あんたいとるど・ひも3a

サニーデイ・ドリーム・アウェイ




 楽しいことでも、毎日続いたらそれと気付かずに退屈と変わらないね。
 幸せ悲しみ。かわるがわるの波。
 心の不思議が分かりかけてくる。
 人を愛したら不安も知るものだけど、寂しい心に深く優しさ滲みるよ。
 ジクザグ迷い続けてる。
 近道なんてないのかな。
 だけど楽しいだけなならば、きっと幸せ見失う。
 まっすぐ自分の言葉、君に届かない――――

 
 

「――」

 ずっとうわの空だった食事が終わって遠坂さんに切り出してみれば、ぽかーんとした顔をされて、「どうして貴方が謝ることがあるの?」と問い返されてしまった。それに「だって俺あんなコトを……」と返すと、遠坂さんは「もしアレが悪いことだっていうのなら、責任があるのは私。もっとも、悪かっただなんて思ってないけどね」と言って、不適に笑ってみせた。
 その後も「酔ってたんじゃないんですか?」「あれくらいで酔うわけないでしょう」「じゃあ何であんなこと言ったんですか?」「だから貴方が初恋の人にそっくりだったからよ」などなど問答が続いたが、結論は一つだった。
 遠坂さんは別に怒ってもいないし、後悔も何もしていない。
 ……つまり結局悩んでいたのは俺だけで、遠坂さんは全く気にしていなかったということ。寧ろ心配されていたのは俺の方で、「初めてで緊張したでしょう? いきなり変なお願いして悪かったわね。でも、ありがとう」何て頭を撫でられてしまった。

「……はぁ」

 リモコンでテレビのスイッチを消して、立ち上がる。適当に選らんだチャンネルで懐かしいアニメの再放送をやっていたのでぼうっと眺めていたが、その主題歌を聞いて――何だか気分が滅入ってしまった。

 最近久方ぶりに漫画の連載が再開されるらしいが、その漫画を読むことは無いだろう。赤い褌をしめたお気に入りのキャラに、心の中でさよならを言う。 
 時計に目を遣ると、時刻は七時を僅かばかり過ぎたところ。
 以前――四日前までならば、そろそろ学園にむかっていた時間だが……さて、どうしたものか。

「士郎君」

 考えていると、後ろから遠坂さんに声をかけられた。

「は、はい。なんですか――」

 言いながら、振り返る。振り返って……これで何度目だろう。遠坂さんに驚かされるのは。

「? どうしたの?」
「いえ……その、似合ってますね、それ」
「ん、ありがとう。仕事のときくらい私もちゃんとしないとね」

 舌をちろっと出して笑う遠坂さんが身に纏うのは、落ち着いた紺色のフォーマルなスーツだ。昨日はあれだけばっちり決まっていたメイクが、今は控えめで上品な感じ。昨日のまるで水商売をしている人のような格好からは想像できないほど、清楚で――つまり息を呑むほど美人。

 ……何だか昨日からこればっかりだ。

 美人美人って、女性に飢えていたのだろうか、俺は。

「――」

 そんなことは、ないと思う。

 脳裏に色んな人の笑顔が浮かんで、遠坂さんの笑顔だけが残って、他は消えた。その残った遠坂さんの笑顔を、今まで一番大切な人の笑顔が飾ってあった額縁に入れようとして、けれど止める。大切な人の数は二人のままだけれど、十年ずっと変わらずに大切な人が、家で俺のことを心配しているだろうから。

「ハイ。名残惜しいけれど楽しい夢はここでおしまい。目を覚ましてもとの生活に戻らないとね」

 パン、と手を叩いて遠坂さんは顔を引き締めた。
 そうだ。今日こそちゃんと家に帰って、藤ねえを安心させてあげないと――その前に色々と謝らないといけないし怒られるだろうけれど、四日も連絡無しにほっつき歩いた俺が全面的に悪いのだから、仕方ない。家出の理由を聞かれても正直に答えられないのが辛いけど、とにかく今日からは遠坂さんの言うとおりちゃんとした生活に戻らないと。

「途中まで車で送っていってあげるわ、さ、行きましょ」
「――はい」

 頭を振り、首肯して、先に歩き出してた遠坂さんの後を追う。
 ――空は快晴。日差しは暖かく、風は緩やかに。今日は……今日も、良い一日になれば良いなぁ、なんてことを考えながら、俺は玄関の戸を閉めた。 

 



 

「大きな家に住んでるのねぇ」
「――」
「……どうかした?」
「――いえ、なんでもないです……色々と本当にありがとうございました。その、このご恩は一生忘れません」

