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シロウ&シャーリー

 

 

 衛宮士郎は魔術師である。

 正確に言うならば魔術使いである。そして、遠坂凛とともに魔術教会の総本山「時計塔」へとやって来たは良いものの、その高いレベルについていける筈もない腕前である。
 遠坂が書いた紹介状が有ってなお入学さえ叶わず、だからと言ってこのまま日本に帰るのも癪。凛の知り合いでありライバルであるルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトの屋敷で執事の仕事の合間、その彼女や凛に魔術を教わりながら、同時に紅茶の入れ方などを修練する日々が続くこと七年。二十台半ばになった士郎は、それまで溜めた貯蓄と培った料理の腕を活かし、主のコネを借りて倫敦の外れに小さなレストランを開くことにした。

 勿論正義の味方になるという夢を諦めたわけではない。
 毎日仕込みや掃除、早朝から夜遅くまでへとへとになるまで働いて、けれど魔術の鍛錬は忘れない。幽霊屋敷。そんなあだ名がついていた廃屋敷を安く買い取った自宅の一室には剣やガラクタの山がある。干将莫邪。かつての聖杯戦争で弓兵が愛剣とした夫婦剣。そして黄金の英雄王がその財宝蔵にし貯蔵していた様々な名剣魔剣聖剣。街中から拾ってきた壊れたストーブや、自分で作った同じストーブなどなど。
 ――彼女の剣と鞘を作り出すことが当面の目標であり、最大の目標。
 その目標は七年かけてまだまだ遠い所にあるが、形には為ってきている。腕一本犠牲にすればあの夜やあの森で作り出したモノ以上のモノを作り出せるだろうが、それでは意味が無い。まだまだ未熟。それが士郎が自分を評するときに必ず使う言葉であり、唯一使われる言葉である。

 ここで話をレストラン――モナ・リザ――と廃屋敷に戻す。
 店は二十畳ほどの広さで厨房も狭く、だが機能は整っている。日当たりも良いし、場所も良い。士郎の料理の腕前も相まってかなりの人気店だ。忙しい。だがやりがいがある。不満は無い。ネコの手も借りたいと思うほど忙しいときもあるが、それでもウェイトレスやウェイターを雇うほどでもない。それに給料が払えなくなると困るし、どれくらい払えばいいか判らない。
 だが屋敷になると話は別だ。
 幽霊屋敷、なんてあだ名がつくぐらいにオンボロの屋敷の庭はジャングルの様相を呈している。塀は崩れ、電気水道ガスは全てとまっているどころかパイプやらが破損してしまっていた。雨漏りはするし、壁はくずれ床板は腐り。
 二週間かけて修繕し、何とか人間が住めるようにはした。だが屋敷は広かった。仕事で家を開けがちな士郎が管理できるはずもない程に広かった。
 間を見つけては掃除するが、溜まる埃。抜くが、生えてくる雑草。
 そんな日々が一年ほど続いて、士郎はついにある決心をした。
 
 ――お手伝いさんを一人雇おう。





 扉が開くのにあわせて、備え付けられた鈴が軽やかな音色を響かせる。
 その音に呼応するように首を振り向かせて、士郎は「いらっしゃい」といつものように入店してきた客に挨拶をする。

「ようエミヤ、今日も繁盛してるみたいじゃねぇか」

 常連の客は店内を一瞥すると、士郎に気さくに声を掛けながらカウンター席に着く。
 
「おかげさまでな。いつもので良いか?」
「ああ。それとあれくれ、この前飲んだマッチャとかいうグリーンティー」
「オーケィ。ちょっと待ってくれ」

 士郎の店では常連や日本好きの客のためにと抹茶や梅昆布茶やドクダミ茶など、倫敦で暮らす人々が普通の人生を送るならば恐らく生涯で一度も飲むことのないだろう類のお茶を出している。
 水も茶葉も急須も湯のみも日本から取り寄せた一級品。値段は張るが、味は良い。抜群だ。注文を受けてから水を沸かすので淹れるのに少々時間がかかるのがネックといえばネックだが、それを補って余りある味と値段のパフォーマンスで人気メニューの一つになっている。

「どうだ、最近は」
「最近? そうだなぁ……」

 コンロに火を点ける。士郎は水が沸く間を使って――というかこちらがメインなのだが、ベーコンを炒めながら顔だけで考える仕草をする。

「お客さんがたくさん来てくれるのはありがたいんだけどさ、儲かってるって言えば儲かってるし。けどなんだか家に帰っても寝るだけって感じなのはちょっと寂しいっていうか味気ないな。良い家なのに」

 実際は魔術の鍛錬もしているが、そんなことを一般人の前で口にする訳も無い。

「――でもあれだろ、この前広告出したって言ってたじゃねぇか。どうなったんだよ」

 良い家。あの家がねぇ……。
 思わず呆れる客だが、士郎は気が付かない。というか士郎は本気で自分の家を気に入っているので気にしない。士郎が住んでいる今でも幽霊屋敷のあだ名はそのままであったが。

「ああ、あれかぁ。やっぱりあれくらいの大きさの家ならどこも募集してるからな。一人じゃやっぱり限界があるし」
「それだったらいっそのことどっかの金持ちの女でもひっかけてさ、逆玉っていうのか、乗りゃあいいじゃねえぁか」
「は――? 何馬鹿なこと言ってんだ。お前俺の顔殆ど毎日見てるだろ。俺なんかがもてる訳ないっての」

 何馬鹿なこと言ってるんだ。言葉をそのまま具現化したような表情で断言する士郎を見て、客はまた呆れる。

「――はぁ……。なんつーか、まお前のそういうところが気に入ってるっちゃ気に入ってるんだけど……。逆玉っていやエーデルフェルトだっけ? あのスゲー美人さん。あの人とはどうなったんだよ、結局」
「ルヴィアは俺の雇い主だった人だよ。そういうのは全然無いって。――それに、もしそんなお金持ちと結婚したらその屋敷のコックにされてこの店畳まなきゃならなくなるからな、もうマッチャも飲めなくなるぞ……というわけで、ハイよ、サービスでもう一杯つけといた。だからこの話は終わり」

