あんたいとるど・ひも6 ミス・トゥオネラ・アズーレ
快諾したものの、さてよくよく考えてみれば今の状況はいかがなものか。 休み時間。生徒で溢れる廊下をてこてこと歩く。隣にはエーデルフェルト先生。隣には……そう、エーデルフェルト先生。 人目を引くのだ、これが。既に先生の授業を経験したらしい生徒からは羨望の眼差しを、あの優しい先生の姿を知らないだろう生徒からは奇異の視線をという具合に。 「――」 落ち着かないことこの上ない。別に心に疚しいことなんて何も無いが、先生と二人きりでラッキーだとか微塵も感じていないが、俺も生粋の日本人よろしく注目の矢面に立たされると居心地が悪いのだ。 横目でエーデルフェルト先生の様子を伺う。 先生は澄ました表情で前を向き、時節俺が口にする案内に従って奇麗な姿勢で淡々と歩を進めている。居心地が悪い俺とは違い、視線も気にならない……いや、むしろ――なんというか、こう、目立っている事に対して気分が良いという感じである。 うーん。やっぱり外国の人なんだな。と、妙なところで一人納得していたら、エーデルフェルト先生も横目で俺の方を見た。 自然、目が合う形になる。エーデルフェルト先生は目が合うと思っていなかったらしく、あら? という感じで小首を傾げ、しっかりと俺を見た。 「何か御用かしら? シェロ」 優雅な微笑み。御用がなくても無理矢理に何かお願いしたくなる気分になるが、さて、目が合うと思っていなかったのは俺も同じである。 ――というか、そういう可愛い仕草を間近で見せるのは勘弁して欲しい。 覗き見が見つかった痴漢犯のような動きで、俺は目線を外した。 どんな動きだそれ……簡単に説明すれば恥しいので直視出来ないというだけのことなんだが。 あ――いや、何もないです、はい。 そう言いそうになる。 いかにも何かありそうな弁明にもならない言い訳だ。 あんまりにもあんまりだ――なので、咄嗟に頭を捻る。少しずつ成長しているのだ、俺は。心の中で深呼吸一つ。顔が赤いのを自覚しながらも、目線をエーデルフェルト先生の眼に戻した。 そうして出てきた言葉がこれだった。 「えーと、先生はどうして先生になろうと思ったんですか、とか思いまして」 ――日本と日本人が嫌いなのに、どうして日本の学校の教諭になろうと思ったのか。 明確に言葉には出さずとも、言外に込めてそう訊ねてみた。それは大きな疑問だったし、不躾だとは思ったが、瞬間的にひねり出したにしては中々のものだったと思う。 エーデルフェルト先生は意外なことを聞かれたという表情をし、次いで「あぁ」と妙に納得したような表情をした。俺が込めた日本嫌い云々の意味に感づいたのだろう。 怒られる……? という不安が掠めるが、すぐ消えた。先生は苦笑を枕にして、訥々と語りだした。 「私ね、この業界じゃちょっとした有名人ですの。百年に二人の逸材、と」 遠坂先生に聞いた言葉と似ていた。いや、まるっきり同じだった。だから、同様の相槌を打つ。 「二人、ですか?」 「ええ。甚だ遺憾ですが……ライバル、なんでしょうね。凶つ因果の腐れ縁。極東の島国からやって来た野蛮で嫌な女。 ――ミス・トオサカのことはシェロ、貴方も”よくご存知”でしょう?」 どういう意味で先生がそう言ったかは知らない。 だが、「よくご存知」というイントネーションには確かに何か含まれるものがあって、まさかのまさかとは思うがもしかして俺と遠坂先生との間にあったことを知っているんじゃないかという邪推に近い妄想が瞬間的に拡がって、 ――それでも、そういった内面をおくびにも出さずに、俺は答えていた。 「――保健の遠坂先生にはまだお世話になったことはないですけど、知っているといえば知ってます」 ――あの出来事は明晰夢みたいなものだ。 夢は覚めれば終わる。 そして夢は現実ではない。だから、俺と遠坂先生は一人の教師と一人の教え子。それ以上でも以下でもない。そういう事じゃないといけない。 「――」 エーデルフェルト先生は俺の言葉をどういう風に捕らえたのか。 ただ数秒間じっと俺の眼を真っ直ぐに見つめ。 ……次いで、再び苦笑を枕にして、言葉を紡いだ。 