 ……まさか「運転が乱暴すぎて吐きそうです」なんて言えない。
 やーね、大袈裟なんだから。と笑う遠坂さんに疲れた作り笑いを返して、俺は深々と頭を下げた。

「だから大袈裟だってば……じゃあね、縁があったらまた会いましょう」
「はい、是非。お礼もまだですし」

 頭を上げる。真剣な顔の俺を見て、遠坂さんは表情を緩めた。

「だからそれは良いってば。……けど私、そういうの、好きよ。頑張って素敵な男の子になりなさい。それと、ご飯はちゃんと食べないと駄目よ」

 そういって、投げキッスひとつ。

 好きよ、という言葉にどきまぎしている俺を残して、遠坂さんは乗っている車よろしく暴れ馬の如き勢いで去って行った。

「……」

 出会い衝撃と逢瀬の激しさに比べれば、何とさっぱりした別れだろう。
 赤い車体が見えなくなるまで目で追うけれど、その姿はあっという間に消え去ってしまって。途端、身をつつむ寂しさに――落ち込む暇はない。制服は所々擦り切れて学園に来ていくには少々不細工だ。鞄も取ってこないと。

「ふぅ」

 深呼吸をして、振り返る。懐かしい我が家は、何も変わらず俺を出迎えてくれている。変わったのは俺と――いや、俺だけだ。
 ……桜のことは、もう良いんだ。良くないけれど、良いんだ。
 悩んでいても仕方がない。前を向こう。両親と親父のためにも。俺自身のためにも。そして遠坂さんのためにも。
 門を開けて中に入る。足の裏に感じる感触を確かめるように、小径を歩く。一歩、一歩。

「四日ぶりだな……ただいま、親父」

 道場や土蔵を見て感慨深く呟いた。
 そうだ。踏み違えるな、衛宮士郎。
 お前が目指すのは正義の味方だ。”誰か”一人の味方になっては、いけないんだ。桜が好きなら、桜も慎二も守れ。皆を救え。それがお前の歩むべき道なんだ――


「――っ」


 ――足を止める。不意に、今朝の夢を思い出す。

「なんなんだ……」

 けれど直ぐに、頭を振って荒野の光景を頭から追い出した。
 歩くのを再開する。開錠して引き戸を開ける。関係ない。俺には関係ない。だって俺には……寄り添ってくれる人が居ないのだから、あんな夢、関係ない。
 夢なんかより、現実を見ろ。ほら、目の前には虎愛用のサンダルが乱雑に転がっている。そうさ、早いとこ藤ねえに家出したことを謝らないと。顔を見せて、安心させてあげないと。
 靴を脱ぐ。そう。俺はもとの生活に戻ってきたんだから。







「くさっ!」

 居間に足を踏み入れて、そこに漂っていた凄まじい酒の臭いに思わず顔を顰めて鼻をつまんだ。

 何だこれ……!?
 あたりを見回す。

 酒精の香りに満ちた居間。ごろごろと所狭しと転がっている空き缶と空き瓶は、全部が全部すべて酒で――その空き缶と空き瓶に埋もれるようにして、藤ねぇがテーブルに突っ伏し「ぐおーぐおー」と豪快な寝息をたてていた。

「……」

 言葉を失う。
 驚きもあったけれど、何よりも藤ねぇの顔を見て心がきりきりと痛んで、その場に立ち尽くした。
 赤い顔。ぼさぼさの髪の毛。やつれた頬に残る涙の跡に、腫れぼったい瞼。
 普段の元気な藤ねぇからは全く想像だに出来ないその姿に、申し訳ないや色んな気持を通り越して、悲しい気分になった。……祝い事以外では殆ど酒を飲まない藤ねぇがこんなになってしまったのは、間違いなく俺の所為だ。

「……ごめんな」

 音を立てないように歩み寄って、上着を脱いで肩にかける。
 口の端から涎を垂らしていた藤ねぇは、小さく唸って、ぽつりと寝言を漏らした。――士郎、何処行っちゃったの……。

「――」

 それはただの寝言。ただの寝言だったから、余計に効いた。
 ……ぎりぎりと心が締め付けられる。
 呼吸のたびに上下する藤ねぇの思っていたよりもずっと華奢な肩。今までそんなことを意識したことなんて無かったのに、細い体は俺なんかが触れてしまえば折れてしまいそうだ、とそんなことを考える。

 どれほどの心配をかけてしまったのだろう。
 どれほど不安な気持にさせてしまったのだろう。
 どれほど寂しい気持にさせてしまったのだろう。どれほど悲しい気持にさせてしまったのだろう。どれほど辛い気持にさえてしまったのだろう。

 分からない。けれど分からなくちゃいけない。
 藤ねぇが目を覚ましたら、どれだけ怒られようと、責められようと、その全てを受け止めなくちゃいけない。それだけのことを俺はしてしまったのだから。