 そういいながら士郎はサンドイッチとサラダとコーンポタージュをカウンターテーブルに置き、その横にミルクと抹茶を二杯置く。
 サンドイッチの具は炒めたベーコンにレタス、トマト、シーチキンなど。安くて早くて美味い。

「ハイハイ、ありがとさん。けどよ、正直お前のこと良いって人多いぜ、リンダばぁさんも娘の婿は是非エミヤに、って張り切っちゃって張り切っちゃって。まるで自分が嫁に行くような浮かれ様だ」
「――――」
「今すぐにとは言わないけどよ、どうにかしろよ、本当に。……ほいじゃま、頂きます、っと」

 味わって喰えよ、と言って士郎は考え込む。結婚。早すぎる……じゃなくってそもそも相手が居ないじゃないか。まったく、それに正義の味方は一人だけの味方は出来ないんだ。切嗣だって色んな人に手出してたみたいだし――って、

「あれは違うか……」
「ん? 何か言ったか」

 あんな壮大で雄大で綺麗な土下座を十数回も見れたことは俺の人生に何の得も無い、と思いたい。うん。

「いいや、何でも。喰ったらさっさと帰れよ」
「さっさと帰れって……それが客に向けて言う台詞かよ」
「……紅茶一杯で五時間も粘ったことがあるヤツが言う台詞かよ」
 
 



「ごっそさん、それじゃ」
「おそまつさまでした。いつもありがとうね、気をつけて帰るんだぞ」
「へーい」

 扉が開閉するのにあわせて、備え付けられた鈴が軽やかな音色を響かせる。

「……ふぅ」

 最後の客を見送って、士郎は息を一つ吐く。首を上下右左と動かすと、骨がポキポキと小気味よい音をたてた。肩をぐるんとまわし、屈伸を一つ。のしかかる疲労感、だが決して不快ではない。
 ――今日もよく働いた。

「――」

 賑やかだった店内は伽藍としていて、昼食時や夕食時の賑やかな喧騒がウソのように静まり返っている。
 閉店したほかのレストランから安く譲ってもらったテーブルや椅子は痛みが激しかったが、これも屋敷と同じように修繕して使っている。骨子や理念はしっかりしていて、ちゃんと補強してやればあと三十年は使える。どれもこれも中々の仕事だ。職人の気持ちが伝わってくるよう。士郎はこのテーブルと椅子がとても気に入っていた。

「っしょ、と」

 そのテーブルと椅子を磨き、床をモップで洗う。食器類は逐次洗っているので残っていない。だが明日の仕込みと伝票や帳簿の整理などをしなければならないので帰宅するのはまだまだ先になる。
 
 ――そんなわけで、士郎が店を出たのは午後十一時半といったところだった。

「――あー……この分じゃ今日も掃除出来そうにないな」

 街灯でライトアップされた夜道を歩きながら、士郎は考える。己の寝室や生活動線が比較的沢山通っている部屋の掃除は暇を見つけてはちょいちょいやってはいるのだが、普段あまり使わないというか滅多に立ち入らない客間や応接間といった部屋の掃除がここ一ヶ月ほど出来ていなかった。
 埃が溜まった室内を想像するだけで憂鬱になる。掃除魔術とかないかな。あっても俺には出来ないだろうけど。

「腹減ったなぁ」

 きゅるるる〜。外見に似合わない可愛らしい腹の虫を泣かして、士郎はふと立ち止まって空を見上げる。頭上にはさえざえと白い月。月は無慈悲な夜の女王、って誰の小説だっけ。小説といえば最近は本も読んでないなぁ……ハインラインだったかなぁ、夜の女王。

 空腹と疲労と心労。混乱気味の思考を引き摺って士郎は夜道を歩く。
 歩いて、歩いて三十分。漸く自宅にたどり着いた。

「――ん?」

 外門に手をかける――と、

「あ――」

 玄関へと続く小径。そこにある小さな階段に一人の少女が腰掛けているのが士郎の眼に入った。
 黒髪のショートカット。背は低くて体も小さく、顔も幼い。 

「はじめまして……わたし、シャーリー・メディスンと言います……」

 シャーリー。そう名乗った少女は、立ち上がると小走りで士郎に駆け寄った。

「エミヤ……さんでしょうか?」
「ああ……。俺がエミヤだけれど、何か用かな?」

 士郎が問うと、少女はワンピースのポケットから一枚の新聞の切り抜きを取り出した。

「あの……コレを見てきたんですけど……」

 受け取って、目を落す。それは士郎は新聞に出したお手伝いさん募集の広告だった。

・お手伝いさん募集(家事手伝い)
・住み込みで働ける健康な若い人
・委細面談:ベスナルグリーンロード46 シロウ・エミヤ

「と――いうことは、君が?」
「はい」

 確かにそれは自分が一週間前に掲載を申し込んだ広告だ。
 切り抜きから目を上げる。士郎の問いに、少女は小さく頷いてみせた。

「……すまない。店をやっているものだから遅くなってしまった……。いつからここで?」
「えぇと……お昼、ぐらいからです」
「そんなに――!?」

 しまった。士郎は額に手を当てて渋面を作る。今の季節、こんな寒い場所でほぼ半日も待たせてしまったのだ。――体調など崩していないだろうか。不安。とにかく、家に入ってもらう。……応接間ではなく、リビングに。





 リビングの暖炉の前、テーブルに紅茶を置いて二人は向かい合って座っている。

「ええと、シャーリー君だったかな。かなり若そうだけど、今幾つ? それにご両親は――」
「――歳は15です。……その、両親はもとから居ないので……」
「そう、か……。じゃあ今は何処に……?」
「……何処にも」
「――じゃ、じゃあお手伝い……メイドの仕事は初めてかな?」
「いいえ、前のお家で少し……」
「……」

