ギリシャからの交換留学生のライダーさんは、ありきたりな表現かもしれないけれど、それこそ女神のように綺麗な娘だと思う。 白磁の陶器みたいな滑らかな肌に、すらりとした長身――身長は俺と同じくらいで、抜群なんてちんけな評価が申し訳なくなる奇跡のようなプロポーション。 普通なら鬱陶しいと感じるだろうとても長い薄紫の髪の毛も、不思議な形の瞳孔を持った瞳も、何も気にならない。 歩くだけで、喋るだけで、居るだけで絵になる。見惚れる。 彼女をモデルに彫刻を彫れば、それこそミロのヴィーナスと同等、それ以上の芸術品になるのではないか。 それに加え向こうで習っていたらしい日本語はとても流暢だし、礼儀正しいし。日本に来てからまだ一週間、学校に来てからまだ二日しか経って居ないのが、告白された数はそれこそ数え切れないだろうと思う。 「……宜しくお願いします、シロウ」 そして、そんな娘と席が隣同士になってしまい、クラスの男子、他のクラスの男子、他の学年の男子、一部の女子の射殺すような視線と怨念に曝され続ける俺は、とんでもなく幸せ者なのか、それとも不幸者なのか。 「……あぁ、よろしく、ライダーさん」 ……個人的には前者であることを信じたい。それはもう全身全霊で。 ライダーさんと教科書と正義の味方 「シロウ」 三時間目の現国の授業の初め、隣の席に座っているライダーさんに声を――顔を寄せて、俺の耳元で囁くように――掛けられた。 「……っ!」 思いがけない出来事にどきっとする。 「なっ、なにかよぅっ、ライダーさん……!?」 がたっと椅子を引いて移動して距離を取って振り向き、慌てながらもなんとか声を裏返さずに返答しようとして失敗。思い切り声が裏返った上に軽く噛んだ。 「……すいませんが、その、教科書を見せていただけますか?」 ライダーさんは距離を取った俺を見て一瞬悲しそうな表情をしたが、素っ頓狂な俺の声と様子が可笑しかったのか、口元に微笑を湛えると、すぐさまそう言って礼儀正しく頭を下げた。 「――――」 それを見て、声を掛けられたときに飛び上がった心臓と茹で上がった頭が落ち着いた。ライダーさんの笑顔――といえるかどうかわからないが、とにかく穏やかな顔を見ると、何故か心から淀みというか、そういうものが綺麗さっぱり無くなってしまうのだ。 「あぁ、ソレくらいお安い御用だ。……はい」 今度は声は上擦らない。頭を上げたライダーさんに教科書を手渡す。 「なぁ、ごと――――」 うくん、悪いけど教科書見せてくれないか。 「――――」 思考が停止している。 ……有り得ない。 「…………」 ぎぎぎぎ、という古びた蝶番を開けるような音が聞こえてきそうな機械的な動きで、ゆっくりと後藤君の方を向いていた首を身体ごと回転させる。 ――――そこには、案の定、 「……どうしました、シロウ?」 自分の机をぴったりと俺の机に密着させ、おかしな動きをした俺を怪訝そうな表情で見つめるライダーさんが居た。 「…………はは」 乾いたような熱いような潤んだような変な笑い声。 ……そうだよな、そうだよな、そうだよな。 「…………っ!」 ごくりと唾を飲み込み、ライダーさんにその台詞を言うために意を決する。どこかで「何だ、情けないぞ、士郎」という懐かしい声が聞こえた気がしたが無視だ、こんなところで死ぬわけにはいかない。俺は正義の味方に成らなければいかないのだから。 「……ライダーさん」 ライダーさんが小首を傾げる。無茶苦茶可愛い。 「……その、俺、後藤君に見せてもらうからさ」 話の意図が見えないのだろう、生返事。それさえも綺麗な声。 「ライダーさんは俺の教科書、その、一人で使ってよ」 言って、手を掛けて机を離そうとする。その瞬間、聞き耳を立てて――というか、恐らくは全感覚神経をこちらに向けて研ぎ澄ましていた男子からの殺意が薄まった。 「……よっと」 椅子から腰を浮かし、まず机を離す。 「……シロウ」 ライダーさんに制服の後ろの裾を引っ張られた。心なしか声が悲しそう。 すると、そこには―――― 「……シロウは私と一緒に教科書を見るのが嫌なのですか?」 悲しそうに下がった眉尻。瞳にうっすらと涙を湛え、気持ち俯いて、小さな声で呟くライダーさんが居た。 「そんなわけないだろ!」 叫んで、宙に浮かしたままだった机を移動させて、ライダーさんの机に思い切りくっ付ける。 「嫌なはずない、寧ろ嬉しい」 それに満足して、勢いでとんでもないことまで叫んで、肩が密着するほど近づいた。 ――ぷに。 ……凄く柔らかい、それに良い匂い。 けれど、やはりそんなことも関係ない、気にならない。 「……ありがとう、ございます……」 首筋まで真っ赤にして、首が直角になりそうなほど俯いてそう言ったライダーさんの言葉は、蚊の鳴き声のようにとてもとても小さかったけれど、確かに俺にはしっかりと聞こえた――俺にだけに聞こえるようにだと、思うのは流石に調子に乗りすぎか――から。そう言って、顔を上げたあと、ライダーさんがあの微笑を浮かべてくれたから。 「……どういたしまして」 だから、大丈夫。 そうと決まればまずはこの授業からだ。 「ねぇ、ライダーさん、何か」 読めない漢字とか、ない? 「衛宮、廊下に立ってろ」 こめかみに血管を浮き立たせた、現国教師、空手五段のドスの聞いた声に遮られた。 「……なんでさ」 呆然と呟いてすぐ、「てめぇの胸に聞けっ!」という大合唱と共に俺は体育系の部活の男子の手によって廊下に放り出された。 「……痛い」 はっきり言って理不尽な暴力だと思うけれど、宙を舞う中。視界の端に捉えたライダーさんが、可笑しそうに、口元に手をあててくすくすと笑っていたので「これもまぁいいかな」と思ってしまう俺はもう立派な正義の味方だと思う。 ちなみに、ライダーさんと入れ替わりにギリシャに留学したのは、親友のひ一人である間桐慎二だったりするのだが、結構どうでもよかったりする。
難しい |