「――そう。そのほうが良いですわね。あんな女の世話になんか……何せ、人が不幸なときに……怪我や病気のときにしか役に立たないのですから。 それで、シェロ。私が教師に成ろうと思いましたのはね、きっとミス・トオサカに負けたくなかったから。 ――いえ、任せておけないからと言った方が正しいですわ」 その意味を俺は理解しかねた。 ――負けたくない。 ライバル心からくる気持ち。それは……分かる。 けれど、それをすぐさま否定して先生が述べた、――任せておけない――とはどういう気持ち、意味なんだろう? しかもそれが正しいと断言するということは、本心だということだ。 「ええと……何を任せておけないんですか?」 学生の教育? ――それくらいしか浮かばばいが、全くしっくりこない。 エーデルフェルト先生は疑問顔の俺を見つめる目をすっと細めると、質問には答えず、やおら右手を動かし人差し指を宙に掲げて、何かを指差した。 ……何だろう? と不審に思いつつも、つられて視線を動かしてしまう。そして、 「あ」 と、思わず抜けた声を漏してしまった。 ……イカン。話に集中しすぎて気がつかなかった。エーデルフェルト先生の指差した先には、「英語資料室」という文字が書かれたプレート。その下には部屋への入り口扉がある。 とにかく足を止める。エーデルフェルト先生も足を止めて、出来の悪い生徒を見る目で……本当にそんな目で俺を見つつ微笑んだ。 言葉には出さずとも、荷物運びとはいえ教務を行うからお喋りはこれでお終い――という意思でエーデルフェルト先生がそうしたのを理解して、 「う、すいません。気がつかなくて……」 つい今しがたまで頭に一杯だった疑念は奇麗さっぱり消えて、後悔と羞恥の念が占有権を一瞬で支配する。 非常にバツが悪い。頭をかきながら頭を下げた。 「ふふ。良いのよ、シェロ。私も楽しいお喋りでしたから」 下げた頭の上から苦笑と共にそんな言葉が降ってくるが、 頬が紅潮している俺は顔を上げられないし、気持ちも治まらない。 なにせこちらが案内していたのにエーデルフェルト先生に指摘されるまで目的地に到着したことに気がつかない上に、その原因は自分らしからぬ饒舌と質問攻めときたものだ。 いや、その、本当にすいません、はい……だとか何だとか情けない謝りの言葉を連ねる俺の隣で、エーデルフェルト先生は「ふふ、ふふふっ」と苦笑したまま開錠作業をする。 すぐにかちゃりという開錠音と、扉がスライドする音。 「ほら、シェロ。何時までもそうしていないで顔をあげなさいな。中にいらっしゃい」 「は、はい……」 あぁもう、くそ、ちくしょう。 心の中で柔な自分の横っ面を自ら殴り飛ばしながら、俺は先に室内に入ったエーデルフェルト先生の言葉に従いとぼとぼと入室する。 ――はぁ。 どかっとこれまた心中で溜め息を吐く。 扉がスライドする音と、かちゃりという施錠音。 何やってんだかなぁ。……ともかく、今は資料を運ぶ手伝いを……いや、もうこの際全部自分ひとりで運ぶぞ。うん。それくらいしか気持ちの落ち着けど頃ころが思い浮かばない。 あぁ、運ぶとなると時間は大丈夫だろうか。英語資料室は各学年の教室がある棟とは別の棟にあり、移動に少々の時間がかかる。……いや、多少の荷物を抱えたところで足が鈍るほど自分も柔ではない。 ならば、いったい何をどこまで運ぶかが問題になるんだが、はてさて。 「――あれ?」 そこまで考えたところで、ふとおかしな事に気がついた。 俺が入室してすぐに扉が閉まったうえに鍵がかかる音が聞こえなかったか? 直前の記憶を探る。……うん。確かに聞こえた。振り返ると、そこには俺の記憶を裏付けるように閉まっている扉。手をかけてみるが動かない。施錠されている。 頭を俯けぱなしだってので見えなかったかが、俺がしたのではないからエーデルフェルト先生がそうしたのに違いない。 ……何故? 別に生徒に見られて困るようなものが収納されているとは思えないし、各資料室や視聴覚室など特殊な施設が集中しているこの棟には特別な用事がある生徒以外は近づかない。 再び振り返った。 