(うぅむ……)

 そこまで聞いて、士郎は口元に手をやって思案に耽る。
 ――生まれつき両親が居ない。それは自分も同じだ。だから別段珍しいことではない。
 だが――今住んでいる場所が無い。というのは少し問題だ。
 この少女には自分にとっての切嗣のような人物が居ないということなのだ。今回のように住み込みの仕事を転々としながら生活をしているのだろう。所謂ホームレス。理由は無粋に詮索しない方が良さそうだが、それを聞いて士郎が放っておける訳が無い。真面目そうな子だし、雇ってもいいかもしれない。だが15歳。子供だ。年端もいかない少女。そんな子を働かせることに、しかも住み込みでにが最善の選択なのかと問われたならば、躊躇なく肯定することは出来ない。いや判らない。法律には――確か日本の労働基準法なら15歳未満は駄目でそれ以上は大丈夫だったか。しかし英国の基準は判らない。

 ――ここは警察か施設に連絡をするべきか。

「――」

 迷う。士郎は口元に手を当てたまま目だけでシャーリーの顔を一瞥する。
 小さな体に、大きすぎるソファー。雑把に切りそろえられた黒髪のショーットカットに包まれた顔は幼くあどけなく、つぶらな瞳は――まるで迷子になった幼子のような色。

(うぅぅぅむ……)

 もしここで自分が断ったらこの子はどうなるだろう。路頭に迷う。判りきっている。15歳の少女が独りで生きていけるほど倫敦の町は優しくはない。
 
(だったら……)

 正義の味方ならば、することは一つに決まっている。
 ポン、と掌を一つ叩いて士郎は立ち上がった。

「シャーリー。俺は君を雇って良いって考えてる。けどその前に一つ質問したいことがあるんだけど、いいかな?」
「は、はい――」
「よし、まず一つ目。シャーリー、君はこの世に魔法使いが居ると思う?」
「え……」

 どうして士郎がそんなことを問うのが判らないのか、シャーリーは目をぱちくりとさせる。魔法使いとは御伽噺とかに出てくるあれのこと……それが雇うこととどういう関係があるのか。
 黒目を右左とせわしなく動かす。ここはどう答えるべきなのだろう。もし間違った返答をして雇ってもらえなくなったらどうしよう。
 不安に襲われながら、シャーリーは士郎を見上げた。笑っているようにも見えるし、無表情にも見える。不思議な人。凄く背が高い。肌の色は褐色で、髪の毛はシルバー……若そうに見えるのに。でも良い人だ、きっと。それがシャーリーの士郎に対する印象だ。紅茶も凄く美味しいし。
 ――魔法使い。
 居るのかな、居たら良いのにな……。二十秒ほど考えて、シャリーはおずおずと口を開いた。

「あの、居ると思います……」
「そうか――」

 一つ頷く。士郎は目を閉じて、しかし直ぐ開く。その顔に微笑を堪え右手を差し出して、言った。

「シャーリー・メディスン、君を雇おう。宜しく。俺の名前はエミヤ。シロウ・エミヤだ」
「――っ!」

 目を輝かせて、シャーリーは勢いよく立ち上がった。信じられない。嬉しい。
 士郎にならってこちらも右手を差し出した。笑みを作ろうとしたけれど、驚きと嬉しさで上手く出来なかった。

「ありがとうございます……! よろしくお願いします……!」

 ぎゅっぎゅっと握手を交わす。士郎の掌に比べて、シャーリーの手は半分ほどの大きさしかない。
 ごつごつした自分の掌に小さく柔らかな掌が重ねられた感触に少しだけ照れながら、士郎はそうそう、と付け足した。

「君を雇うってことはこの家に住み込むことになるわけど、同じ家に住むってことは俺たちは家族になるわけだ。だからマスター、とかそんな呼び方は決してしないように。それから――って、どうかした?」
「――っ! いいえ……!」

 急に惚、としてしまったシャーリーに士郎は訝しげな視線を送る。
 言われて気付いて、シャーリーは慌てて首を振った。顔が熱い。頭がぼうっとしている。
 ――家族になる。
 士郎のその言葉が頭の中で何度もリフレインしている。信じられない。信じられない。どうして初対面の自分にこんなに優しくしてくれるんだろう。いや、これは優しい、どころの話じゃない。
 ふと、先ほどの士郎の質問がシャーリーの脳裏を過ぎった。――魔法使いは居ると思う?

「あ……」

 それで納得した。なんだ。簡単なことだった。そうだ、きっと魔法使いは居るかって聞いた目の前に居る、この人こそが――

「――最後に、俺はね、実は魔法使いなんだ――」

 得意気に――少し恥ずかしそうにそういった士郎を見て、

「私も……私もそう思います」

 シャーリーはそんな言葉を返し、士郎を驚かせ――同時に喜ばせた。





「なぁ、もう一つ聞いてもいいかな」
「はい。なんでしょう……」
「いやさ、お手伝い――メイドって結構募集してるのにどうしてウチを選んだのかなぁ、と思ってさ」
「――」
「――どうかした?」
「いえ……。それが、その……此方だけ年齢制限がなかったので」
「――」
「もう、ここしかないって……」
「――」
「――」
「そ――そうか、うん。そうだったのか。ハハ、ハハハ……」



 
 
「ちょっと汚れてるけれど、君はこの部屋を使ってくれ」

 言いながら、士郎は引越し以来殆ど使われていない家具たち。それにかぶせられたシーツをとりさっていく。

「電気のスイッチは此処で、コンセントのプラグは……無いんだ、ゴメン」

 頬をぽりぽりと書きながら、頭を下げる。すぐに引いてくるから、と続ける士郎。
 シャーリーが案内された部屋は元はこの屋敷の客間に使われていた部屋で、窓の向きも良く、中々広い。だが如何せん古い建物なので、修繕などはしたがコンセントのプラグなどがない。あまり掃除できていない所為もあって室内は誇りっぽいが――

