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それは、ある夏の日の出来事

 

 季節は夏。これでもかと夏。今日も今日もとて夏真っ盛り。 

「ねえ、士郎くん」
「うん?」

 肌を焼くような日差しの下、陽炎立ち込めるいつもの帰り道。
 先ほどスーパーで買ったペットボトルの水を飲みながら歩いていた士郎は、傍ら
から声を掛けられて、脚を止めた。
 ペットボトルに蓋をして、袋にしまいながら顔を横へ向かせる。
 
「どうかしたのか、キャスター」

 士郎の問いに、キャスターは汗のせいで額に張り付いた前の髪の毛を払いながら
応える。

「……行きのときもそうだったけれど、公園から聞こえるこの喧しい音は、なに」
「喧しい、音?」

 士郎は合点がいかない様子で、頭に疑問符を浮かべながら首を傾げる。
 問いかけるキャスターの向こうには確かに公園――深山街マウント商店街の一角
にある深山第二公園がある。
 わりと広めの敷地には、滑り台などの遊具とお決まりの砂場があり、公園の外周
に沿うように木が植えられ、二箇所ある入り口の傍には公衆電話やトイレもある立
派な公園だ。
 夕暮れの買い物時には、奥様がたが屯して世間話などに花を咲かせる傍らで子供
たちが遊ぶ光景がよく見受けられる。
 しかし、

「別に人も居ないし……音なんてしないぞ」
   
 この暑さの所為か、公園には人っ子一人居ない。
 士郎は公園を見渡した後、視線をキャスターに戻す。
 そのまったく判らない、と言った様子の士郎に、キャスターは僅かに語気を強め
た。

「この、みーんみーん、っていう音のことよ」

 その台詞が予想外だったのか、士郎は呆とした表情をしたが、すぐに合点がいっ
たようで、僅かな微笑みとともに頷いた。

 みーんみーんみーんみーん。
 みーんみーんみーんみーん。

 彼女が言っているのは、まごうことなく日本の夏の風物詩と言っても過言ではな
い――セミの大合唱のことだった。

「なんだ、セミのことか。キャスター、セミ、知らないのか?」
「――――し、失礼ね! セミぐらい知っているわ」

 士郎の顔がまるで幼い子供に工作を教えるような父親のそれだったからか、キャ
スターは口を尖らせ、拗ねたように言い返す。
 その様子が見た目にそぐわない――酷く子供ぽくて可愛らしかったので、思わず
「可愛い」と口にしてしまいそうだったが、士郎はその言葉を呑み込む。拗ねたキ
ャスターのご機嫌を取るのには物凄く労力を要するのだ。

「ただ、こういう鳴声のセミは私の国には居なかったもの」

 キャスターの言葉どおり、ヨーロッパは地中海沿岸以外は特にセミが少ない地域で
ある。
 キャスター・王女メディアの故郷、黒海の東、コルキス国――現在のグルジア共和
国に当たる――に蝉がどの程度生息していたかは判らないが。
 ちなみに日本には代表的なミンミンゼミを始め30種以上のセミが棲息している。

 キャスターの言葉を受けて、士郎はふむ、と喉を奮わせた。

「そうか、日本じゃこのみーんみーんて鳴くミンミンゼミが有名なんだけどな」
「有名なのはいいけれど、暑いし、五月蝿くて苛々するわ」

 公園の木を眺めながら言葉を交わす。

 みーんみーんみーんみーん。
 みーんみーんみーんみーん。
 
 キャスターの思いとは裏腹に、セミたちの合唱は続く。 
 確かに五月蝿いが、この熱気の中、絶え間なく謳われ続ける鳴声からは、溢れ出
さんばかりの生命力が感じられる。幾重にも重なり合い、響き合う音は猛々しく雄
大だ。

