Piano Concerto in A minor. Op.16 T.
/ ゼロ
学園を卒業した私はすぐさま渡英し、時計塔の門下に入った。 セイバーという最愛の人を失ったくせに「未練が無い」と言い張る士郎のことが心配で無かった、といえば嘘になる。事実私は何度も一緒に渡英しないかと士郎に本場での一流の魔術の鍛錬を勧めたし、私が教えてあげられることは聖杯戦争が終わってからの一年間を以って全て教え、叩きこんだ。 勿論魔術の修行ばかりでなく、色々なところへ引っ張りまわして遊びもやった。買い物、映画、遊園地、水族館、公園。聖杯戦争のときの習慣どおりに夕食は殆ど毎晩一緒に食べた。だから、その時の桜の士郎と私を見る視線の下に隠れてる気持ちに気がつかなかった、といえばこれも嘘になって。心配だとか師匠とか何かと理由をつけて士郎と共に居る時間が楽しくない、といえばこれは大嘘も大嘘になる。 そうだ。間違いなく遠坂凛という少女は、妹と同じように衛宮士郎に好意をもっていた。 もって”いた”と、過去形で言ってしまったのには訳がある。こんな女らしくない私の何処が――遠坂という血統に惹かれたのか――良いのかわからないが、とにかく私は時計塔在学時、卒業して正式に協会で働くようになってからは殊更”求婚”というやつを受けた。無論私はその申し出を断った。研究や仕事が忙しかったし、何よりそういったものに興味が無かった。 そうして何年も断って断って断り続けたけれど、遠坂の血筋は絶対に途絶えさせてはいけないのもまた事実で、酷く情けない事に、たった一人での長く厳しい英国生活で心身ともに疲れ、寂しく、人の温もりが欲しかったのもまた事実だった私は、入学したときから割合気があっていて、今も同じ部署で働いていた名門の出のある男性と二十四歳のときに結婚した。 名実ともに押しも押されぬ大魔術師、最も魔法に近い存在。それに恥じぬ盛大な結婚式。 多くの人々が祝福してれた。あのルヴィアでさえ涙を流して喜んでくれた。良かったですわ良かったですわ、幸せになってください。けれどソコにかつての日本での級友たちの姿は無い。魔術師同士の、しかも名門同士の結婚なのだ。一般の人間が招待されるはずもなく、私が呼ぶことも許されないと判っていても、そこに士郎や桜や綾子たちの姿が無いのが――誓いの口付けを交わした男性が士郎でないことが――少し、悲しかった。
/ イチ
気がつけば私は二十九歳になっていた。 日本には七年前の春に一度帰って以来一度も帰っていないどころか、連絡さえここ何年かはしておらず、そのくせ大事な任務で先祖代々続くうっかりをやらかした私は協会をおわれてしまった。いつもは頼りになる宝石翁がどうしてその時はふらりと何処かへ姿を消していて――いや、そんなことは関係ない。私のミスで協会と教会が手を取り合った作戦が台無し、どころか双方の部隊が壊滅に近い被害を負ったのだ。どちらにせよ私が協会をおわれることに変わりは無かっただろう。 不幸、と呼んでいいのか判らないが、悪い出来事は続くもので、それから数ヶ月経ったときに二度目の流産をした私は子供が産めない体になった。受精及び受胎は完璧だった。そういう風にしたのだから。けれど私の体がいけなかった。 それが原因の全てではないが、私は体の快復が整うやいなや向こうの家から離婚を告げられた。 相手の男性を愛している、と錯覚していたのはその時までだった。私にかけられた優しい言葉や立派な工房や資金の全ては、遠坂の血を得るためだけに用意されたものだったの判ったそのときまでだった。 別に私が直接孕まずとも子孫を残そうと思えば残せるのだが、銘にこれ以上傷をつけられるのが嫌だったのだろう。遠坂の血統は文字通り堕ちたということだ。 罵詈雑言をしこたま浴びせられた私は今までの研究の成果と呼べるもの、地位や、名誉や、お金や、宝石、矜持さえも奪われて、英国を追放された。 そして今私は、本当に心身とも疲れ果てて、やつれた酷い顔を隠すために馬鹿みたいな化粧をして、小さなボストンバッグを片手に駅の出口に立っている。とても懐かしい、冬木の街の景色を眺めている。