「―――」

 隅に置かれたベッドも衣裳箪笥たちもどれもこれもが年代モノで、けれどそれが逆にアンティークとなって見るもの、住まうものを優しく受け入れる。

「じゃあ今日はもう遅いから、また改めて明日。おやすみ、シャーリー」
「はい。おやすみなさい……」

 そこまで言って、シャーリーの頭の中にさきほどの士郎の言葉が過ぎる。
 ――家族。だから、マスターとかそんな呼び方はしないで欲しい。
 えぇと、それならここは何て言ったらいいんだろう。普通ならエミヤさんかな。でも、家族だったら苗字で呼ぶのは変かもしれない……。

「……し、シロウ……さん」

 語尾が質問調になってしまってうえに、蚊の鳴声のように消え入りそうな小さな声だった。けれど士郎にはきちんと聞こえていて、満足そうな顔でサムズアップしてみせた。ありがとう。そう続けて部屋を後にする。その顔が少し赤くなっていたのは気のせいではない。
 
 ――シロウさん。ってこれじゃまるで新婚夫婦じゃないか――!? 

「……下の名前で呼ばれるのは慣れてると思ったんだけどなぁ」
 
 廊下を歩きながら、士郎はあたまを掻いた。凛やルヴィアや大河――そして、彼女。士郎のことを下の名前で呼ぶ女性は割かし大勢居たのに、どうしてここまで気恥ずかしいのか。

「……そう、か」

 己の寝室兼工房の部屋の扉の前まで来たところで、士郎は合点がいって呟いた。シロウ。ウが小さくなる発音。彼女の発音が、彼女の発音にひどく似ていたのだ。今は遠い妖精郷で眠りについているだろう彼女――セイバーに。

「背格好もちょうど同じくらいだよな……」

 二人の少女の姿を脳裏に思い描いて、しかし直ぐに打ち消す。未練は無い。あるのは綺麗な想い出と、誓い。その想い出も、今は思い出すときではない。 
 扉を開けて士郎は部屋の中に入った。彼を出迎えるのは、簡素なベッドをはじめとした家具類に、投影魔術の産物たち。
 時計に眼を遣る。午前一時。ちょうど良い時間帯だ。
 部屋の中心。そこに結跏趺坐で座り、士郎は精神を集中させる。今日の鍛錬は少し違う。今日作り出すのは――

「シャーリーの服を用意しなくちゃな」

 剣ではなくメイド服だ。そんなもの――衣類を投影出来るかどうか自信は無いが、ルヴィアの屋敷で毎日見ていたし洗濯もしたし縫ったりもしたし骨子や構造などは完全に把握出来ている。
 不可能では無いはずだ。決心して、魔術回路を開く。
 ――言われなくても判っている。後日ちゃんと衣装屋に買いに行くってば。その時間が無いからこうしているんだ。
 さいですか。
 誰に宛てたものでもない言い訳を最後に、士郎は自己を変革させる呪文を紡ぎだした。

「――投影、開始」



 ――三十分後、士郎の腕の中にはそれはそれは可愛らしいメイド服がありましたとさ。

Q.サイズがぴったりなのはどうしてですか。
A.彼女と背格好が同じだからです。彼女の体を完全に把握していた士郎だから出来る芸当です。



「―――」

 士郎が部屋をあとにしてからというものの、シャーリーは見事な家具たちに見惚れていた。その視線の先、ベッドに歩み寄って、そっと手を置いてみる。
 ふわり。そんな感触。手を押し込むと弾力で気持ち良く跳ね返してくる。

「―――」

 ぱぁ、と微笑を乗せて今度は腰を下ろしてみる。そのままばいんばいんばいん。

「―――っ!」

 凄い凄い。ふわふわだ。ふわふわだ。
 年相応かそれよりもまだ幼い笑顔で三回四回五回とばいんばいんばいん。
 
「あ―――」

 十分ほどそんなことを繰り返して、途端シャーリーは我に返った。……私、いったい何をしているんだろう。
 羞恥に顔を紅く染めて、顔を枕に埋める。あぁ、枕もふわふわだ。
 嬉しいような、恥ずかしいような。
 
「……うぅ」

 ――明日からはちゃんと頑張らないと。
 そう決心して、シャリーはそのまま眠りについた。



 翌朝。まだ庭に降り立った小鳥たちの斉唱が響く時間。

「……うん。凄く似合ってる。サイズが合ってて良かった」

 士郎とシャーリーはリビングにある大鏡の前に居る。
 シャーリーは昨晩士郎が渾身で作り出したメイド服を纏って、どこか呆然とした面持ちで鏡の中の自分を見つめていた。そんなシャーリーの後ろに立ち、士郎は感嘆の声を漏らした後何度も何度も頷いている。

「じゃあ替えの分を取ってくるから、ここで待っててくれ」

 袖丈や肩周りなどをチェックし終えると、そう言い残して士郎は部屋を出た。
 バタン。扉の閉まる音を確認して、シャーリーはあたりをキョロキョロと見回す。――うん。誰も居ない。今なら大丈夫。

「―――」

 鏡の前で、くるりと回転してみる。スカートが靡いて、ふわりとパラシュートのように広がった。
 
「―――っ!」

 ――凄い凄い!
 ぶわー! ぶわーって!
 
