚇しながら、その長髪を軽やかになびかせてこちらに振りむいた。

 雲間から月光が土蔵内に差し込んできていた。
 淡く、青白い月光が女性の全身を照らしあげる。

「……っ」

 思わず息を呑む。
 女性の纏っている衣裳が、胸と腰だけを隠したような闇に溶けるような漆黒のレザースーツであったこと。両手足を包む漆黒。顔の半分を覆うかというような巨大な眼帯。額に描かれた何かの印。その全てに驚いた。

 ――しかし。なによりも、

「――――貴方が私のマスターですか」

 無機質な声で俺に向けてそう呟いた彼女の、あまりの綺麗さに、魂を抜かれてしまった。
 俺は、

「え……マ……、スター……?」

 と、問われた言葉を口にすることしか出来ない。
 彼女が何を言っているのか、何者なのかも分らない。
 ただ分るのは、この異様な衣裳を纏った美女も外の男と同じ存在であるということだけ。

「…………」

 女性は何も言わず、静かに俺を見つめ――ているような雰囲気を醸し出している。
 眼帯をしているが、まったく周囲の状態を掴めないという分けではないらしい。
 心眼、というヤツだろうか。
 詳しくは分らない。しかし、女性には俺の位置も、男の位置もはっきりと認識出来ているようだった。

「サーヴァント・ライダー、召喚に従い参上しました。マスター、指示をお願いします」

 二度目の声は、やはり無機質で氷のように冷たく、透き通っていた。
 身体の芯、脳の芯にまで滲み込んできたそれではっと我に返る。
 何時の間にか俺は男が襲いかかってくる危惧や、つい直前まで身体を支配していた死の恐怖など綺麗さっぱり忘れ去り、ただ、目前の女性だけを視界に捕らえ、時が止まったような錯覚に襲われていた。

 ――しかしそれも、仕方ないのではないか。

 そう心から思わせるほど、魂を抜かれたような錯覚に陥らせるほど、目の前の存在は特別だったのだ。
 だって、今眼の前に佇む女性は俺が今まで出会ってきた全ての人間、見てきたモノの何よりも、遥かに美しい――

「――――つっ」

 と、その瞬間、左手に焼き鏝を押されたような痛みが走った。
 思わず左手の甲を抑えつける。
 すると、そんな俺の行動を合図とするように、女性は静かに流麗な顔を僅かに頷かせた。

「――――これより我が剣は貴方と共に、貴方の運命は私と共に。
 ――――ここに、契約を完了します」

「け、契約って――――」

 なんの――――!? と俺が尋ねるよりも早く。
 いや、俺が紡いだ言葉が空気を伝導し、女性の鼓膜に届くよりも早く、

「な―――」

 女性が俺に背を向け、紫の髪の毛がまたふわりと靡いた、と思った瞬間。
 どん、という踏み込みの音と疾風を残して、黒衣の女性は既に土蔵の外へ飛び出していた。

 一瞬送れてじゃらん、という音。
 それが釘に付いていた鎖の音なのだと理解するよりも早く、痛む身体に鞭を打って、俺も女性の後を追った。
 きっと彼女はあの男と戦うつもりなのだと、あの二人はそういう関係なのだと本能が理解していた。
 止めなければいけない。
 先ほど見た彼女の動きから察するに、そう簡単にやられはしないだろう。
しかしそんな事は関係ない。
 あんな格好をして、あんな物騒なモノを持って、あんな動きをして、俺よりも僅かばかり長身だからといって、彼女は女性で、れっきとした女の子なんだ。

 土蔵の外へ飛び出す。
 そして、

「やめ――――!」

 ろ、と叫ぼうとした俺の声は、三度目の驚愕で封じられた。

「な――――」

 我が目を疑う。
 今度こそ、本当に何も考えられなくなるぐらい呆然とした。

「なんだ、これ――――」

 庭を縦横無尽に駆け抜ける疾風。

 月は再び雲に隠れ、庭はもとの闇に包まれている。
 その中を、凄まじい速度で駆け回る紫。

 長い髪の毛のその動きはまるで、大蛇を思わせる。

 土蔵から飛び出した女性に、槍の男は無言で襲い掛かった。
 女性は槍を払い退ける――ことなく、ひらりとソレを躱し、更に繰り出される 槍を躱し、徐々に男に肉薄していく。
 しかし男も黙ってはいない。
 拳銃の弾丸だった槍の突きは、いまや機関銃の掃射となって女性に襲い掛かっている!