/ ニ
街並みは殆ど変わっていなかった。レストランがつぶれて駐車場になっているとか、コンビニが増えているとか小さな差異はあったけれど、あの公園はずっとあのままだったし、別段大きな建物が増えているわけでもなかった。私が認識できる範囲内で、だが。 これまた懐かしいバスに乗って――何が珍しいのか。人々の奇異やその他色々な視線を集めながら私は遠坂の屋敷に帰ってきた。門の前に立ち止まって、顔を上げる。瀟洒なレンガ造りの我が家は、あの日のままの優しさと厳かさで私を迎えてくれた。 次に庭に目をやって、思わず涙を零しそうになる。 「あの馬鹿――」 お前がいつ帰ってきてもいいように屋敷の掃除は定期的にやっといてあるからな――。 七年前の士郎の言葉。その言葉どおりに、庭の草木はきちんと手入れされていて、屋敷にはいって荷物を下ろしたときには、もう我慢できずに声をあげて泣いた。埃ひとつ落ちてない居間に、カーテンがしめられているにもかかわらず光沢を放つ食器たちに、お気に入りだったティーカップ。 「……っ」 士郎。 士郎、士郎、士郎。 結婚してから、離婚したきもずっと考えないようにしていたのに、せきを切ったように士郎の姿が脳裏に浮かんでは焼きついてく。 私はもっと強い女だと思っていた。そう、過去形だ。私は自分で思っているよりもずっと弱い女だった。 会いたい。今すぐに。 一頻り泣いて鑑賞に浸った後、化粧を直すのもそこそに、私は屋敷を飛び出した。
/ サン
住宅街の坂道を駆け下りて――途中にあった間桐の屋敷の姿も、昔と殆ど変わりなく――そのまま一息に向かい側の住宅街の奥まで走り抜ける。 「はっ、はっ、はっ……」 士郎の家、衛宮の屋敷の門の前に立って、膝に手をついて肩で息をする。 こちらの住宅街はまったくと言っていいほど変わっていなかった。藤村先生の藤村組の冗談みたいに大きな屋敷も、それには劣るけれどこちらも立派な衛宮の屋敷も。 新しく建った家も無く、まるでこの住宅街だけあの日から時間の流れに取り残されたようだった。 「――――何、これ」 そう。
衛宮士郎 綾子 晴香 この、わけのわからない文字が刻まれた、小奇麗な表札以外は。 / ヨン
門をくぐり、小径を歩いて懐かしい引き扉の前に立つ。インターホンを押して待つこと十と数秒。はーい、と。記憶よりも少しだけ低い、けれど済んだ綺麗な声が響いて、次にぱたぱたとスリッパが廊下を駆ける音が徐々に私の方に近づいてくる。 「どちらさまですか――――」 がらら、とすりガラスの扉を開けて現れた声の主は口を”か”の形にしたまま固まって呆然と立ち尽くしている。その声の主の女性は私の親友だ。今年で私と同じく二十九になるだろう美綴綾子――今は――はショートだった髪型と背丈をそのままに、胸や体のラインをふっくらと女らしく美しく。同姓の私から見てもそこいらの美人とは比べ物にならない程美人、という形容が似合うと感じられた。 「……とおさか?」 「――久しぶりね、美綴さん。いえ、今は衛宮さん、かしら」 「あ――? あぁ、今年で六年目になる――って、お前いつ帰ってきたんだよ。長い間連絡のひとつもよこさないで」 心配してたんだぞ、とバシバシと私の肩を叩く綾子。今の私はどんな顔をしているだろうか。目の前のかつての親友と同じく吃驚したり恥らったり喜びながら怒ったりしているだろうか。