――――悲しむことはない、栄光は生き続ける。
士郎は切嗣に買ってもらったお気に入りの青と白のスコップを右手、ウルトラセブンとメトロン星人のソフトビニール人形を左手に、深町マウント商店街のはずれにある公園の入り口に立っていた。 「――――」 六人で、全員子供。年齢は士郎と同じか、少し年上くらいだ。固まって輪を作り、何かしている。士郎はその光景を見て手にもったスコップの柄と人形をきつくきつく握り締めた。つづいてぎり、と音が鳴るほどの歯軋り。 「なにやってんだ、アイツら……」 士郎の喉から子供とは思えないほど低い声が震え出た。小さな肩も震え、握り締めた掌は力を篭めすぎて白くなっている。 「おい、お前、なにか言えよっ」 その女の子が、男の子たちに囲まれ、髪を引っ張られていた。 「おいっ」 よく見るとシンプルなデザインの服も砂に汚れている。女の子は目をぎゅっと瞑り、目尻に涙をためながらも口をきつく結んで悪ガキたちのいじめに耐えていた。いや、耐えていたというより、恐くて声も出せなかった。 「い、いってきます……」 遠坂の家からもってきたお気に入りの服と靴。お父さんに買ってもらった、姉さんとおそろい。それを着ると、明るいお日様の光を浴びていると、楽しい日々を思い出して悲しくなるけれど、思い出している間だけは幸せだった。それを聞いたとき、そんなこと言われても一緒に遊ぶ友達なんて私には居ないけれど、間桐の家に居るよりはずっとマシだと思って、桜はまだ遠坂の色を残す目を白黒させて驚いたが、二つ返事で了承して、家を飛び出した。 「…………」 髪を引っ張られながら、桜は幼心で自分の運命を呪った。どうして自分は遠坂の家を追い出されて、間桐の家に遣られたのか。どうして間桐の家の人たちはあんなに自分に辛くあたるのか。男の子たちが居た近くに綺麗な花が咲いていたから少し見に来ただけなのに、どうしてこんな目に遭わなくちゃいけないのか。どうして姉さんは、あんなに優しくて頼りになる姉さんは、今、助けに来てくれないのか。 「何とか言えって言ってるだろっ!」 どれだけ凄んで見せても何も言わない、言えない桜にあるかどうかすらあやふやな自尊心を傷つけられたのか、髪の毛を引っ張っていた一番肥えた男の子が、甲高い怒鳴り声を上げて桜の体をどん、と突いた。 「きゃっ……!」 自分よりも一まわりも二まわりも大きな体格をした人間から繰り出されたその一撃を受けて、桜はたまらず倒れ、腰とお尻をしたたかにうった。肘を擦り、擦過傷をつくって血が滲む。砂埃がまって、服と髪の毛をさらに汚していく。 「……っ、う」 恐さと痛さに耐え切れなくなって、桜はとうとう泣き出した。痛い。恐い。肘を押さえながら、顔を俯けてぽろぽろと涙を零す。 「へへっ」 そんな桜を見て、一番肥えた男の子は笑った。 「……っく、うぅ、う」 前髪で顔を隠すようにして泣き続ける桜の髪の毛を掴もうと、男の子が手を伸ばす。 「――このやろぉ……っ!」 掛け声に反応して振り返った瞬間。士郎が公園の入り口からたっぷりと助走をつけて繰り出した切嗣直伝の肘鉄を腋腹に喰らって、ぶっ倒れた。腋腹というよりはレバーなのだが、とにかく切嗣に教わったところに中てるだけを考えて、真っ赤に燃える怒りの中で士郎が繰り出した一撃は、士郎よりも一回り大きい男の子にのたうつほどの痛みを与えて余りあった。 「い、てぇっ……」 「――――」 腹を押さえてのたうつ男の子を足元に、桜を背中に士郎は残る四人を見回した。 こういうとき正義の味方ならあっという間にばったばったと悪いヤツら、この女の子を虐めてたコイツらをやっつけることが出来るのだろうけれど、生憎自分の力ではそんなことは到底出来やしないということを士郎は理解していた。 四人がかりでこられたら、いや、二人以上を一度に相手にしたら自分では敵わない。一人一人でもかなり厳しい。だから自分は身を挺してなんとしてもこの子だけは守る、と士郎は心に誓った。 助けたい。悪いヤツらを許せない。正義の味方になりたい。いや、自分は正義の味方になるのだから、なりたいのだから、なったのだから。 こんな女の子に、泣いて欲しくない。 「お前ら、許さないからなぁっ……!」 