「―――っ!!」

 鏡に映った広がるスカートを見るや否や、シャーリーは満面の笑顔を浮かべた。
 嬉しくてしょうがないといった風だ。息が弾んで、鼓動がいつもより早い。頬も赤い。瞳は感激のあまり潤んでいる。
 嬉しい。可愛い。凄い。

「……」

 スカートの両端を摘んで持ち上げてみる。スカートと一緒にエプロンも持ち上がって、裾からレースが顔を覗かせた。――そんなことが、シャーリーにとってはたまらなく嬉しい。

(……わぁ)

 そのままちょこんとお辞儀。
 ――おかえりなさいシロウさん。――行ってらっしゃいませシロウさん。
 心の中で呟いてみる。作り笑顔とかは苦手だったのに、今は笑みが零れるのを止められない。鏡の中の自分もとても嬉しそうに笑ってる。
 感動してる。感激してる。
 スカートに、エプロンに、カチューシャに、全てがホンモノだ。憧れていた――可愛らしい、メイドらしいメイド服だ。

「―――……」

 そのまま暫く鏡の前でポーズを取ってみる。――と、扉が開く音がリビングに広がった。

「お待たせ。一応最初にエプロンとワンピースを―――」
「―――!?」

 部屋の中に入った士郎は、鏡の前でポーズを取っているシャーリーを見て思わず動きを止めた。体も、口もだ。一体この子は何をしているんだろう。頭を捻った。シャーリーを見遣る。シャーリーも同じように――此方は士郎の方を振り返ったまま全ての動きを止めている。
 
 ――あの顔は驚いている顔だ。それプラス羞恥に襲われている顔だ。ということは、

 士郎の魔術師としての直感が――

 えーと……どういうことなんだ?

 ――しかし何の役にも立たない。 

「―――」
「―――」

 対峙したまま暫し、沈黙。なんとも言えない妙な雰囲気。
 士郎は何がなにやら判らないといった表情で。一方のシャーリーはあうあうといった表情で。
 ともすれば柱時計が鳴るまで続いただろうソレを打ち破った――先に口を開いたのはシャーリーだった。  

「いえ、その、……スカートがぶわーっと……。
 すみません。あの、こういうのに憧れてたんで……」

 羞恥の色を隠すように頬に手を当てて、俯き加減に話す。
 そんな彼女を見て、

(……そんなことが嬉しいだなんて)

「そ、そうか。うん……。良いよな、スカートがぶわっとなるの。判る。判るぞ」

 ――俺の想像以上に暗い過去を歩んできたんじゃないだろうか。
 ショックを受けながらも、士郎はそう言って笑うことしか出来なかった。理由を聞こうと思えば聞けたのだが、聞けなかった。否、あえて聞かなかった。
 過去になにがあったのか判らないけれど、今彼女は幸せそうだ。嬉しそうだ。笑ってる。
 ならば、今はそれでいいだろう。今は―――。

「―――えーと……」

 対するシャーリーは、士郎のそんな葛藤に気付くはずもなく。ただ、スカートがぶわっとなるのが良い。と言った士郎に何と返していっか判らず困っていた。
 ――シロウさんが変な趣味の人だったらどうしよう。
 さもありなん。



「この部屋が俺の寝室。君の部屋があって―――で、ここがリビング。応接間。あそこがトイレでそっちがバスルーム。それでもってここがキッチンだ」

「掃除道具はここを奥に行って右手側。――どう? 覚えられた?」
「はい」
「じゃあ……前の家でやってたから判るよね、客間と応接間を掃除してくれ。あとリネンも頼む」
「はい。替えのリネンはリビングの隣の部屋の箪笥……で」
「あってる。オーケィ。引き出しの上から使ってくれ――と」

 士郎がそうやってシャーリーに一通り家の中を案内し終えたところで、柱時計がぼーんぼーん、と低い唸り声をあげた。
 古い家なので風通しが良い。思いのほか良く響いて、その大きさにおどろいてシャーリーは肩を震わせた。そんなシャーリーの姿に微笑ましいものを感じながら、体は逆に大慌てでコートを着込む士郎。そろそろ店に行かないと。

「それじゃあ行ってくる。あー、食材やらだけは揃ってるからすまないけれど食事は適当に済ませてくれ、なんなら俺の店に来ても―――えぇと場所は」
「分かります」
「そうか。それじゃあ連絡先も大丈夫だな……っと」
 
 移動しながら会話して、玄関先。靴を履き終えた士郎がシャーリーの方に振り返る。

「じゃ、改めて―――行ってきます、シャーリー」
「はい。行ってらっしゃいませ、シロウさん」

 二人とも微笑みながらだったが、シャーリーはそう言ってぺこりと頭を下げる。
 襟元に飾られたレースのリボンと
 それを見た士郎は家族なんだからそこまでいなくても――と言いかけたが、昨日今日の話だし行き成りじゃ無理か、と考えてそのまま言葉を飲み込んだ。

(ゆっくりいけばいいか……そうだよな)
 
 焦っても良いことなんてこれっぽっちもない。二十数年の中で士郎が学んだ数少ないことの一つ。
 何となくウチに通い始めたときの桜に似てるよな、なんてことを考えながら士郎は家を出た。



 バケツに雑巾箒にちりとりと、少々時代遅れな掃除用具を運び終えたところでシャーリーはこれから掃除をする自分の部屋―――客間を見回した。
 昨晩は気が付かなかったが、良く見ればあちらこちらにほこりが溜まっている。
 試しに、と中央に置かれた小さなテーブルの上を指でなぞると、案の定、

「うわぁ……」

 指先はまっくろけになってしまった。

「……」

 リビングや生活動線が密集する部屋はとても綺麗に片付けられている。この部屋が汚れているのはそれだけシロウさんが忙しいってことなんだ。

「よし」

 ―――ならば断然これからは私が頑張らないと。
 小さな手で小さな握り拳をつくって、シャーリーは小さく気合を入れた。
 本当は家具を一旦部屋の外に出して床から掃除したいところだが、一人では動かせそうにもない。ここはひとまず丁度良いからこのテーブルが片付けよう。
 考えて、シャーリーはバケツを持って部屋の外に出た……ところで、

 くるるるー。

「あ―――」

 雇い主であり家族な士郎、そしてかの騎士王に負けず劣らずの可愛らしい腹の音が鳴った。
 
「……っ!」

 誰に聞かれたわけもないし、今家の中に誰か居るわけでもないのだが、シャーリーは首を左右に振って人影を確認する。いや、条件反射でしてしまった。
 ―――服のことが嬉しすぎてお腹すいてるのスッカリ忘れてた。
 