英語資料室は四畳半ほどの広さの部屋の両脇に収納棚があって、様々な教材が収められていた。窓はるが日当たりが悪いらしく、照明もついておらず日中だというのにほの暗い。あまり利用されないのだろう。埃っぽさも感じる。 そんな部屋のほぼ真ん中に俺に背を向けてエーデルフェルト先生は直立の姿勢をとっていた。 ……まるで入室してからずっとそうしていたかのよう。――ならば、どうやって部屋の扉を閉めたのか? いや、そんなことよりもどうして閉めたのかの方が気にかかる。何か特別な理由があるんだろう……恐らく、だが。 「せ、」 問おうとする。 しかし――まるそうするのを待っていたかのように、エーデルフェルト先生が俺の言葉を遮って、 けして大きくは無いのに、それでいて静謐で、真摯で、透き通る鈴の音のような声音で喋りだした。 「シェロ――貴方、先ほど”何を任せておけないのだ?”と私に問いましたね?」 その答えを今聞かせてくれるのだろうか……? うん。そうなのだろう。でも、だったら何故先ほどの機会は答えてくれなかったのだろうか。 「――はい。そうです」 しかし――どうしてだろう。 そんなことはどうでも良い、という気分になっていた。 不思議な感覚。何時もは訪れない独特な部屋の雰囲気がそうさせているのか。 ……いいや、違う。 どうしてだろう。本当に、どうしてだろう。 もっと先生の言葉が聞きたい。いや、顔が見たい――だなんて、恋焦がれているような気持ちに俺はなっていた。 まるで先生の言葉は魔法で、俺はその魔法にかかったかのよう―― 「あの女に任せておけないことはね、シェロ――」 ――魔法。 強ちそれは推測でもないのかもしれない。 俺と同じように、この世には幾人もの”魔術師”が居るのだから。もっとも魔法使いだなんて片手の指でも足りないほどしか存在していないと聞くが―― 「貴方を――エミヤシロウを、幸せにすること」 その言葉と同時に振り返ったエーデルフェルト先生の顔を見た瞬間に、もう本当にそんな思考は吹き飛んでしまって。 「シロウ――いいえ、シェロ。私のシェロ。貴方は絶対に幸せにならくてはいけない。……そう、あの女じゃない。私が、この私が幸せにします……!」 ぶつかるような勢いで抱きついてきたエーデルフェルト先生の想像よりも華奢な体を、本能的に抱きとめていた。 あぁ。と心の中で感嘆詞が漏れ出た。 俺の両肩と衣服をきつく握り締めるエーデルフェルト先生の両手。首元に顔を埋めた先生の表情は伺いしれない。眼前で微かに揺れる砂金のようなブロンドから薫る芳香に、預けられた体の重みと衣服越しに伝わる先生のやわらかさと、体温。 その全部が俺の頭をくらくらと酩酊させる。 俺を幸せにするってどういう意味だろう――それに、ああ少し前ににもおなじような出来事が――胡乱な思考はそんなことを考えるけれど、もちろん答えなんて出るはずもなく、ただ俺はこの狭くて埃っぽくて薄暗い室内の中で、エーデルフェルト先生の存在を感じていた。 「……あの女の匂い」 首元から聞こえるくぐもった音と声。熱い吐息に背筋を震わせる。 あの女って遠坂先生のこと、だよな――? よくわからない。よく考えられない。 まるで先生はその”匂い”とそれから感じられる存在がとても忌々しいものであるかのように、肩を震わせて、怒気を孕んだ声で呟く。 「意地汚いあの泥棒猫。本当に許せない――私の、私のシェロに手を出すなんて……!」 一瞬。何が起こったのか分からなかった。 「うっ、あ……!?」 ただ、すごく熱くてぬるぬるして、少しざらっとした物が俺の首筋を這っていって。 ――それがエーデルフェルト先生の舌だっていう事に気がついた時には全身から力が抜けて倒れこみそうになっていた。 「ん――ん、んんっ」 何をするんですかとかいろいろと声帯は声を発しようとするのだけれど、叶わない。 口から漏れるのは我慢という障壁をたやすく突き破った意味のないうめきだけた。 「く、う、あっ」 とたんに軟体生物になってしまった体を根性だけで支える。 エーデルフェルト先生は時には吸い付き、時には小さく歯を立てたりなどしながら、丹念に丹念に執拗に自らの舌を一心不乱に蠢かしている。 