人間らしい顔をしているだろうか?まさか。きっと歪に歪んでいると思う。それを人は微笑みと呼ぶだろうことが中々滑稽。 「ほら、上がれ。もう直ぐアイツも帰ってくるし」 それから十数秒間。一通り言いたいことを吐き出したのか、綾子はにこやかな表情でそう言いながら来客用らしいスリッパをそろえてくれた。 ――そんな彼女の指には勿論婚約指輪が輝いている。 「…………」 「――どうした?」 「いえ、なんでもないわ」 自然、視線が吸い寄せられた。同時にそれをはめている――はめてもらっている自分の姿を想像して、直ぐにそれが夢想に過ぎないと、お前は何もかも失ったのだという現実を顧て虚しくなる。 「おじゃまします」 そう、私はここでは邪魔な存在。けれどそれがどうしたというのか。 ――もうすぐ帰ってくる。 そう、もうすぐ会えるのだ、士郎に。 訝しげな視線を送ってくる綾子にひらひらと手を振ってから、私は一度も見たことがないスリッパを履いた。
/ ゴ
屋敷の中はあの時に比べるとかなり変わっていた。あまり物を買わない士郎が家主なものだから衛宮の屋敷は良い意味ですっきりしていたが、悪い意味では幾分か殺風景だった。それは彼が家族と称していた人々が長い時間を過ごす居間にも当てはまることで、座布団――がインテリアと呼べるかどうか判らないが、そういった類の物は花瓶といけられた花、それも恐らく桜が飾った物しかなかった。 (――まぁ綾子らしいといえばらしいけれど) それがどうだ。その居間にはいかにも、といったおおよそこんな日本の屋敷には似合わないクッションやらぬいぐるみ類やらが所狭し、とまではいかないものの、多数並べられて賑やかどころの話ではない。私が現在腰を下ろしているのがデフォルメされたひまわりの花の形をしたクッションであり、テレビの上では小さなライオンを筆頭にした動物たちが愛嬌をふりまき、かつて花瓶があった場所には大きなクマの――確かプーがどうとかいうのが鎮座し、壁にはポスターが、時計からはハトが、床は畳の上にふわふわのマリンブルーのカーペットが……と、コーディネイトした人間の感性を疑いたくなるような状況である。 「結構高いのよ、この紅茶」 「ええ、美味しいわ」 これでは憩うどころか落ち着かない……と感じるのが普通だと思うのだが、目の前の人物は良い部屋だろ、といって憚らない。あぁ、そんなことより私は貴方が淹れたお茶ではなくて士郎が淹れたお茶が飲みたいのだが。ブレイクにアーリィモーニングにブレクファストにイレブンズにアフタヌーンにハイにナイトキャップ……と、英国では毎日とにかく紅茶を飲むのだ。綾子の言うとおりコレは良いアールグレイだけれど、はっきり言って飽きてしまった。いや、嫌いになってしまった。思い出してしまうのだ、幸せだと錯覚していた日々のことを。だから本当に幸せだった――当時は間抜けなことに気がつけなかったかれど――を思い出せるだろう、士郎の淹れた日本茶が飲みたい。 「表札に書いてあったけど、確か晴香ちゃんだったかしら。幾つになるの?」 「今年の夏で七つ。もう小学生だよ? 子供の成長ってのは早いね、まったく」 良いでしょう? ソレぐらい。本当は全部欲しいのだけれど、それだと恐いから。なくしてしまったときが、恐いから。 ――まて。 七つ? 7歳、って、どういう、こと? 「え――」 「実は出来ちゃった結婚ってやつなんだ、あたしら。正確には出来ちゃってじゃなくて産まれちゃった結婚だけど」 そんなの簡単。夏に産まれたってことは私が前帰ったときはもう綾子の中には士郎の赤ちゃんが居たってこと。きっとずっと前から二人はそういう関係だったってこと。 私には全く教えてくれなかったし、私は全く気付きもしなかったってこと。 そして、 「その……実は二人目もね、えへへ、今月で四ヶ月目」 学生時代には一度も見せなかった幸福そうな表情。頬を僅かに染めて俯きながらそんな言葉を吐いたかつての親友は、私なんて足元にも及ばないほど幸せに満ち満ちているということ。