「ぅ……」

 顔を羞恥に赤く染めて俯くシャーリーの耳に、またくるるるー、という音。
 ―――お掃除はごはんの後にしよう。
 固く誓って、シャーリーはバケツを置いてキッチンへ向うのでした。


 
 隠そうとしても―――と言っても別段士郎にしては隠す気もなにもないのだが、この異国の地で家族が出来たという幸福な出来事にとにかく顔が綻ぶのを抑えられない。
 案の定馴染みの客に不審がられて、ことのいきさつを全て話すこととあいなった。

「へー、良かったじゃねぇか」
「ああ、凄く良かった。―――でも……幾つだと思う?」

 言って、士郎は注文の品のほうじ茶を出す。温度は適温。士魂と書かれた湯のみが何故か日本チックということで人気だ……って、……何だか最近紅茶を頼む客が減ってきたような……自信あるんだけどなぁ。

「……」

 肩肘をつき、パイプをふかしていた馴染みの客――初老の男――はそんな士郎の心の愚痴など知るよしもなく、問いに暫し思案する。
 ――凄く良かった、って割にはなんだか微妙なツラしてやがるな。……ってことは、

「―――60とか70のばー様か?」
「―――」
「……どうした?」
「いや、単純な発想だと思って。―――逆だ。逆」
  
 逆。ということは、つまり―――

「……おい」
「何だ?」

 何かひらめいたような顔をしたあと、途端低い声を出す客。
 それに驚いて、士郎は返答しつつ男の顔をちらりと、だが深く観察する。目は細められていて、瞳の中には―――なにやら、羨望というか嫉みというか汚物を見るというか……とにかく士郎は嫌な予感に襲われた。そして同時に確信する。
 ―――こいつ、絶対よからぬことをぬかしやがる。

「―――幼女の誘拐監禁そのうえ強制労働はじゅうざっ!?」

 予感的中。
 ちなみに男の語尾が素っ頓狂なものになったのは士郎がまな板に果物ナイフを叩き付けたからである。
 ぱかりと割れたまな板。―――果物ナイフのどこにそんな力が。
 戦慄する客。それとはうって変わって士郎は無表情である。こめかみに青筋が浮かんではいるが。

「じょ、冗談だよ冗談……!」
「……あぁ、分かってるさ。そいでもってアンタが俺のことをどう見てるか、よーく分かったよ」 

 抑揚のない声で答えながら、割れたまな板を片付ける。
 ……ちょっとやりすぎたかも。後で直しておこう、と考えなら士郎は調理器具が収められている棚から新しいまな板を取り出す―――勿論消毒済みだ。
 冷や汗をハンカチで拭きながら……英国ではハンカチは鼻をかむために使うものなのだが、この際気にしてはいられない。客はまったくエミヤをからかうのはいつも命がけだぜ、何か嫌な想い出でもありやがんのか、なんてことを心の中でブツブツ呟きながら無表情でグレープフルーツをむき出した士郎に声をかけた。

「で、結局何歳のコ雇ったんだよ」
「―――15」
「は? おい、冗談だろ」
「……冗談じゃない。本当に15歳だよ。雇った、っていうか家族みたいな―――何だ?」
「……いや、さっきの冗談もあながち間違いでもなかったんじゃねー……っ!? だからっ、無表情でナイフは止めろ! ナイフは!」 



「―――」

 キッチン。難しい顔をするシャーリーの視線の先には、白い円筒状の物体。それに記されたるは、カップラーメンたる文字。日本語で。

「……なんて書いてあるんだろう」

 呟きながらちょん、とつっつていみる。
 そもそも食べ物なんだろうか。日本語が読めないシャーリーにしてみれば、発泡スチロールで出来た容器に薄いビニールがかぶせられたコレが(しかも異様に軽い)食べ物であるとは―――即席ラーメンはいまや世界中に広まってはいるが、海外では災害救助時など以外ではあまりお目にかからないのもまた然り―――気が付かない。

(……シロウさんが帰ってきたら聞いてみよう)

 流石に食べ物であることは何となくパッケージを見れば分かるが、よく判らないモノに手を出して失敗などしたら大変だ。元にあった場所に片付けて、シャーリーは椅子に座る。

「―――ぁ」

 足をぶらりんぶらりんさせながら―――実はそれもちょっと楽しい―――シャーリーはまたくるるるーとお腹を鳴らした。あぁ、なんで鳴るの。鳴るな鳴るなと思えば逆に鳴りやすくなってしまうことをシャーリーは知らないけれど別にいいじゃないか。

「……」

 壁掛け時計を見遣る。そろそろ八時前だ。 
 最初はパン類を探していたシャーリーなのだが、『Bread』の棚から出てきたのはパンではなく、そのパンの元になる小麦粉やイースト酵母だった。

『……うーん』

 作り方は勿論知っているものの、オーブンの使い方を教えてもらっていないし、なるべく早く簡単に出来るモノにしようと考えていたのでパス。
 そういうわけで他の場所にないか、と探していて見つけたのが先ほどのカップラーメンだったのだ―――と、八時になった。
 
(どうしよう……)

 改めてキッチンを見回してみる。
 シャーリーの身長では台を使わなければ届かない調理台に、大きな冷蔵庫や同じく大きなオーブンや電子レンジや食器棚や調味料やらが納めれている棚や見たこともない機械―――食器乾燥機。そして床下収納にはお酒。調理台の中には調理器具類。鍋フライパン包丁エトセトラ。
 ―――はじめてみたときも吃驚したけれどやっぱり凄い。
 下手な小料理屋など真っ青な顔して小便をちびりそう(倫敦でこんにちは、の意味。というのは嘘)なキッチンの設備―――とても幽霊屋敷と揶揄されるようなボロランな家とは思えない―――に、シャーリーははじめてキッチンを見たときと同じく心躍らせる。同時にまたお腹が鳴りそうになってきたのを何とかおさえこむ。
 ―――冷蔵庫の中には士郎の言ったとおりかなりの種類の食材が収納されていた。とすれば、