「―――――」

 言葉が出ない。否、信じられない。
 男の視認が不可能な程高速で繰り出される攻撃にも驚いた。
 しかし、なにより、女性はその全てを――時折釘で弾くものの、殆ど速度だけで躱しきっているのだ。
地を蹴り、土蔵の壁を蹴り、地を這い、女性に負け劣らじ速度で移動しながら男が繰り出す攻撃の、悉くを躱す。

「――――っ」

 地面に顔が着きそうなほど身を屈めて槍を躱した女性は、手にした釘を振り上げて男の眉間を狙う――!

「チィ――――!」

 きん、という剣戟音。
 男は突きと同じ速度で槍を引き戻してソレを弾くと、女性のあの身体の何処にそんな力があるのか。
 釘を弾いた勢いに押され、小さく舌打ちを零して僅かに後退する。

「――――っ!」

 振り上げられた釘と同じ軌道を以って、女性の蹴り上げが男の顎に迫る……!

「嘗めるな――――!」

 男はその場で身体をコマのように回転させてその蹴りを躱し、遠心力をそのままに槍を薙ぎ払う。
 女性の蹴りが躱されたから、男が攻撃を仕掛ける、その間の時間は一秒にも満たない。
 このままでは女性は胴を真一文字に切り払われるだろう。
 しかし、男の槍が迸ったその瞬間、既に其処に女性の姿は無い。

 蹴り上げた脚の勢いを利用して、体操の選手など足元にも及ばない素早く美しいバク宙で後退してそれを躱す。
 華麗に着地し、そのまま消えるように後ろに飛び、男と十数メートルの距離を挟んで相対する。
 男は空振りに終わった槍を、構えなおし、こちらも油断なく女性と相対する。
 その一連の攻防を見て、思わず感嘆を感じてしまうのを止められない。
 二人の戦闘、特にスピードは人智を超えている。
 まさに極限。
 一撃一撃が必殺の槍を、視認できないほどのスピードで繰り出す男も、
その槍を悉く躱し、尚且つ大釘と蹴りを繰り出す女性も、ソレを防ぐ男も、次の男の一撃を女性も。
 二人の戦いは、映画で観た戦闘機同士のドッグファイトのそれを思い出させるほど美しく、疾く、激烈だった。

 どちらかとも無く飛び出して、再び打ち合う。
 されど結果は同じ。
 極限のスピードで攻撃を繰り出される男の攻撃は、極限のスピードで疾走する女性には掠りもせず、逆もまたしかり。

「……っ、クソ――――!」

 男が憎々しげに吐き捨て、跳躍。大きく間合いを取る。
 埒が明かない戦闘を仕切りなおすかのように、手にした槍を構えなおした。

「―――――」

 それを見た女性はやはり無言で、呆然と立ち尽くす俺を男から護るようない位置で立ち止まる。

「……テメェ、いったいどこの英霊だ」

 槍を構えたまま男が問う。
 何故ここで英霊という言葉が出てきたのかは分らないが、男が苛立っていることだけははっきりと分った。
 ――無理も無い。
 俺の目から見てもアイツは自分の槍に絶対の自信を持っているように感じられた。
 俺の槍より早いものなど無い、俺より優れた槍使いは存在しない、と。

 ――なのに、それを、

「――――」

 男の問いには答えず、無言のまま釘を構える女性は、その悉くを躱してみせたのだ。
 その女性の攻撃が男に当たることも無かったが、男には自分の槍を速度だけで躱されたことだけで充分なのだろう。

「け、無視かよ。まぁいい。どうせテメェは此処で俺に倒されるんだからな」
「――――いえ、此処で倒されるのはランサー、貴方です」

 男が悪態をつくと、戦闘が始まってから女性が初めて口を開いた。

「は、その心意気や良し。だがな、やっぱ負けんのはテメェだ。
 ――校庭で打ち合ったのがセイバーだったから貴様は大方ライダーだろう。――馬から落ちた騎乗兵が槍兵に勝とうなんざ百年早ぇんだよ」

