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悪い夢を見ている。 惨劇は起きて、自分はそれを防ぐことが出来たのに、何も出来なかった。 俺のしたことなど精々、八つ当たりじみた理不尽な暴力だけ。 けれど、あの時俺の中に湧き、今も溜まり続けている殺意は本物だ。 もし再び慎二が目の前に現れたのなら、俺は躊躇なく拳を振り上げ、そして振り下ろし、打ち込むだろう。 悪い夢を見ている。 慎二にそういうことをして心が痛まないわけじゃない。 寧ろしたくない。したいはずがない。しても意味が無いとは心底では理解しているのだ。 けれどそれ以上に桜を失った痛みや後悔や怒りってのは大きくて、強くて、俺のちっぽけな意思では制御のしようがない。 だから。 いっそこんなのは間違いか何かで、無かったことになるのなら――平穏に、何の苦しみも昏い気持ちを感じることもなく過ごせるというのに。そんなどうしようもないことを、考えてしまう。 悪い夢を見ている。 そんな奇蹟はないと自分で判っている。 起きてしまったことを『無かったこと』になど出来ない。 それは不可能なことだし、それ以前に、決してやってはいけないことだ。 悪い夢を見ている。 ……でも、それでも。 もう一度あの生活を取り戻せたら、それはどんなに幸せな―――― …………悪い、夢を見ている。 鈍い錆た鉄の音の眼を覚ますと、そこはいつもの土蔵だった。 目を擦りながら、また部屋に戻らずに眠っちまったのか、とぼんやりとする頭で考えていると、先ほどの鉄の音は扉を開ける音だったのだろう、土蔵の入り口に誰かが立つ気配が湧くと同時に、明かりが差し込んできた。 「――――っ」 眩しさに目を細める。冷たい空気が入り込んできて、思わず肩を震わせた。震わせながら、近づいてくる気配の方へと視線を向ける。 「――先輩、起きてますか?」 視線の先。その人物はまるでいつもそうしていたかのように、流れる動作で俺の隣に腰を下ろし、声を掛けた。 「……ん。おはよう、桜」 「はい。おはようございます、先輩」 こんなことには馴れているのか、その人物……桜は左手で髪の毛をかきあげながら、おかしそうに笑って頷く。 「先輩、朝ですよ。まだ時間はありますけれど、ここで眠っていたら藤村先生に怒られちゃいます」 何がそんなに楽しいのか。とても嬉しそうに喋る桜。 その姿を見ていると、俺の方まで嬉しくなってくるというか、癒される。 それは俺の平穏な日常。穏やかな生活の象徴である。 ……そうだ、これだ。 桜が――桜がどうしたんだっけか。 ……判らない。けれどとにかく、ずっとそう思っていた。 惨劇をなかったことにして、もう一回こんな生活が出来たらいいと―――― 「――――つ」 ――――鋭い頭痛が走る。 視界がノイズに覆われ、頭蓋の中から目の裏側を木槌で殴られたかのような衝撃が襲ってくる。がんがんがんがんと。無茶苦茶に叩きまわす。視界が白色に覆われて、脳が揺れる。思考が飛ぶ。 ――――それで、考えていたことを忘れてしまった。 「? どうかしましたか、先輩?」 「――――いや、なんでもない。 ……それよりもよく起しに来てくれた、いつもすまない」 頭をぶんぶんと振って、こめかみを揉み解す。 頭痛は鈍く、燻るように頭の片隅に残っているが、これくらいなら気にならない。 そして、気分が落ち着いたところで頭を下げながらながら返答した。 「そんなことありません。先輩、いつも朝は早いですから。 こんな風に起こしに来れるなんて、たまにしかありません」 ……? どういうことだろう。何が嬉しいのか、桜はいつもより元気がある。 