(……やっぱり何か作ろう)

 するほかにない。
 それに、シロウさんが帰ってきたら食べれるように夕食も作る計画なのだ。今のうちにキッチンに慣れておかないと。それにせっかくだから夜の練習もかねて同じものを作ろう。
 ぶらりんぶらりん、すたっ。 
 綺麗に着地。メニューは……一番自信のあるやつにしよう、うん。 




「……疲れた」

 げんなりした顔をして、士郎は溜息を吐き出した。
 一人に喋れば後の祭り―――繰り返し言うが、別段士郎に隠す気はなかったのだが、とにかく質問やらどんな娘か紹介しろやら会わせろやら犯罪だぞやら問答合戦で心労が溜まりに溜まった。心なしか店の周囲に飾られた花たちにも元気がない。―――ちなみに普通窓や入り口の周りに花を飾るのはパブであるが、見栄えが良いので士郎も客も気にしない。

(まな板……)

 士郎はそのまま顔を俯けた。昼間や夕方のことを思い出す。己のつま先からニ、三メートル先に焦点を合わせて、街灯に照らされた道を歩く。
 店はいつもより少し早めにクローズドにしたのだが、それでも陽は落ちきっていた。あたりを包んだ闇は、街灯の光さえも飲み込んでしまいそうだ。

(シャーリーは上手くやってるかなぁ)

 視界に白線がおぼろげに浮かび上がった。信号か。士郎は足を止めた。顔を俯けているので、赤か青なのか判らない。それよりも大まかな説明しか出来ずに仕事を頼んだシャーリーのことが正直心配だ。……だが、来てまだ一日目だ。失敗しないほうがおかしいだろう。俺だって、はじめはおにぎりさえまとも握れなかった。

「―――」

 そう考えると幾分か心が楽になった。それに不安なのはきっと向こうも同じなのだから。
 士郎は顔を上げた。信号は青だった。歩き出す。視界には、青白い倫敦の街。駆け抜けていく風が強い。
 明日はピースーパーかもなぁ、そんなことを考えながらシャーリーの姿を脳裏に浮かべた。
 大人しい娘だけれど真面目そうで―――メイド服をはじめて着たときみたいに年相応の顔をすることもあって……

(良い子だよな……うん)

 彼女のことはまだ殆どわからないし知らないけれど、それだけは間違いない。わからないのも知らないのもこれから解決できる問題だ。

「―――」

 昔から俺って家族運に恵まれてる―――顔も名前も思い出せない両親は別にして―――よな、幸せなことだ。





 ピースーパー。
 豆のスープの意。どろどろしてます。
 倫敦ではスモッグよろしく霧のことをさします。たぶん。





「ただいま―――ん?」

 士郎が玄関の戸を開けると、途端食欲をそそる類の良い匂いが鼻腔をついた。
 まさかシャーリーが夕食を用意してくれた……とか。
 驚き半分期待半分。考えながらコートを脱ぐ。そのコートを畳みながらキッチンへ行くと、そこには、

「へぇ」

 色とりどり、とはいかないし、豪勢とはいかない。けれど士郎の予想通りに、中々いかにもおいしそうな料理たちがテーブルの上に並んでいた。
 しかし、

「―――」

 キッチンの中を見回してみるが、それを作ったろうシャーリーの姿がない。
 料理はまだあったかそうだから―――皿やスープ鍋に触れてみればまさしくあたたかい―――まだ作ってからそんなに経っていないはずだ。
 士郎はコートを椅子に掛ける。激務で腹が減った。きゅるるる。今すぐにでも頂きますしたい気持ちを抑えながら手を洗う。

(……二階に灯りはついていかなかったし……、はて?)

 シャーリーは何処に居るのだろうか。
 ざぶざぶ。手を洗い終わったらうがいも忘れない。がらがらぺっ。
 料理には驚いたし嬉しかったが、士郎は実のところ「お帰りなさい」という言葉を掛けてもらえることも少し期待していた。そういうわけで料理のお礼も伝えたいし、何より食べるのは二人一緒でないと嫌だし、お帰りなさいといってもらいたいし、ただいまって言いたいしで直ぐにシャーリーの顔が見たかったのだが―――

 どたどたどたどたんきゃっうぅ……むくりすたすたがたん!

「なんだ……?」

 そうえいば途中覗いたリビングは灯りだけついていて……士郎がそんなことを考えたときだった。後方からなにやら凄まじく不可解な音が響いてきて、不審に思った士郎が振り向くと同時、

「すみません、気が付かなくて―――!」

 真っ黒な雑巾を手に持って、それに負けじと鼻の頭やエプロンやらを黒くしたシャーリーがキッチンの入り口から姿を現した。どうやら先ほどの音の「どたん」や「がたん」は慌てて移動したために転んだかなんだかしておでこを壁か扉にぶつけたものらしい。証拠に、シャーリーのおでこにちょこん、と控えめに自己主張する赤いはれ。

「っ、おかえりなさいませ、シロウさん」
「……あ、あぁ。ただいま、シャーリー。……って、どうしたんだ、それ」
「―――?」
「顔。それと服、服」
「……かお、と……ふく……?」

 士郎は少々呆気にとられながらも、言いながら視線をシャーリーの顔から体へと移す。
 それに釣られるようにシャーリーは自分の体を見下ろした。

「あ―――」
 
 そこで自分がどういった格好になっていたか初めて気が付いたのだろう。雑巾をばっと裏手に隠すと、少しだけ顔を赤くして俯いた。

「あの、お部屋の掃除が終わって……お料理を作って……暫くはそのまま待ってたんですけど、暖炉が汚れてたのを思い出して……」

 今の台詞を楽譜におこしたならば、デクレシェンド記号が記されていただろう。声は段々と小さくなっていて、最後の方はぼそぼそと呟くようになってしまった。
 
「―――」
 
 士郎はシャーリーの言葉に耳を傾けながら、埃だらけだった部屋や煤だらけだった我が家の暖炉のことを思い出していた。
 ……あれを一人で掃除したのか。軽い驚き。そして、