 ランサーと呼ばれた男が何を言ってるんだ、と言った風に凄んでみせる。
 いや、実際のところ今までの戦いは互角――槍を躱されたが、男には本当に女性を倒す自信があるのだろう。
 その証拠に、腰を屈め何かの構えのようなものを取った男の殺気が、先ほどまでとは比べものにならないほど膨れ上がっている。
 しかし女性も負けてはいない。
 男に負けじと、大気を凍りつかせるような殺気を纏い、一歩も怯まない。

 なのに――

「――――馬に乗るだけが騎乗兵の特技ではありません。……そう、特に、ワタシの場合には――――!」

 ――女性はそう呟くと、あろうことか釘を手放し、何と、自らの両眼を覆う眼帯に手を掛けたではないか――――!

 どういう仕組みなのか、眼帯は女性の手に触れた途端、霧散するように空気に溶けていった。
 後ろからなのでわからないが、今、彼女は素顔を男に晒している。

「な、なにやってんだ――――!」

 それで惚けて固まっていた体が漸く溶けた。
 ――訳が分らない。
 眼帯をつけているということは目が見えない――それでも充分過ぎるほど戦っていたが、今更それを外して何の意味があるというのか。
 それよりも、今の男の前でそんなことをしても隙を作って死期を早めるだけだ――!

「――――くそっ」

 殺気に震える体と、凍りつく心臓に活を入れて何とか女性へと駆けつける。
 俺が駆けつけるその直前、女性が顔に手を遣ると、またその両眼に眼帯が装着された。
 一瞬素顔が見えなかったな。と悔やんでしまったのが、全身全霊でその気持ちを吹き飛ばす。

「おい! いったい何やってんだ…………っ! 死にたいのか…………って、え――――?」

 女性の背に向って言葉をぶつけようとして、俺はソレを発見した。

「…………な、んで…………」

 女性の肩越しにソレを見る。
 十数メートル離れた庭の中心部あたり。
 槍を構えた男は、俺たちには攻撃してこず、其処に槍を構えたその体勢のまま、不動で佇立していた。
 その様相は、まるで身体中を矢に貫かれて絶命しながらも不倒であった弁慶を思わせた。
 だが、男は弁慶のように絶命してはいない。

 ――けれど、

「――――石に、なってる…………!?」

 ――男はその身体を完全に、無機質な石のそれに変えていた。

 本当に訳が分らない。
 もう今日は、訳の分らないことが起きすぎて頭がパンクしそうだ。
 いきなり金髪の少女と青い槍の男が打ち合う場面に遭遇してしまったり、その男に追いかけられて心臓を貫かれて一度殺されたり、
 誰かが助けてくれたおかげで生き返ったり、
 家に帰ってきたらまたその男に殺されかけたり、
 その男の攻撃からいきなり現れた黒と紫の女性に助けてもらったり、
 その女性がそのまま男と戦ったり。

 そして、今その男が俺と女性の目の前でその身を石にしている。

「……なんなんだよ」

 膝が笑っている。
 歯は噛み合わずガチガチと鳴り響き、心臓が警鐘を鳴らす。
 血が沸騰し、脳を刺激する。
 逃げろ、と。
 今すぐこの場から、この得体の知れない女の傍から逃げろと全身が訴える。
 そうだ。分らないといいつつも、何となくは理解しているのだ。
 男を石に変えたのは、この女性の力だと。
 そんなとんでもない女性が、俺を護ってくれたのだと。
 そして、俺には護ってもらう理由など思いつかなくて、もしかしたら次の瞬間、俺も槍の男同様に石にされてしまうのではないかと。

 ――でも、もう駄目だ。

 再び、死の恐怖以上の恐怖に凍り付いてしまった身体はもう動かない。
 女性の肩に手を伸ばそうとしたその瞬間、石になった男を発見して目と口を見開いたそのまま。
 俺は、逃げる事も悲鳴をあげることも叶わず、ただ茫然自失状態で立ち尽くす。

「――――」

 女性がゆっくりと振り向く。
 長髪が僅かに波打って甘い良い香りが広がったが、そんなものを愉しむ余裕などあるはずも無い。
 俺は身構えることも出来ず、ただ、再び眼帯を装着した美しいその貌を視界に捉える。