「それにしても、何故ずっと鳴いているのかしら。セミの寿命は短いのに」

 手拭で頬から首筋を伝う汗をぬぐいながら、キャスターが呟いた。
 こと魔術に関しては神がかり的な才能と知識を持つ彼女だが、こういう自然の事、
自身の興味の無い事柄に関しては無関心な節がある。
 それに正直これ以上セミの声を聞くのは鬱陶しいし、自慢の白い肌が日焼けする
のも嫌だった。キャスターは「帰りましょう」と士郎に声を掛けて、踵を返す。

「……士郎くん?」

 しかし士郎は動こうとしない。
 何事か考え込んでいるのか、顎に手を当てて視線ごと顔を僅かに下げている。 
 その様子を訝しんだキャスターがもう一度声を掛けようとした、刹那。士郎は考え
事の答えが出たのか、はっと顔を上げた。

「……たしか、これは、雄が雌を求愛してるんだよ」
「求……愛?」

 予想の範疇外の士郎の言葉に、キャスターは目を見開き、呆っとした表情で最も
耳に残った言葉を繰り返した。

「そう。鳴声で雄が雌に求愛してるんだ。俺はこんなにも鳴けるぞ。こんなにも君の
ことが好きだって」

 恥ずかしい台詞を優しい顔で士郎が言う。
 こういう台詞を無自覚で言うあたり、衛宮士郎が衛宮切嗣に受けた影響は多大で
ある。

「セミはさ、地中で何年も過ごして、やっと地上に出れたと思っても凄く短命だ。
だから俺たちが五月蝿いって思うぐらい鳴かないと割りに合わないんだよ、きっと」

 なんか似合わないこと言ったなあ。と、少し照れたように士郎。
 士郎のこういう顔は、自分の作った料理を大河や桜、キャスターが美味しそうに
食べているとき、美味しいと言ってもらったとき。人助けをしてそれでお礼を言わ
れたとき。キャスターと二人で居るとき。即ち、己が幸せなときに浮かべるそれだ。

「――――そ、そう」
 
 そしてキャスターは士郎のこの顔が好きだった。
 己を疎かにし過ぎていた士郎が、他人から幸せを与えられていることを頑なに拒
否していた士郎が、聖杯戦争を通して、キャスターとの日々を通して手に入れたそ
の顔が。

 ――初めて出会った日、柳洞寺の近くで死にかけていた自分に手を差し伸べ、契
約し、自分が回復したときに士郎が見せたその顔が――
 
 だから不意打ちでその顔を直視して、柄にも無く思い切り照れてしまった。
 素っ気無く応えたのは機嫌が悪いからでは無い。
 顔が熱い。まったく、思春期のおぼこでもあるまいし。と心の中で呟く。

「キャスター? 帰るんだろ、はやく行こう」

 キャスターが想い更けているその間に、士郎はもう歩き出していた。
 それを見てキャスターは本当にちょっと不機嫌になった。
 私の気も知らないで、と。
 自分や凛や桜、あまつさせ大河にもまで朴念仁やら愚純やら鈍感と、耳にたこが
出来る程言われても直らない士郎のこの性格は、恐らく生涯直らないだろう。
 
「わかってるわ」

 士郎に追いつくために小走りで駆けながら、それでも限度があるでしょう、と思う。

(最初のうちは初心で可愛いと想ったけど…………最初、さいしょ?) 

 みーんみーんみーん。
 みーんみーんみーん。

 セミの声を聴きながら、そう思って脳裏に浮かんだのは契約の時。
 恐らく――否、本当にそういう行為をしたことが無かったのだろう、ひどく狼狽して
緊張して、それでもキャスターを助ける為だ、と深紅よりも真っ赤になった顔で、不器
用ながら懸命に自分を抱いた士郎の姿。

