私の一日は、雨戸を開け放って新鮮な空気を取り込んで、換気をするところからはじまる。
士郎さんと一緒に寝ているときは、それから彼を起して一緒に朝ご飯の用意をするのだけれど、今日みたいに士郎さんが土蔵で寝てるときは縁側の戸を開けて、サンダルを履いて、士郎さんを起しに行くために庭に出る。
庭に出て、朝日に目を細めながらまずは大きく欠伸を屈伸を一つずつ。
それから深呼吸をすることも忘れない。
朝の清々しい澄んだ綺麗な空気は、体の隅々にまで行き渡って、すこし寝ぼけ気味だった私の頭と体を完全に覚醒させてくれるのでとても便利――士郎さんから教えてもらった――なのです。
目が完全に覚めてすっきりしてから、転ばないように気をつけてサンダルをぱかぱか鳴らして歩く。
ちゅんちゅん、と賑やかなすずめの声の中。
春の暖かい日差しの下に居ると、心までぽかぽかしてきて、このまま眠ってしまいそうに…………
「……だ、駄目ー!」
……いけない。
私はぽーっとしているから、気を抜くと直ぐに呆けっとしてしまったり転んだり眠ってしまったりしてしまう。
「えい」
ぴたんと、頬を軽く叩いて気合を入れる。これは士郎さんに教えてもらった方法で、今の私のお気に入り。士郎さんはぴしゃって気持ちの良い音を立てるのだけれど、頬が腫れて痛そうなので私はいつも軽めに叩く。
「……うん。落ち着いた」
気分を取り直して、今日は凄く良く晴れてて洗濯日和だなあ嬉しいなあなどと考えごとをしながら、ぱかぱかと快調にサンダルの音を響かせて歩くこと20秒ほど、土蔵の前に到着。
「……何時見ても立派だなぁ」
昔ながらの面影を残すそれを見て感嘆の息を一つ。
士郎さんは大き目の物置みたいなもんだよって言うけれど、家族5人で小さなアパートに住んでた私にしてみれば、この土蔵だって凄く立派に見える。それは家も同じで、はじめは広すぎてどうにも落ち着かなかった。今は慣れたから大丈夫だけれど、それでも士郎さんと一緒の部屋に居ないと少し落ち着かない。それに大きなお家はお掃除するのが大変だ。うぅ。
でも士郎さんと一緒に掃除をするのは楽しいので好きだ。だから休日の掃除だけは楽しみだったりする。勿論お料理も洗濯も。けれど、そのどれの家事をとっても私より士郎さんの方が上手だからまいってしまう。
(……今度とっくんしておこう)
心の中で決心しながら、鉄で出来た分厚い扉の取っ手に手をかける。
古い、立て付けの悪い錆びた蝶番の土蔵の扉はとても思い。開けるときにぎぎーって怖い音がするし、私の力だと開けるのに一苦労だなのであまり好きじゃない。
でも士郎さんを起さないといけない――起すのは好き――ので、殆ど毎日、がんばって開けている。
「よいしょ」
と掛け声をかけて、体重を使って一気に開ける。
このとき、たまに取っ手を掴んだ手を離してしまって後ろにこけてしまうので気を付けないといけない。
ぎぎー
と。
予想どおりの音がして扉が開く。
開け放った扉から、土蔵の中に朝の空気と日差しを送り込まれていく。
舞った埃が、日の光をきらきら反射させてとても綺麗。だけど埃が溜まっているのにお掃除しないのは良くないと思う。よく言っておかないと。
「……むー、発見ー」
士郎さんはいつもどおりに、真ん中あたりにひかれたシートの上に丸々ようにして寝ている。そうやって眠る姿も寝顔もなんだか犬みたいで可愛らしい。
士郎さんや蒔ちゃんたちは私の方が子犬みたいだっていうけれど、私は士郎さんの方が犬っぽいと思うし、私は全然犬っぽくないと思う。どうして私が子犬っぽいだなんて思うんだろう? 本当に不思議。
士郎さんにゆっくりと近づいて、膝をつく。
思わず髪の毛をわしゃってやりたくなるのを我慢。
肩に手をかけて、僅かに体を揺すりながら声をかける。
「士郎さーん、朝だよー、もう起きないといけないよー」
「……ん。……おはよう、由紀香」
土蔵の扉の開く音と、入り込んできた涼しい空気に少し目を覚ましていたのか、士郎さんはすぐに返事を返してくれた。
起き上がって私の方に向き直る。
けれど、夕べも遅かったのか、士郎さんはまだ夢半分といった感じだ。