 女性は、

「今のは私の宝具の一つです、マスター」

 と、よく分らないことを口走った。

「は――――?」

 振り向いたその瞬間に石にされなかった事に安堵する暇も無く、俺は言葉の意味が分らずに素っ頓狂な声をあげる。
 宝具、という言葉も聞いた事も無ければ、の一つ、という事は複数所持しているものなのか、まったくもって理解出来ない。
 混乱の上に恐怖を上塗りされ、更にその上に新たな混乱を塗り固められた俺の頭は、今度こそ本当にパンクしてしまいそうだった。

「自己封印・暗黒神殿――――私が保有する三つの宝具のうちの一つです」

 そんな俺の事などお構い無しに女性は淡々と言葉を続けていく。
 俺はその間何をする、出来るわけでもなく、ただ茫洋と、声に導かれるままに彼女を見遣り、今まではっきりと見る事が出来なかった彼女の姿を観察する。
 暗闇の中、尚深い漆黒をしたボディスーツは胸と腰を隠すだけで、身体のラインがぴったりと浮き出ている。
 妖艶な印象さえ与える際どい衣裳に強調された、滑らかな曲線を描く胸や、腰。
 それに、黒衣と正反対の白磁の白の肌の対比はとても強烈で、鮮烈で。
 そんな全てが俺には刺激的過ぎて、はっきり言って目のやり場に困ってしまう。

 ……けど、そんな事よりも。
 
 俺より約十ほど年上なその女性は、無表情に加え、奇妙な眼帯をつけてなお、その――――夢か幻か見間違うほどの、とんでもない美人だった。

 月光に照らされた美しい紫の長髪は、絹を梳いたように滑らかで、指の間をする抜ける砂金のようにきめ細かく。
 冷淡な印象を与える流麗な顔は気品があり、されど同時に、濃密な血の匂いも感じさせて、
 このままずっとこうしていたい、彼女を俺の思うがままに、いや、俺を彼女の思うがままにして欲しいという甘美な誘惑に吸い込まれてしまいそうだった。

 ――――そんな、危うい俺の精神を食虫華の蜜底から救い出したのは、

「効果は魔眼殺し。――――今の石化は、その封印を解き魔眼キュべレイを発動した結果です、マスター」
「――――っ!?」

 ――――魔眼キュべレイという、とんでもない言葉を発した、食虫華の主だった。

 俺は、

「――――何者だ、おまえ」

 半歩後ろに下がって、警戒しながら低い声で尋ねた。
 ――――魔眼キュべレイ。
 あまりに有名で、同時に身も凍る畏怖の存在でもあるソレ。
 古代ギリシャの英雄にしてゴルゴーンの怪物、支配する女メドゥーサの象 徴たる神代の呪いの具現。
 視界に捉えた者全てを石に変えてしまう、最高位の力と呪詛を持った魔眼。
未熟な魔術使いである俺でさえここまで知っているソレを、この女性が『発動』した。とはいったいどういうことなのか。
 光の中から突如現れ、先ほどの常識、人間のレベルを大きく超え外れた身体能力に戦闘能力。
 ――そして、男を石に変えた、女性が持つ未知の力。
 頭の隅に持っていたこの女性に対する、おかしい、とんでもない、そういった警戒の感情が、今の魔眼キュべレイという言葉を聞いて、恐怖やそういったものを押しのけて瞬時にして膨れ上がった。
 見惚れていたりびびっている場合じゃない、コイツはとにかくとんでもないヤツだ。正体が判らない、知らないままに気を許したり、話をしていい相手じゃない。

「何者もなにも、私はライダーのサーヴァントです。
 己の宝具の詳細をマスターに告げておくのは当然ですし、なにより貴方が私を呼び出したのですから、確認するまでもないでしょう」

 やはり今までと同じ静かな声で、眉一つ動かさず女性は言った。

「ライダーのサーヴァント……?」
「はい。ですから私の事はライダーと」

 さらりと、石になった男をバックグラウンドに湛えながら言う。
 その口調や声音は慇懃なうえに無機質で、けれど透き通るような美しい響きで、なんていうか、耳にするだけで、さっきみたいに頭の中が白く――――

「―――――っ」

 ……って、なにやってんだ俺は……!