時節白い歯をこぼしながら、ホンモノの桜の花のように笑う。その笑顔に、癒される。 「……そうかな。俺、けっこう桜には起されてると思うけど。 でも藤ねえにだと叩き起されるからな、桜のほうが助かる。……そうだな、これに懲りずに次は頑張る」 自分でも何を言っているのかよく判らなかったが、桜から元気を貰ったのか。意識はしなかったが、心なしか俺の声も弾んでいるようだった。 「はい、判りました。でも頑張ってもらわないほうがわたしとしては嬉しいです」 俺の台詞が可笑しかったのか、桜はクスクスと笑っている。 ……いけない。どうやら俺はまだ寝ぼけているようだ。 「――――すまない、ちょっと待ってくれ。直ぐに起きるから」 もう一度頭を振ってから深呼吸をし、頭を完全に切り替える。 冬の冷たい空気はこういうときに役に立つ。 寒気は寝不足――――最近はすることもなく眠るか呆としているばかりだったような気が――――しない。するわけがない。そんなものはきっと気のせいだ。 「――――つ、」 また頭痛が走る。 今度はまさしく目が覚めるような強烈な頭痛が走る。 ノイズ。 ノイズノイズノイズ。 視界を覆うノイズ。――――くそ、邪魔だ。桜が見えない。消えてくれ。 痛み。 痛み痛み痛み。 激しい痛み。――――その痛みを無視して、改めて深呼吸をする。 寒気はきっと寝不足で呆っとしたに違いない思考を、今度こそ容赦なく完璧に叩き起してくれた。 ノイズが晴れる。痛みは消えて、思考はクリアになった。 ……目の前には後輩である間桐桜がいる。家族である間桐桜がいる。 ――――■んだ筈の、マトウサクラがいる。 ここは俺の家の土蔵で、時刻は午前―――あれ? 時計が見当たらない。いや、何時でもいい。そんなものは関係ない。俺はこれから何時もそうしてたように桜と一緒に朝食の準備をするのだ。しなくてはならない。だから早く行こう。早く行かなくちゃいけない。 「……すまん、桜。今目が覚めた。さ、早くキッチンに行こう」 立ち上がり、いつのまにか半分石になった左足を引きずりながら桜の手を取って歩き出す。 「あ――――、せ、先輩……っ! じ、自分で歩けます、わたし……!」 桜は突然の行動に困惑の声をあげたが、それでも手を振り解こうとはせず、ノロノロとしか歩けない俺に付き添って歩いてくれた。ずざざっ、という間抜けが音が滑稽だった。 ところどころ擦り切れ、血痕が付いた服を纏い、七色に輝く朝日が降り注ぐ庭を歩く。 庭のあちこちで異様な姿をした蟲たちがぎちぎちと泣きながらたてて踊る。 それを踏み潰しながら歩く。 蟲たちが嬌声をあげる。もっともっとと。その声に応えるように、踏み潰す。ぶちゅぶちゅと肉が潰れ、腐汁が飛び散った。飛び散った腐汁は大地に滲みこんで、また、地中から蟲が湧いてきた。体にかかれば、体の中から蟲が出てくるだろう。 だから、その腐汁が桜に掛からないように気をつけながら歩いて、棺桶のような玄関をくぐり、胎盤のような廊下を歩く。廊下の壁は暖かく、柔らかく、なめらかに蠢く。懐かしい。懐かしい。その懐かしさに涙しそうになりながら、マンホールをくぐり、キッチンに向う。 途中居間の横を通ると既に慎二が席についていて、何事かを呟きながら血まみれになった身体を痙攣させていた。 ぴくぴくぴく。びくびくびく。びゅるっびゅるっびゅるっ。 体中の穴という穴から触手を生やし、その触手の先から極彩色の何かを噴出しながら震える慎二の姿は気持ちが悪い。あんまりにも気持ちが悪いので、とても清々しい気持ちになった。 ――――それは何時もの平穏で穏やかな衛宮邸の朝の光景だった。 絞首台のようなキッチンにたどり着く。 天井から吊るされた紐で、何匹もの兎が首を吊っていた。