動物が自らの所有物に証の”痕”を刻み付けるかのように。 「ん、はぁ……シェロの味がする、ん……ちゅ、おい、しい」 「あっ、く……んんんっ!」 先生の背中に回した手にぎゅうっと力をこめる。 首筋の神経がむき出しになったかのように敏感になってる。そこにだけ意識が集中しすぎてきるのか、脳天に突き抜ける快楽に体は反射的に動いていた。 ――そうしないとがくがくに震える膝は今にも折れて、このまま二人して倒れこんでしまいそう。 馬鹿みたいに早鐘を打ち鳴らす心臓だとか、燃えるように暑い耳の中だとか、痺れた様な首筋と後頭部だとか、……いきりたってズボンを突上げる情けない物だとか、普通じゃない俺にはそんなことしかできない。 遠くで始業のチャイムの音が聞こえる。 本当に遠い。遠すぎる。まるでこの部屋だけが現世から切り取られた別世界。 事実そうなんだろう。ぼうとした視界。丸まってしまうのをとめられない背中で、自然に傾いた視界に入るのは、エーデルフェルト先生の淫らな顔と舌。 「はっ、はぁ」 うわぁ、と思った。直視できない。自分の口元がべたべたになるのも構わずに舌と口と唇を動かせ続ける先生の顔は、頬は上気してうっすらと開いた瞳はとろけるように潤んでいる。 ――どうして。 それは魔法の続きか。 欲しい。 だなんて、俺は馬鹿すぎる本能に突き動かされそうになって、堪えるために腕にさらに力を篭めた。 それが先生の体を俺にさらに密着させる。 胸板に押しつぶされた胸がぐにゅぐにゅと形を変えるたびに、本当に理性は吹き飛びそうになる。やわらかいのか熱いのかの区別もできなくなってきている。 「はっ、はっ、は、はぁ、あっ」 もう限界だ。早くやめてもらわないと。早く欲しい。次の授業に。もっと欲しい。 舐るような動きが、ちろちろとくすぐるような動きに変わって俺の首筋を這い上がってくる。 肩に置かれていた手の片方。左手が頭の後ろに回される。ふんわりと力をこめられて頭が固定された次には、先生の顔が正面にある。 「――かわいらしい、顔、です、こと」 酸素を貪欲に求めるために、意味のないうめきをもらすためにだらしなく開いていた口が、被われた。 ――ダメだダメだダメだ。 もう、本当にダメだ。 「んっ、ちゅ、ちゅぷ、んむ」 くちゅくちゅ、とか湿りすぎな水音がダイレクトに頭蓋に響く。触れ合う舌が痺れる。 侵略するように俺の口内を縦横無尽に陵辱する先生の舌。熱い。接合する唇からあふれでる唾液と二人の獣のような息。 「んっ――!」 瞬間的に別の快感が体を突き抜けたのはどうしてか感覚だけで探して、それが先生が右手を制服のすそから差し込んで、俺の乳首をきゅと摘み上げたのだと理解したときには、もう先生の手はわき腹や鎖骨や脇の下や、さまざまな場所を撫で回していた。 「ん、んん、んんん……!」 そして、ゆっくりと下腹を這って下がっていく。 あぁ、もう、そうなったら本当の本当にダメだ。 頭の一番奥の、思考をつかさどる一番大事な部分が壊れてしまう。 「は――あっ」 「ん……ふぅ」 唾液が二人の唇に橋をかけて、顔が離される。 視界一杯にあるエーデルフェルト先生の淫らな表情。 先生の右手は、あと少しということろで体表面をさらさらと撫で回している。 上目遣いに目が合った。先生はしっとりと濡れた青くきれいな瞳で俺を捕らえて、嘆願した。 「お願い、シェロ……ルヴィア、ルヴィアと呼んでください」 断るだなんて選択肢は存在せず、ただ一つ心配なのはまともに発声することができるかどうかだけ。 「る、び、あ」 それでも――そう言わなければならない。案の定うまく発声することができなくて、幼児よりも舌足らずな、ひどい発音になってしまったけれど。 「あ、あぁ――」 ありがとう。 私だけのシェロ。 愛して―― 目じりになみだを溜めて、先生は蕩けるような微笑を浮かべた。 ――それが、鮮明に思い出せるこの室内での最後の光景だった。 |
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