「そ――、な、なんていうか、変な名前だな」

 石になった男や魔眼や宝具のことで混乱している思考などお構い無しに熱くなる頭を軽く振ってから、とんでもなく馬鹿な返答をした。
 ……いや、それ以外いったいなんて言えばいいのか。
 魔眼のことを尋ねるのか、俺が呼び出したとはどういうことかと尋ねるのか、槍の男のことを尋ねるのか。それとも何でそんなに早く動けるのかとか何でそんな服を着ているのかとかその眼帯は何なのかとか何で俺の事を――――って、

 ――――ひとつ、肝心なことを忘れていた。

「……俺は士郎。衛宮士郎っていって、この家の人間だ。
 その、ライダー……、助けてくれてどうもありがとう。あのままじゃ俺、完璧にやられてた」

 本当にどうかしてる。さらに間抜けな返答をして、尚且つまったく正体の判らない相手に向ってお礼を言うなんて。……けれど、名乗られたら名乗り返すのが礼儀だし、何より、このライダーという女性に俺が助けられたのは紛れもない事実だ。
 頭は混乱と恐怖と二重螺旋でぐちゃぐちゃだけれど、どんな相手にだって筋は通さないといけない。

「――――――――」

 女性は……ライダーは変わらず――――いや、じっと彼女の顔を見つめていなければ見過ごしていただろうほど小さな変化ではあったが、確かにライダーは眉を顰めて、怪訝そうな戸惑いの表情を浮かべた。
 ……拙い、俺はやはりとんでもない間抜けで場違いなことを口走ったってしまったのか。
 先ほどの戦闘の中でさえまったく表情を変えなかったライダーが、初めて感情らしい感情、しかも疑問の感情を示している。

 俺がそんな危惧に混乱を深めていると、ライダーは表情と居住まいを正した。

「マスター、態々私に謝を述べる必要はありません。
 契約を交わした以上、サーヴァントがマスターの危機を救い、敵サーヴァントを打倒するのは当然です。……それと、貴方を裏切ったりする事はありませんのでそのように警戒しなくても大丈夫です」

 ……やばい。
 彼女が何を言っているのか聞き取れているのに、その意味がまったく判らない。
 判っているのは、彼女が俺の事を主人なんてとんでもない言葉で呼んでいる事と、どうやら俺は石にされる心配はしなくても大丈夫であろうという事。

「ちょっと待ってくれ、俺はマスターなんで名前じゃないぞ」
「……では何と呼べばいいでしょうか」

 後者の事実に心の中で安堵しながら、取り敢えず今の話で一番気にかかった事を俺が述べると、彼女はまたも、本当に僅かだが困ったような表情――雰囲気を纏った。

「俺の名前は衛宮士郎だってさっき言っただろう」
「……それではエミヤシロと呼べばいいのでしょうか」

 エミヤシロ、発音しづらそうにそういった彼女を見て、俺は思わず男や宝具とかそんな事を忘れてずっこけそうになった。
 普通相手の事をフルネームで呼ぶだろうか。
 しかも音を区切っていないうえに上手く発音出来ていない。

「違う。衛宮と士郎のところで一端区切るんだ」

 凍えそうな殺気に支配されていた空気は、何時の間にか何だか間抜けな空気に変わっていた。
 俺はいったい何をやっているのか。
 名前の事なんてどうでも……よくはないんだが、そんなことより魔眼やらサーヴァントやら石になった男やそういったモノのことを尋ねないといけないのに。

「……エミヤ、シロウ」
「そう。だから俺の事は――――」

 丁寧に言った彼女、それでもシロウのウのところが上手く発音されていなかったが、名字で呼ぶ分には問題ないだろう。
 そう思って俺が『衛宮って呼び捨てにでもしてくれればいい』と言おうとした、その瞬間。