そのうちの一匹の赤い目がぎょろりと蠢く。その視線の先には、逆さに吊るされた四肢の無いピエロが居た。そのピエロに挨拶をして、俺は人の皮膚で出来たエプロンを羽織った。 そして、桜が下ごしらえをしてくれていたのであろう品物を確認する。 「それ、自信作なんですよ」 蛆と蛆の親と、その蛆が湧いた死骸で出来エプロンを羽織った桜が言う。 庭に居た蟲を丸焼きにしたモノだった。 「そうか、なるほど。旨そうだ」 俺はソレをちぎって三等分にし、皿によそって食卓に運ぶ。 その途中敷居に寝転がってくもの巣を張っていた藤ねえに蹴躓いた。 「くけ、くけけけ、くけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけ……っ!」 俺に蹴飛ばされた藤ねえは羊水の水溜りから飛び起き、奇声を発しながら何処かへと走り去る。藤ねぇが床を踏みしめる度に、天井から新生児の死体が降ってきた。振ってきては、床を多い尽くす溝鼠たちび喰らいつくされる。 「いただきます」 「いただきます」 鉛色の涙を流す藤ねえのことは気になるが、今は何時もの朝食が優先であるし、生憎朝飯は三人分しかない。気の毒だが、今は放っておこう。なんだか楽しそうだったし。 桜は馬鹿だ、などとほざいている慎二の顎を殴りながら、既に席についていた桜と共に手を合わせて朝食を開始した。殴られた慎二は眼球を一つ破裂させたが、にこりと哂ってとても嬉そうだった。 ぐちゃぐちゃぐちゃぴちゃくちゃぬちゃ。 蟲の食感は酷いものだったが、桜が調理してくれたものだと思うと何でも旨かった。 噛む度に、今噛んでいるのが蟲の大腸であるとか、蟲のすい臓であるとかが鮮明に分かる。 耳から血を流しながら咀嚼して、一気に飲み込む。 心臓が痛んで、腹の底で赤黒い何かが蠢いた。 「ごちそうさま」 「ごちそうさま」 足と首を絞めて、ご馳走様をした。そうして、何時もの朝食が終わる。 さ、次は皿を片付けて食後の一服だ。 「……ん?」 ――――と、これだけでは足りなかったのか、桜は顔を俯けておなかを摩っている。くるるるるぅ、と可愛らしい音が聞こえてきた。 記憶を探る。中々想い出せないので、直に脳味噌に手を突っ込んで弄くりまわした。 ……そういえば何時も余分に蟲を捕まえて朝練の終わりにこっそり食べてたっけ。 ならコレくらいで足りないのも仕方がない。 俺は桜の為にもう一匹捕まえてこようと、混沌が降り注ぐ庭に出ようとして、その異変に気がついた。 「え――――?」 桜のおなかがまるでバラエティ番組の罰ゲームで使う風船のように大きく膨れだしたのだ。 ぷくぅぷくぅぷくぅ。しゅこしゅこしゅこ。 「――――今月で妊娠四ヶ月目だ。父親は僕なんだぜ」 藤ねぇが泣きながら空気を入れる。 何時の間に近づいたのか、慎二が俺の耳元で頼みもしないのに自慢げな声で囁いた。 「つっ、あ――――!!!」 その囁きを聞いた瞬間、とてつもない頭痛が俺を襲う。 視界が砂嵐のようなノイズに包まれ、頭蓋の内側から削岩機で目の裏を叩かれた。 ――――その衝撃で意識が朦朧としてしまう。 「や、めろ…………っ」 衝撃で眼球が飛び出した。脳漿が飛び散って、左手が腐り落ちた。右手が蒸発して、両脚がミンチになってしまった。 その所為で。 その所為で、慎二が桜の大きくなったおなかを殴るのを止められない。 「や、やめ……っ! せ、先輩! 助け、先輩――――!!!」 「はははははっ! ははははははっ! はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは――――――――!!!」 気が狂ったように哄笑する慎二。 