縁側を風が吹きぬける。
 青白くぼんやりと辺りを照らす明かりと同じ、緩やかで穏やかな風。
 その明かりの源。
 雲間に浮かぶ雄大な月を見上げながら、衛宮切嗣は脚をなげ出して縁側に腰掛けている。
 月明かりの下、切嗣の影だけが縁側に浮かぶ。
 さぁ、ともう一度風が吹きぬけた。
 しかし、くたびれたコートと、無造作に伸ばされた髪の毛が揺れることなど露にもかけず切嗣は月を眺め続ける。
 その横顔は、安らいでいるような、安心しているような。
 何かを悟ったような。

「――――」 

 切嗣は喋らない。語らない。
 真摯で静謐で、仄かに幽遠な雰囲気。 
 そこに足音が響いた。
 その足音は雰囲気を壊すことなく、寧ろ馴染むように切嗣に近づいていく。

「――やぁ」

 足音に振り向いた切嗣が、足音の主に向けて口を開く。
 落ち着いた声。
 切嗣と足音の主は知り合いだったのか、足音の主は口元に僅かな笑みを湛えて僅かに頷いた。

「あぁ――ひさしぶりだな。親父」

 足音の主。
 赤い外套を纏った長身の男、エミヤシロウは、頷いた顔をあげると切嗣と同じ落ち着いた声でそう言った。
 その顔は安らいでいるような、安心しているような。
 何かを悟ったような。

「そうだね、久しぶりだね」

 顔を綻ばせて、確かめるように切嗣。
 エミヤの姿をすっと一瞥する。
 すると表情がきょとんとしたものに変わった。

「あれ、士郎は?」

 そう続けた切嗣の言葉を聞いて、エミヤが口端を僅かに吊り上げた。
 面白そうな、面白くなさそうな不思議な笑みを湛えて言う。

「さぁ、大方用意に手間取っているのだろうて」

 それを聞いた切嗣がまさかと笑う前に新たな足音が響いた。
 エミヤと違い、雰囲気を壊す足音だ。

「――っ。……悪い。用意に手間取った」

 頭を下げながら縁側に衛宮士郎が現れる。
 シャツとジーンズを纏い、青年と少年のはざまのような顔立ちに体つき。
 その手には盆が持たれ、その上には徳利と御猪口がそれぞれ三つ乗せられている。

「――はは」
「――ふ」

 笑い声は二人から。
 声は重なったが、響きは違う。
 苦笑いと皮肉気な笑い。
 切嗣は縁側に腰掛け、上半身を士郎に向けて。
 エミヤは切嗣の傍らに立ち、腕を組み目を伏せて。

「む。なんだよ二人とも」

 それを見た士郎が僅かに眉を顰める。

「別に」
「さぁな」

 またも声が重なった。
 響きも先ほどと同じように違う。

「……?」

 納得できないものがあるのか、士郎の眉は顰められたまま。
 だが、これ以上こだわっても仕方がないと思ったのか、お盆を三人を床に下ろし、縁側の上に胡坐をかく。

「アーチャー、座らないのか?」

 エミヤを見上げて士郎が問う。
 士郎の言葉を聞いたエミヤは組んでいた腕を解く。

「貴様に言われるまでもない」

 またも皮肉気な声色。
 しかし嫌気は微塵も感じられない。
 言い終えると、その台詞を聞いて憮然とした表情をした士郎と同じように縁側の上に胡坐をかいた。 

「――ははっ」

 その二人を眺めていた切嗣が笑う。
 大人の、父親の声と顔だった。

「「何がおかしいんだ? 親父」」

 重なった声は士郎とエミヤ。
 表情さえ違えど、一言一句、響きまで同じだ。

「「――――」」

 二人ははっと顔を見合わせて心底嫌そうな表情を浮かべる。
 それを見た切嗣がまたも楽しそうに笑うが、今度は二人は問わなかった。
 ぷいと、同じタイミングそっぽを向いて黙ってしまう。

「二人ともそっく「どこが」「どこが」

 切嗣の声を遮った二人の声はナイスシンクロシニティ。
 大きな声で切嗣が笑う中、二人は同じタイミングで俯いた。

「はははは――っ、ははははは――――っ」

 二人を尻目に切嗣は笑う。

「はははははは――――、はっ……二人とも、面白いね――はっ」

 泣きながら腹を押さえ、だんだんと縁側の床を叩く。
 まるで子供のようだった。
 事実切嗣はこの三人の中では一番子供らしい部分が強い。

「おい親父……」

 見かねた士郎が切嗣に声を掛けようとする。
 しかし、それを遮るようにもう一つの笑い声が縁側に響いた。

「はははっ、はははははっ」

 驚いた士郎が振り向くと、エミヤが声を上げて笑っていた。
 縁側に響く二人の笑い声。
 暫く呆然とそれを眺めていた士郎だが、やがて耐え切れずといった風に自分も笑い出す。

「は――っ、ははは……ははははっ」

 何がおかしいのかは良くわからない。
 けれど今は笑うのが一番だと思ったし、何故か笑いがこみ上げてきた。

「「「はははははっ、ははははははっ」」」 

 三人の笑い声が縁側に響く。
 士郎の登場で歪んだ雰囲気は、何時の間にかまた、穏やかなものに戻っていた。

「ははははっ、ははははははっ」 

 笑う士郎の顔は、安らいでいるような、安心しているような。
 何か、決意を秘めているような。

「ははは――……っ、あー……で、士郎、例のブツは?」 

 ひとしきり笑い終えたあと、目に涙を堪えながら切嗣が士郎に言った。
 それを聞いた士郎も目に涙を堪えながら、傍らに置いていたお盆を手に取り、三人の中間地点に持っていく。

「……はい。これが親父の分。これがお前の分」

 表情と気を取り直し、徳利と御猪口を二人に手渡していく。

「ありがとう」
「うむ」

 然るべき反応でそれを受け取る二人。
 最後に士郎が徳利と御猪口を手に取る。

 とくとくとく。
 三人はそれぞれの御猪口に徳利から酒を注いでいく。

 全員が注ぎ終えると、三人は互いの顔を見遣り、うんと一つ頷き合う。

 御猪口を掲げ、近づけあって乾杯のスタイルをとる。

「それじゃあ」

 切嗣が口を開く。
 いいね。と目で二人に尋ねると、二人は無言で頷いた。

 切嗣が合図をして、三人で一緒に乾杯の音頭を取る。
 言うべき言葉は決まっている。
 知っている。

 三人の胸に等しく輝く理想は、ただ一つ。

 

「「「――――正義に」」」

 

 ――そして、三人の大馬鹿野郎どもに。

 さぁと一陣の風が吹く。
 月光が、優しく三人の正義の味方を包んでいた。