「それでは貴方の事はシロウと。……なるほど、確かにこの発音の方が好ましい」
「っ…………!!!」

 口元に手を当てて、何か感心するかのようにそう呟いた彼女の言葉を聞いて、顔から火が出そうになった。

「ちょ、ちょっと待ってくれ、なんだって名前で――――」

「いつっ……!」

 突如、左手の甲に痺れるような痛みが走った。

「あ、熱っ……!」

 痺れた部分が燃えるように熱い。
 何事かと思って目を遣ると、其処にはまるで刺青のような、おかしな紋様が刻まれていた。

「な、なんだ――――?」
「ソレは令呪と呼ばれるものです、シロウ。
 私たちサーヴァントを律する三つの命令権であり、マスターとしての命でもあります。無闇な、曖昧な目的での使用は避けるようにしてください」
「ちょ、ちょっと待て、待ってくれ!」

 俺に向って彼女が説明のようなものをした瞬間、あやふやになっていた疑問が、令呪、サーヴァントを律する、命令権、マスターとしての命などの更なる疑問材料を燃料にして、再度爆発した。

「さっきから宝具だとか魔眼だとかサーヴァントだとかマスターだとか、いったいお前何なんだ。令呪とか言われても俺にはてんで判らない。取り敢えずその辺のことを説明してくれないか」

 ここぞとばかりに問い詰めた俺に、彼女は口元に手を当てて今度は思案するような雰囲気を纏った。
 相変わらずの無表情であったが、時折小さく頷いたり首を横に振っているところからその思慮の深さが窺い知れる。

「――――――――」

 かなり長い、と言っても十数秒間だが彼女は思考に耽っている。
 そんな姿を見て、俺はまたしてもとんでもない事を口走ってしまったのかという不安に駆られるが、問うた魔眼の事などを鮮明にしない方がもっと不安である。
 そのまま立ち住まいを正して俺が彼女の返答を待つ事、そこから約十秒。漸く考えが纏まったのか、彼女は腕を下ろし、俺と同じく立ち住まいを正して口を開いた。

「……シロウ、聖杯戦争、という言葉を聞いた事がありますか?」
「へ――――? なんだ、それ」
「……そうですか。やはり貴方はどうやら自らの意思でマスターと為った訳では無いようですね。
 判りました、私の宝具や魔眼のことも含めてまずはソレを説明することにしましょう」

 予想外の言葉に頭の上に疑問符を浮かべた俺を見て一つ頷くと、ライダーは確かめるようにそう言って、身を翻し屋敷の方へとすたすたと歩き出した。
 ふわりと靡いた髪の毛が月光に照らされて美しく輝いている。

「ちょ、何処に行くんだ……っ」

 思わずそれに見惚れてしまい、慌ててライダーの背中に声をぶつける。
 ライダーは十メートル歩いたところで立ち止まると、首だけを回してこちらを向いた。

「ですから説明をします。少々長い話になりますので家の中で話を。……先ほどまで感じていた気配も消えましたし」

 いい終わり、前を向くとまた歩きだすライダー。
 その言葉に一瞬あっけらかんとなりながら、直ぐに意味を理解して俺も後を追う。
 最後の方はよく聞き取れなかったけれど、説明を聞くというのは俺も望むところだったし、何より、今まで忘れていたが、今の俺の服装は男に襲われたそのときのままでボロボロだ。暖冬の冬木市とはいえ二月の夜の冷気はかなり堪える。このまま外で長話をしていたら間違いなく風邪をひいていたところだろう。

 ……けれど、

「……あれはどうするんだよ」

 歩きながら視線を遣ったその先、庭の一角には槍を構えた男の石像が夜風に曝されていた。
 深く腰を沈め、きつく握り締められた長尺の槍。引き締まった肉体に、猛禽類を思わせる獰猛な表情。
 まるで著名な芸術家の名品の彫刻なように見事な石像……元は人を超えた人間、であったそれが、月光を鈍く弾いて、今は其処に居ない彼女の姿を睨み続けている。

「…………今はライダーからの説明が先だよな」

 背中を嫌な悪寒が走り抜けて、思わず身震いする。
 今にも動き出しそうで気味が悪いし、これをなしたというライダーの宝具、事故封印・暗黒神殿に魔眼キュベレイ――これはよく判らない――のこともの気になるが、その疑問を解決するためにも、取り敢えず今はライダーの説明を聞くのが先だろう。あれをどうするかは説明が終わった後に考えることにして、視線を前を行くライダーに戻す。