腕を振り上げ、俺に助けを求める桜のおなかを変な方向に捻じ曲がった腕で何度も殴りつける。殴るたびに腐汁が当たりに飛び散る。止めろ止めろ止めろ。そんなことをしたら、桜のおなかから蟲が湧いてきてしまう。 だからそれを止めようと手を伸ばすけれど、生憎俺には手がついていない。なら俺はどうやって手を伸ばしているのだろう。分からない。どうでもいい。だって俺の手が掴むのは折れて朽ちた剣ばかりで慎二を止めることができない。 「痛……っ! 痛い、痛い……! あ、あぁ……、先輩、どうして、助けてくれないんですか……っ!?」 桜は下腹部から夥しい量の血を流しながら俺に助けを請う。 簿とぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼと、と、幾つもの肉の塊りが桜から生れ落ちる。そのたびに桜が苦しそうに喘ぐ。 ――――なのに、俺の手は桜には届かない。 「さ、くら…………っ!!!」 「あはははははははははははははははははははははははははははははは!!!」 桜に届かない手は、また一本折れた剣を掴む。 クソクソクソ! 歯軋りして歯を擂り潰す俺をあざ笑うかのように慎二が高らかに哄笑し、桜を殴る。 「助けて先輩、痛い、助けて――――!!!」 桜は下腹部から夥しい量の血と腐汁を流しながら俺に助けを請う。蟲を産み落としながら、泣きながら笑う。哂いながら、懸命におなかを守っている。 ――――なのに、俺の手は桜には届かない。 「さく、ら…………っ!!!」 「あはははははははははははははははははははははははははははははは!!!」 桜に届かない手は、また一本朽ちた剣を掴む。 歯軋りして歯茎を擂り潰す俺をあざ笑うかのように慎二が高らかに、体中の傷を蟲の肉で補いながら桜を殴る。 「どうして、どうして、どうして、先輩、先輩、先輩…………っ!?」 桜の悲鳴はいよいよ切羽詰まったものになった。 それで直感する。 このままでは桜が■ぬと。 ――――いや、もう桜は■んでいる。 「さくらぁ――――――――っ!!!!!」 桜を助けようと手を伸ばす。 大切な家族を助けようと手を伸ばす。 手がないのに、手を伸ばす。 ……しかし、もう手遅れだ。 だってもう桜は■んでいるから。 だから俺に出来ることは、蟲ごと慎二の頭を殴り飛ばすことだけ。 「さくらぁぁぁ―――――――っ!!!!!」 殴り飛ばされた慎二の頭は、ごろんごろんと転がって、柱にぶつかって蒸発した。酷い臭いが当たりに立ち込める。鼻が曲がる。曲がりすぎて一回転する。激痛に小便を漏らす。 ソレでもなお、桜を助けようと手を伸ばす。 伸びた髭と、ぼさぼさの髪の毛を振り乱して手を伸ばす。 ぼろぼろの服と、身体と、半分石になった体を引きずって、絶叫しながら手を伸ばす。 助けないといけない。 けれど助けられない。 けれど、その手は絶対桜には届かない。だって手がついていない。だって桜はもう■んでいる。 「…………………………………………」 剣を砕け散るのと同時、桜の悲鳴が止まる。 それで理解した。 ついに桜は■んだと。 慎二に■されたと。 ……いや、それはおかしい。 既に桜は慎二に■されたのではなかったか。 ――頭痛が走る。 でも今桜は俺の目の前で死んだ。 ――頭痛が走る。 「あ―――――――――」 死んだ。 ――頭痛が走る。 そうだ。 ――頭痛が走る。 桜は、死んだのだ。 ――頭痛は、もう限界。 …………俺が何も出来ない間に、桜は慎二に殺されて、死んだ。 「あ、あぁぁぁ………………」 気付いてしまった。 だから、悪夢はここで終わり。 「あぁぁぁ、あぁぁぁぁぁぁぁ……………………」 |