/ロク
それから三十分ほど目の前の女はぺちゃくちゃとくだらない事を喋り続けた。私はそれに適当に相槌をうち、ときには幽かに目を見開いて驚いてみせ、時には息を漏らして感嘆してみせた。 「それでさ―――っと、遅いな、そろそろ帰ってくる時間なんだけど……」 だが、途中からどうしようもなく頭が痛くなってきて、何か適当に理由をつけて話を終わらせよう―――それが無理ならば、力づくでもこの女を黙らせよう。そう考え始めた頃に、時計を横目で見た女が訝しげな表情と声で呟いた。 「私、探してくるわ。家に戻る用事もあったから、ついでに士郎が居そうなところを見てきてあげる」 何でも士郎はアイツらしいというか何というか、警察官になったらしい。仕事は忙しく、今日はたまの非番だったらしいのだが、私が来訪する一時間ほど前に呼び出され、―――何か厄介な事件でもおきたのだろう。血相を変えて家を飛び出したのだという。ちょうど、今くらいの時間に帰るとだけ告げて。 「……そうか、悪いね。そうしてもらえるの助かるよ。本当はアンタに晴香の迎えを頼んで私が探しに行こうって考えたんだけど、晴香人見知りするから―――」 くだらない話の中で得れた唯一と言っていい有益な情報を頭の中で反芻しながら立ち上がって告げると、女は賛成したが、それから何か意味のワカラナイことを口走りだした。私に娘を―――とか何とか。私は最後まで聞いても不快になるだけだと瞬時に判断して、ええ、とか適当に返事だけを返しながら刻印に魔力を通し、この街に常に監視のために巡らしてある使い魔たちからの情報を解析する。 「―――」 居た。士郎は、新都の方にあるホテル街に居る。 ―――微力な魔力の直ぐ傍に、強大な魔力を感知――― つい、今、この瞬間まで存在を忘れていた私の妹と一緒に、居る。
/ナナ
もしかしたら、私は哂ったのかもしれない。 「―――やるじゃない、士郎」 ……なんだ。そういうことか。なんだなんだ。 「―――やってくれるじゃない、桜」 腹がたつったらありゃしない。
/ハチ
化粧髪型着衣を整えて、衛宮の屋敷を出る。思考は冷たく冷静に。脚は向うべき場所に向けて、寸分の狂いもなく地を踏みしめて行く。 「……この場所は……ねぇ、士郎」 ―――貴方の思い出の場所だもんね。 そんな場所で、そんな場所で……あぁ、想像しただけでなんてこんなにも心が躍るんだろう。何でこんなにも居た堪れない気持ちになるんだろう。何で嬉しい気持ちとは別に、残念に思う気持ちが湧いてくるんだろう。 「―――セイバー……アンタだったら、今の士郎を見て何て言うのかしら」 手すりに両肘を乗せて、目を細めてゆっくりゆっくりと太陽と水面とのはざかいがあやふやになっていく様を見つめる。風がかけぬけていって、髪を揺らした。トラックが通るたびに橋は幽かに揺れて、私の視界もそれに合わせて幽かに揺れ動く。 「だった筈なのに、ね……」 それがまさかこんなことになっているだなんて、彼女は思いも想像も空想さえしないだろう。今、彼女は伝説のとおりにいずれ来るだろう復活の日に備えて、かの妖精郷で眠りについているのか。それとも座に座り、守護者としての勤めを果たしているのだろうか。昔に、未来に召喚され、終わることのない――― 召喚、され――― 「―――」 今。 「ふふ―――ふっ、ふふ、ふ―――」 可笑しい。可笑しくてたまらない。 「……とお、さか……?」 その懐かしい声を聞くまで、私はずっと哂っていた。