 と、

「あれ……?」

 ライダーは縁側、閉められた雨戸の前で立ち止まってこちらに向き直り、俺が遣って来るを待っていた。

「――――」

 その表情はもはや馴染みになりつつある無表情な無機質だったけれど、何故か俺には、彼女が酷く緊張しているというか、真剣な様子であるように感じられた。

「……どうしたんだ、ライダー」

 追いつき、何時の間にか早く動き出していた心臓を押さえ込むように低くなった声で尋ねる。
 近くで見たライダーの顔はやはり美人――じゃなく、やはり真剣で、俺は息を呑んで、知らず頬に一筋汗を流す。
 辺りが再び緊迫した空気に包まれるのを感じながら、身構えて彼女を答えを待つ事、数秒。
 彼女は俺を眼帯越しに見据えるような動きを見せた後、何故か少しだけ顔を俯けて、

「―――――すみません、シロウ。
 ……そ、その……、この屋敷の入り口は何処でしょうか」

 緊張の糸を強引に断ち切ってしまう、そんな言葉を口にした。

 俺は、その言葉の雰囲気や表情とのあまりのギャップに一瞬、いったいどういう反応をしたらいいものか、と考え込んで、答えを出すのに失敗し、

「――――ぷっ」

 耐え切れなくなって、思わず吹き出した。

 ……可笑しい。可笑しすぎる。
 こういう言い方は失礼かもしれないけれど、それこそ化け物じみていて、機械みたいなライダーが”玄関の場所が判らない”なんて理由で、あんな真剣な顔をして立ち往生をしていたかと思うと、こんな出鱈目な状況だっていうのに笑いを堪える事が出来なかった。

「な、なにも笑わずともいいでは無いですか、シロウ」

 口を手で押さえて何とか笑いを抑えようとするのだが、努力虚しくライダーに怒られる。
 その声があの無機質で感情の無い声音だったら俺も直ぐに取り直すことが出来たのだろうけれど、

「ごっ、ごめっ……く――っ」

 髪の毛を振り乱す、とまではいかないけれど、僅かに肩を震わせながら、心なしか羞恥の感情の篭った声で俺を咎めるライダーの姿は可笑しくて、同時にすこし……いや、今までの無機質なイメージが雪崩の如き勢いで崩れ去るほどに、つまりは反則級に可愛らしかった。

「……マスター、何時までそうしている気ですか」

 それから一頻り笑った後、そんなライダーの抑揚の無い声で我に返る。
俺のことを”シロウ”ではなく、”マスター”と呼んでいるということは、これ以上笑い続けるというのならばこちらにもそれなりの考えがある、という事なのだろう。しかし、先ほどの男を石化させた直後のような心臓をナイフで抉られるような恐ろしさはない。

「は――っ、……ご、ごめん。つい」

 けれど、流石に以上こんな事で時間を浪費するのも勿体無いし、何より説明を聞く、という当初の目的を早く達せねばばならない。よく見ると僅かだけれど眼帯がずらされているような気もしないでもないし。

「……えーと、玄関はこっちだ、ついて来てくれ」

 一度深呼吸して気を取り直し、先だって歩き出してライダーを促す。
 そのときライダーが小さな声で「……申し訳ありません」と呟いたので、今度は苦笑しそうになったが、これ以上怒らせる――拗ねているようにしか見えないのだが――と、本当の本気で石にされなかねないという保障も無いので気合で堪える。

 再び凍ったように静まりかえった庭を歩く。

「…………」
「…………」

 あれからライダーはずっと無言である。が、重苦しい雰囲気は無い。
 俺は、話をするならやはり茶を出すべきだろうか、ライダーはやはり紅茶かな、などということ考えながら歩き、玄関へまわり、扉に手をかけて……どうしてそうしたか判らないが、音を立てないようにそっと引き開けた。
 からからからと、聞きなれたいつものそれとは少しだけ小さい音を残して戸が開かれる。
 玄関は勿論真っ暗だ。俺は蛍光灯のスイッチを押し、靴を脱ぎ、框に上がり廊下へと進む。
 後ろからは俺に合わせてライダーも続いて来る気配。靴を脱ぐ音や足音すらしなかったがちゃんとついて来てくれているようだ。