「――ふふ」

 むくむくと悪戯心が湧き上がる。
 眼を細め、口の端を僅かに吊り上げながら、追いついた士郎に声を掛ける。

「士郎くん」
「ん、なんだ、キャスター」
「鳴くのが求愛なのなら、士郎くんが夜、ベッドで鳴くのも私に求愛している。とい
うことかしら」
「な――――」

 ぼひゅんと、顔を、それこそはじめてのあのときに負けないぐらい真っ赤にする士
郎。
 確かに、こと魔術やセックスに関してはキャスターの前では手も足も出ない士郎だ
が、こんな所、こんなタイミングでそういう台詞を言うのは反則に近かった。

「……そ、そそそそれは、ちょっとちがう――――」
  
 それでも、しどろもどろながら何とか言い返して、

「……士郎くん、私のこと嫌いなの」

 止めを、刺された。

 ああ、衛宮士郎がそんなことをそんな悲しそうな顔で言われたら何と言うか、誰よ
りも分かっている筈のキャスターがそう振舞うのは悪戯に違いない。何せ嘘泣きと
よよよポーズのオマケ付だ。
 でも士郎はそれに気が付かない。
 キャスターの台詞を聞くや否や、きりっと表情を引き締める。 
 買い物袋が熱せられたアスファルトに叩きつけられる事など気にも留めず、両の手
でキャスターの肩を掴み、

「馬鹿、そんなことあるわけないだろう! 俺はキャス――メディアのことを、誰より
も、愛してる」

 白昼堂々と、大声で叫ぶように、今も執拗に肌を焼く太陽の日差しよりも熱く、想
いの篭った台詞をキャスターにぶつけた。

「あ――あり、がとう」

 純真無垢、無自覚の罪なことよ。キャスターの悪戯心は綺麗さっぱり夏空に消し
飛び、そこの居るのはサーヴァント・キャスターでもなく。魔女メディアではなく。恋
を、愛を紡ぐ、気の毒な程に顔を赤くした一人の女性、メディアだった。
 
 みーんみーんみーん。
 みーんみーんみーん。

 セミが鳴く。ギリシャには居ないミンミンゼミが鳴く。僕は君が好きだと、求愛の歌
を詠う。
 蕩けるような夏の日差しの下、流れる汗をそのままに、見詰め合ったまま動かな
いカップルを祝福せんと恋歌を詠う。

 みーんみーんみーん。
 みーんみーんみーん。
   
 暑さでキャスターが体調を崩すまで見つめあいを続けたカップルに、士郎に、呆れ
たように歌を詠う。
 魔術で体調を治せるのに、おとなしく士郎におんぶされるキャスターに呆れたよう
に歌を詠う。

「はっ……! キャ、スター……! も、すぐ……だからな……!」

 一刻も速く家に着かんと、魔術で脚を強化して全速力で駆ける士郎の背中。キ
ャスターの顔に浮かぶのは怒りでも疲れでもない。100メータを僅か5秒で駆け抜
けるスピードの中、背負われている己の身に負担がを気遣ってくれる士郎の優しさ
への感謝と、相変わらずに逞しいその背中に惚れ惚れた優しい笑顔。

 ――最古の英雄王との戦いの後、全身血まみれに為りながらも、勝利して帰った
来た士郎を迎えたときに浮かべた、滂沱しながらも、安堵に満ちた、幸せの表情―


「……がんばって、士郎くん」

 愛しい人を――永い時を超え、聖杯戦争を勝ち抜き手にした――最愛の人に向け
て呟いた激励の言葉はその人に届くことなく。

 みーんみーんみーん。
 みーんみーんみーん。

 これでもかと喧しく鳴くセミの声に掻き消された。

 けど大丈夫。直接声にしなくとも、もっと深くで二人は分かり合っているから。
 キャスターは「ふふ」と喉を震わせて、今夜はセミに負けないくらい鳴かせてやろ
うと、密かに決意した。




 ――雲ひとつない抜けるような青空の下。
   セミの声と、駆ける士郎の呼吸音の中。
   それはある夏の日の、小さな、それでいて大きな幸せに包まれた出来事――




END


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