さて、カッコよく決めてニ人は逃げ出したものの三対一。そのうち最初の肥えた奴も復活して士郎は襤褸襤褸になりながらも何とかニ人をぶった押し、鼻血出してフラッときたそこで肥えた奴に体当たりからマウントで拳の雨を食らう、その前に頭突き、痛がって鼻を押さえてガラ開いたテンプルにスコップの柄をお見舞いした。 起き上がり、腹を蹴り上げる。うぅっ、というくぐもった唸りと桜の嗚咽をバックグラウンドに、残った一人は鼻血と砂埃と痣にまみれた顔で睨みつけて追い払った。ずるずると肥えた子を引き摺って逃げて行く様はさながら戦場での衛生兵を思わせたが、士郎には判らない。 その姿を肩で息をしながら見えなくなるまで見送って、士郎は何故かそういうところには細かい姉的存在に持たされたハンカチで鼻血を拭って、手を拭き、振り向いた。小さいながらも女の子に会い、対するときは身だしなみを整えておくものだと本能的に悟ったのだろう。髪の毛にどこかから飛んできたピンクチラシの紙片が引っ掛かっていたが。60分8000円。 桜は俯き、血が滲む肘を押さえながらただ泣いていた。助けに来た士郎のことも一味だと思って、自分の前に立ったときは震え上がった。 その後のことはよく覚えていない。いきなり始まった喧嘩の叫び声や肉が肉を打つ音に怯えながら、ただ泣いていた。鼻水を啜って、えぐえぐと泣きじゃくった。自分の運命を呪って、何より服が汚れてしまったことが悲しかった。 だから橙を帯びた陽光が、ふと遮られた瞬間、桜は自分の前に誰かが立ったということに直ぐに気がつけなかった。気がつけなかったから、次の 「その、大丈夫?」 という、身を案じる不安気な声が、自分に掛けられたものだということに気がつき、ソレが夢でない、誰かが――姉さんだったら嬉しい、と漠然と思った――自分を助けてくれたことが、信じられなかった。 士郎は何回か心の中で練習して、けれど中々実行に移せず、くそ、なんだってこんなときにこんな気分になるんだ。と己の未熟さを呪った。どんな気分になったかは幼年の可愛らしい女の子が顔をくしゃくしゃにして、えぐえぐと泣きじゃくって鼻を啜って、来ている服が薄桃色のワンピースで倒れたときのままの格好だった、というところから創造できる人だけ想像してもらいたい。詳しくは語れない。 だがしかし、士郎の中の正義の心はそんな疚しい気持ちよりも大きくて固くて筋が通っていた。七回目のトライ、手に浮かんだ汗を拭って声を掛けた。何度もシミュレートしたけれど、シンプルに。けれどありったけの心を込めて。もう大丈夫だから、安心して、笑って―― 「え――――」 桜が顔を上げる。 目と目があって、時が止まった。 遠くから烏の鳴声と、物干し竿を売る宣伝文句。風に揺られてきぃきぃと鳴るブランコのポールが夕暮れの陽りを反射して鈍く輝いた。 「――――――――」 二人以外誰も居ない公園の中で、何も言えず固まる。 片方は驚きに、片方は不安と驚きに。 やがて桜が「え、あ……だ、大丈夫――です」と――肘の傷は思ったよりも酷くないようで、お尻も少しひりっとするけれど勢いの割には痛みはもうひいていた――答えると、士郎は不安な緊張で強張っていた顔をほころばせて、笑った。そうか、良かった。 「あ――――――――」 その声はどちらのものだったか。どこか懐かしい人懐っこい笑顔を見て驚いた桜の声だったか、漸く自体を完全に飲み込んで、この男の子が私を助けてくれた、助けてくれた。ということに感激して、嬉しくて自然に浮かんだ桜の久しぶりの微笑みを見てこれまた驚いた士郎のものだったか。
衛宮士郎と間桐桜の出会いは、なんだか安っぽいドラマみたいなものだった。それも恋愛物。だから、それから二人が仲良くなってそういう関係になるのは語るまでもない。 マキリの屋敷が原因不明の火事で焼け落ちる――現場から遺体は発見されず、間桐臓顕だけがいまだもって行方不明――のは、それから3年後の話で、藤村に引き取られた桜が実質士郎の家で暮らしているのと同じになるのは姉的存在があったとしても難しくなく現実にそうなった話である。 ちなみに親父の遺言は「桜ちゃんを幸せにするんだよ」だったりします。 |