 ひたひたと板張りの廊下を歩く。
 そのまま居間に入って電気を点け――俺は大きく溜息を吐き出した。
 ……すっかり忘れてた。
 居間は窓ガラスが全壊して夜風が吹き込み、ガラスの破片も散らばっているのでとても話が出来るような状態では無い。
 どうしたもんか、と思案して、居間の隣、一応「応接室」という役割を与えられている普段は滅多に使わない和室を使うことにする。

「シロウ、これは」

 と、後から続いて居間に入ってきたライダーに後ろから声を掛けられた。
 その声は確かに戸惑っているようで、すなわちライダーでさえ戸惑うほどこの部屋の惨状は酷い、ということなのだろう。

「あぁ、これはアイツに襲われた…………とき、に……だな……その、色々あって……」

 こりゃ修理が大変だな、と思いながら振り向いて――初めて明るい場所で、しかも間近ではっきりとライダーの全身を見て――瞬時にライダーから視線を逸らして何とか説明する。

「……ふむ。確かにランサーの魔力の残滓が感じれられます」

 一瞬怪訝そうな雰囲気を醸し出したライダーだが、直ぐに合点がいったようでそう呟いた。

(……なんなんだよ、まったく)

 そんなライダーを視界の端に捉えながら俺は心の中で愚痴る。
 今のライダーは黒のボディスーツと肌の白の対比が蛍光で強調されて、その彫りの深い綺麗な貌とか、豊かな胸の谷間とか肩や腕とか髪の毛とか、……あのブーツみたいなヤツは脱いだのだろう、すらりと伸びた滑
らかな生足とか、そんな全てがとにかく綺麗なうえに色っぽくて、俺には色んな意味で刺激が強すぎた。

(落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け)

 念仏を唱えるように繰り返して、ばくばくいっている心臓と火が出そうな顔を落ち着かせる。
 ……説明を聞くっていう事は、必然的にライダーと正対するってことだからあんまり意味が無いような気もするけれどしないよりはマシだろう。

「……話はこっちの部屋でしよう」

 なるべくライダーの方を見ないようにそう声を掛けて、ライダーがガラスの破片を踏まないように、進路に落ちている破片を除けながら歩いて隣の部屋に入る。
 この際電気を点けないで……というわけにもいかないか。
 電気を点け、座布団を二枚敷いて、そのうちの一枚をぽんと叩いてライダーに座ってもらうように促す。

「……どうも」

 何故か台詞までに微妙な間があったが、ライダーは滑らかな動作で座布団の上に正座した。
 俺はそれを――なるべく直視しないように確認し、座布団に座らずにそのままお茶を淹れに台所へ行く。

「シロウ、何処へ行くのですか」
「あ……、いや、説明長くなるって言ったからお茶でも淹れようかと思って……」

 部屋を出たところでライダーに声を掛けられ、首だけを回して返答する。
 と、ライダーは何が気に食わない、というか困ったのか、僅かに眉を顰めた。

「シロウ、私は貴方のサーヴァント。そういった要らぬ気遣いは結構です」
「……あ、あぁ」

 その台詞には反論したい事山々だったのだが、ライダーは本当に困っているようだったので、俺はそのまま身体も回転させて振り向き、曖昧に返事して自分の分の座布団の上に正座した。
 それでライダーと正対する形になる、のだが、ライダーが醸し出す雰囲気の所為か。心臓が暴れすことはなく、逆にこれからようやくこのとんでもない出来事の説明が始まる、という緊張で背筋が伸び、ごくり、と
息を飲む。
 意外なライダーの一面を垣間見たりで忘れていたが、そもそも俺はあの男や宝具、といったモノどころか俺を助けてくれたライダーのことさえ何も知らないのだ。男を石にしたであろう魔眼のこともある。俺はライダーの説明を聞き、しっかりと把握、吟味して思考し、然るべき行動をとらねばならない。

 風が止んだのだろう。隣の部屋から聞こえていた風音は途絶え、かちかちかちと、壁掛け時計の音だけがさきほどのやり取りから沈黙に包まれている部屋に響く。
 そして室内の隅々まで緊張の糸が張り巡らされると同時、ライダーが静かに口を開いた。

「――――それでは説明を始めます。
 …………まずは聖杯戦争、と呼ばれるもについてですが――――」

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