「……まだ少し残ってるんですけど、すぐに……」
「ありがとう」
「おわりま……―――」
「ありがとうな、それとご苦労様。今日はもう掃除は終わりにして冷めないうちに飯にしよう。配膳は俺がしておくから、ほら、服を変えて顔を洗ってきて」
「ぁ―――」

 ―――感謝の気持ち。
 言いながら、士郎はほら早く早く、と手をぱんぱんと叩いた。
 メイドなのだから掃除をするのは当たり前かもしれない。でも雇い主とかそういうのに関係なく、こういうときはお礼を言って労うのも当たり前だと思う。それは家族だからとか大層なものではなくて、人間なら誰もが持って然るべきものだ。
 
「は、はい……!」

 士郎に促されて、ありがとう、と言われたときの表情―――自分が何を言われているのかよく判っていないような―――のままぽかん、としていたシャーリーは、返事をすると勢い良く部屋から飛び出していった。
 
「―――」 
 
 その姿を見て思わず口元が綻んだ。
 やっぱり良い娘だな。真面目だし、仕事熱心だ。

 どたどたどたどたんきゃっ……うぅ

「―――はは、は……」

 今みたいなところは何となく藤―――い、いや、基本的に大人しい娘だからたまにはあれくらいじゃないとな、うん。そうだとも。そうに違いない。
 




「―――」
「―――」
「―――」
「美味い……」
「……っ。……良かった……」

 シャーリーは士郎の言葉を聞いてゆっくりと緊張の糸をほどいた。
 ほっ、と胸を撫で下ろした後一口スープをすする。美味しい。練習のかいもあって、上手く作れている。
 そのまま掃除で疲れていたこともあって、すいすいと箸―――もとい、スプーンやフォークがすすむ。

「……うん」

 これも上手に作れてる。―――こくこくはむはむ。出来を確かめるように、小さく頷きながらゆっくり食べていく。
 料理屋をやっている士郎に褒めの言葉を貰ったのが本人でも気が付いていないが、かなり嬉しかったようで、その顔には穏やかな微笑みがたえられていた。
 ……だから気が付かない。
 士郎がなにやら不穏な目つきで先ほどからシャーリーを見つめていることを。

(……どうして俺のまわりにはこう料理の上手い女の子ばかり集まるんだろうか)

 間桐桜。
 遠坂凛。
 ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト。
 そして新たにシャーリー・メディスン。

(喜ぶべきことなんだろうけど……やっぱり) 

 15歳。ずるい。若くて上手い。
 ―――でも負けないぞ。
 魔術ならいざしらず、こと料理で衛宮士郎はこんな年端もいかない少女に負けるわけにはいかないのだ―――!

「……これも美味い」

 うぬぬ。
 心の中で唸りながら、士郎は新たなライバルが作った料理を口に運ぶ。―――美味い。くそう。悔しいやら嬉しいやら……って、

(俺、もしかしてかなり凄い娘を雇ったんじゃなかろうか?)

 初日だというのに客間や応接間も吃驚するほど綺麗に掃除してあったし、リネンも完璧だった。
 暖炉も本当にもう少し、というところまで掃除してある。大人しいけれど、礼節はきちんとしているし、真面目だし、さらにここまで料理が上手いとなると――― 

「―――」

 士郎は考えて―――可愛いし、とは考えないところが士郎らしいと言えば士郎らしい―――手を止めると、フォークとナイフを皿の上にハの字に置いた。
 こほん。一つ咳払いをしてから、真剣な顔つきで口をひらく。

「シャーリー」
「……っ、はい」

 突然真面目な声で名を呼ばれたシャーリーが、ぴくん、と小さく肩を震わせた。
 同じくフォークとナイフを皿の上にハの字に置いて、士郎の顔を見る。声と同じに真剣だ。途端、心に小さな不安の芽が頭を出す。
 ―――どうしよう、もしかして本当は口にあわなかったのかな……。

「……」

 美味しいって言ってくれたのに……。
 顔が俯きそうになる。けれど今顔を俯けるのは失礼だ。真摯な態度の人には、こちらも同じく真摯な態度で答えないといけない。
 頑張って、背筋を伸ばす。鼓動が早い。緊張してる。真剣な顔をしたシロウさんの眼って、なんだか猛禽類みたい……。

「シャーリー」
「っ、はい……」

 再度、肩を震わせる。
 そんなシャーリーに、士郎は声音を幾分か柔らかいものに変えて言葉を続けた。

「とても美味しい食事をどうもありがとう。掃除もリネンも良い仕事だった、ありがとう。君を雇って本当に良かったと思う。―――見てのとおり俺はしがないヤツだけれど、これからどうぞよろしく頼む」
 
 言い終わって、士郎は微笑んだ。普段笑いなれていなかったら上手く笑えなかったけれど、精一杯、気持ちが伝わるように。

「い、いえっ、わ、私のほうこそよろしくお願いします……!」

 緊張と不安はどこかへ飛んでいった。
 勢い良くぺこんと頭を下げたシャーリーの顔には、やはり年相応よりは幾分か若い笑み―――というよりは褒められてくすぐったそうな―――が耐えられていた。





 テーブルマナー。
 フォークとナイフをハの字に置くと休憩、また食べます。そろえて置くとこれでお終い、下げてもらって良いですよ。という合図。
 ちなみにフォーク・ナイフ、そしてスプーンは並べてある外側から使うようにしましょう。
 


 

「―――」
「―――」
「……美味しい」
「そうだろう。良い葉なんだ、これ」

 紅茶も負けん!


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