目はきちんと開けらていないし、口はぽーっと半分だけ開かれている。
どう見ても寝不足だった。
毎日仕事から帰ってきて、ゴハンを食べてお風呂に入った後、道場や土蔵で鍛錬――自分を鍛える修業みたいなことをやっているから仕方が無いと言えば仕方が無いのだけれど、……やっぱり、睡眠はちゃんと取ったほうが良いと思うし、何より、その……あの、眠るのは二人一緒が良いなぁ……なんて。
「あ……またここで寝ちまったか。いつもすまない」
「ほ、ほんとだよ。あの扉開けるの疲れるんだよ」
目をこすりながらのんびりした口調で喋る士郎さんに言い聞かせるように、一緒に寝たいと思った恥ずかしさを払うように、私はすこしきつめの口調で喋る。
「……本当にすまない。今日からはきちんと部屋で寝る」
それで目が覚めたのか、士郎さんは軽く頭を振ったあと、目をしっかりと開けて私に語りかけてくる。
その表情はとても真剣だ。
こういう顔をするときの士郎さんはびっくりするほど真摯で頑固で、意志が強くて、絶対に嘘を言わないって分かる。
でも、
(……うー、いきなりそういう顔をするのはずるいと思うなあ)
不意打ちでそういう顔をするのは勘弁して欲しい。
何だかほっぺたが熱いし、頭がぽーっとしてきたし。
あわわわわ、これはまずいよう……。
「ほっ、ほんとに?」
ほ、ほら! やっぱり声が上擦ってるよう!
「本当だ。約束する」
私のことなど知ってや知らずか、真剣な顔を一段と引き締めて真剣な声で言う士郎さん。
……うぅぅー、だ、だからその顔でその声を喋るのは反則だよぅ。
「……でもっ、き、昨日もそう言ったよ?」
あわわわわ、本当はこんなこと言いたくないのに頭の中が真っ白になって上手く喋れない。
しかも士郎さんは気まずそうな顔をして何やら考え込んでしまっている。
あーあーあー! ちがうのちがうのー!
「……ごめん。謝って済むことじゃないけど、本当にごめん」
士郎さんは私に向かって深々と頭を下げる。
ああ……どうしよう。気まずい。気まずいよう。
何だか毎日こんなことをしてる気がするけどよく分からない。
私が悪いのか。士郎さんが悪いのか。
余計なこと言った私……でも土蔵で寝ちゃう士郎さんの方が……。
などど、私がわたわた混乱していると。
「……お詫びにさ、何でも一つお願い聞くからさ、それで許してくれないか」
士郎さんが顔を上げて、照れくさそうに、苦笑しながら言った。
「…………ふぇ?」
その台詞があまりにも予想外だったので、私は間抜けな意味の無いつぶやきを洩らすことしかできなかった。
ぽけーと目をまん丸にしてほわーと開いた口が塞がらない。
頭の中を今の台詞がこだまする。
お詫びに? なんでも? お願いを? 聞いてくれる?
単語が紡がれるのにあわせて、ゆっくりと意味を理解していく。
つまり、士郎さんは土蔵で寝ちゃってたお詫びに私のお願いを一つだけ聞いてくれる。と。
うーん、これは予想外というか士郎さんらしくないっていうか。嬉しいというか恥ずかしいっていうかすこし申し訳ないっていうか。
(……でも)
実際のところいきなりそんなことを言われても困ってしまう。
別に特別欲しいものもないし。
旅行とかに行きたいわけでもないし。
高級なレストランでお食事するよりもお家で食べる方が良いし。
私は今のままで充分幸せだ。
だから、士郎さんにして欲しいことなんて――――
「あ――」
――あった。
「えの、えーと、……本当に、何でも聞いてくれるの……?」
「ああ。その、いつも迷惑かけてばっかりだから何かお返ししなくちゃな」
申し訳なさそうに、照れくさそうに、頬をぽりぽりと掻く士郎さん。
「それじゃあねぇ――――」
私はそんなそんな士郎さんを見つめながら。
「今夜は――――」
今私が浮かべられる。
精一杯の笑顔で――――
「一緒に――――」
――――お願いをした。
ちなみに、衛宮家に赤毛の子犬のような新しい家族が一人増えるのは、それから約10ヵ月後のお話。
END
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