懐かしい声は、神秘。一瞬にして私の脳神経をかけめぐる。あんなことを考えて哂っていたというのに、途端に、惨めに、おぼこのように暴走しだす心臓。 「ねっ――とおさかせんぱい……?」 落ち着け。息を吐く。そしてゆっくりと振り返ったその先には、記憶よりもずっと背が高く、体格が良く、髪は白髪、肌はくすんだ褐色に――とてもとても誰かに似た、そんなのどうでもいい、士郎、あの士郎、会いたかった士郎。口をぽかん、と開けて驚愕の……まるで、幽霊でも見たかのような表情をしている士郎と、同様に驚いてる――憎たらしいほどに女らしく美しい桜の姿。 「――こんなところで会うなんて奇遇ね――久しぶり、二人とも」 心を落ち着かせるように、優雅に髪をかきあげる。動作とは裏腹に心は無様。涙が出てきそうだったのに、自然に笑うことができたのはどうしてだろう。今すぐ駆け寄って胸に飛び込んで抱きしめて欲しいのに、私はどうでもいい空虚な言葉をほざいてる。 「遠坂……?」 「七年ぶりね。元気だった? 私の方は向こうで色々あって……あー、お邪魔だったかしら、もしかして」 寄り添うように近い距離で立ち尽くしている二人の姿を見て、そんな虚しいことをほざいてる。 「……っ」 それだけで、士郎が私の名を呼んで、士郎が私を見つめている、というそれだけのことで、脳髄は蕩けそうになる――だから、直ぐに気がつくことが出来なかった。 「――っ!」 ……私に向けて、とてもとても綺麗に微笑んでいたことに。 「遠坂」 ぎり、と歯をかんだ。 「遠坂」 ぎり、と掌を握り締める。 「――」 明らかに雰囲気が変わった私を見てふん、と鼻で笑う桜――そうか。別に構わない。やるというのなら、徹底的にやってやる。後悔させてやる。後悔すら出来ないように、あの女と同様に―― 「っ、遠坂……!」 「え――?」 思考が、停止する。 「馬鹿! 帰ってくるんなら連絡くらいしろ、何年も何年も連絡しないで、皆心配してたのに、なのにひょっこり帰ってきて……あぁ、馬鹿。くそ、とにかく、馬鹿! この大馬鹿野郎……っ!」 士郎はわたしをとてもつよいちからでだきしめながら、どなる。 「あ、う……」 思考することが出来ない。上手く喋ることができない。厚くて、大きい胸板。暖かい。力強い、逞しい腕。体。良い匂い。暖かい。士郎。士郎。士郎。大きい。顔が熱い。心臓が馬鹿みたいに、暴れまわっている、口から飛び出しそう。血液が沸騰しそう。士郎。顔が熱い。きっと、完熟したトマトみたいに真っ赤になってる。 「本当に、心配してたんだ。何かあったんじゃないかって、外国だし、お前だし。……電話したんだ、手紙も、けれど全然届かないし、繋がらない。住所とか変わったんなら、ちゃんと教えろよ、馬鹿」 声のトーンが落ちる。抱きしめる力が、緩められる。それが悲しくて私も士郎の背中に腕をまわす。きゅっと力を――入れたいのに、体に力が入らない。視界の隅で桜が酷く凄まじい形相で私を睨んでいる。どうでもいい。そんなこと。お前なんか、どうでもいい。 「……ごめん、なさい」 「っ、馬鹿! 謝ったくらいで済むか!」 士郎が私から体を離す。それがとてもとても悲しくて、服を握ろうとしたのだけれど、やっぱり上手く力が入らなかった。 「あっ……」 ぼう、とした声だった。自分のものとは思えない。けれど確かに私の声だった。 「――」 士郎は私の両肩に手を置いて、真剣な表情で私の両の眸をじっと見つめる。 「――はぁ、あ」 いや、サウナなんかじゃない。そんなつまらないものじゃない。 「――――おかえり、遠坂」 士郎の表情が、ふっと緩む。そしてそんな私に向って、本当に、心からの笑顔でそんなことを言う。 ……暮れなずむ夕日を背にしたその姿は、眩しいくらいに、尊く、綺麗だった。 |