「くそっ……」

 唇を噛み締める。
 昨日一日遠坂さんと過ごして浮かれていた気持はすぅっと冷めていき、今更ながら、連絡の一つでもよこしていれば良かった、とどうしよもないことを考えたポンコツな頭を思い切り殴りつける。

「……っ!」

 くらくらと揺れる脳味噌。星が見えたスター。ふら付き、倒れそうになる。倒れそうになるが、絶対に倒れまいと足に力を込めて踏みとどまる。
 俺なんかどうでもいい。それよりもこんなところで寝ていたら風邪をひいてしまう。片付けは後にして、とにかく今は藤ねぇを何とかしないといけない。

「ごめんな。ちょっと騒がすぞ」

 藤ねぇの近くに落ちていたのだけを選んで、空き缶と空き瓶を部屋の隅に除ける。適当なスペースが出来たところで、起こさないように、ゆっくりと藤ねぇの体をテーブルから引き離した。
 そして脇の下と膝の下に腕を差し込んで、体を持ち上げる。所謂お姫様だっこという形だ。寝ている人間は重たいと聞くが、全然そんなことは無かった。

「……」

 軽い。藤ねぇの体は、とても軽い。そして細い。
 ――それが、また俺を悲しい気分にさせて。

「……」

 同時に、絶対に護るのだと。二度とこんな馬鹿なコトをしないと。そう、決意させた。

 



 

 藤ねぇが俺の家に泊まるときは客室を使うのだが、客室に寝かせるのは憚られた。
 藤ねぇは客じゃなくて、家族だ。
 そういうわけで俺は俺の部屋に藤ねぇを寝かせた。俺の布団なのが申し訳ないけれど、そこだけは我慢してくれな。固いテーブルから柔らかい布団にうつって、むにゃむにゃと寝息を気持ちよさそうなものに変えた藤ねぇの頭をそっと撫でて、あどけない寝顔にしばし見惚れてから、部屋を出る。
 居間に戻り、本格的に片付けるのは帰ってからに――と思ったのだが、どうにも放っておけなくて空き缶と空き瓶を片付けた。

「……一日で飲んだワケじゃないよな、流石に」

 全部集めたら割りと広めのこの家の浴槽を満たしそうな勢いだ。
 代金の心配などはとりあえず保留にして、次に起き抜けは小腹が空くだろうと思い冷蔵庫に残っていたもので炒飯をこしらえた。ラップをかけてキッチンのテーブルに置いておく。温めれば直ぐに食べれるだろう。
 それから着替えを済ませ、時間割を用意しているうちに時刻は八時を過ぎた。
 完全に遅刻だけれど、それがどうした。いや、良くは無いのだけれど、ここ四日間の出来事に比べたら遅刻なんてとても小さいことに思えたのも事実で、まだボケていると俺は頬をぴしゃりと叩いた。

 寄り道せずに帰ってくるので、話はそれからで頼みます。今日は一日ゆっくりしていること。……ただいま。心配かけて、ごめん。

 藤ねぇ宛てに置手紙を書いて、屋敷を出る。
 近所の奥様方の訝しげな視線を背に早歩きしたい気持を抑えてとことこと歩く。
 久しぶりの通学路を不思議と新鮮に感じてしまう。実際には何も変わったところなんて無いのだけれど――と、

「何だ、あれ」

 そんなことを思った矢先。
 ――変わったところを、一つ見つけた。







 ――変わったところというよりは、変わっているところだった。

 長い掘を通り、坂を下って交差点まで来た。
 その交差点から程近い一軒家の前に数台のパトカーが止まっている。
 何か騒ぎでもあったのか、周囲の雰囲気は物々しく、そして慌しい。
 集まった野次馬の群れは十や二十ではなく、小さな黒山が出来ていた。

「……」

 その人だかりが邪魔で何が起きたのかは判断できない。
 これだけの騒ぎ。何か大きな事件が起きたのは間違いないだろう。

 ……どうする?

 むくむくとわきあがる興味と腕時計を比べながら考える。
 無視して全力で走れば、既に始まっているHRは――藤ねぇの代理は誰だろう?――無理として何とか一時限目の前半には学園に着くことが出来るが……

「・・・どうせ遅刻には変わりないしな」

 四日分の理由書やら生活指導やら何やらで一時限目の時間は授業の変わりに職員室に詰めっぱなしになってしまうだろう。
 そんな馬鹿なコトを考えて、俺は人だかりに近づいた。
 ちょうど見知っている近所のおばさんが居たので、声をかける。

「あら、衛宮ちゃんじゃない。どうしたの、こんな時間に」
「いえ、ちょっと体調が悪くって……それより、何かあったんですか?」

 まさかつい今朝方まで家出してましたとも泥酔して眠りこけている担任の世話をしてきたは言えない。
 咄嗟に吐いた嘘はすぐにバレてしまうかと思ったが、おばさんも騒ぎに興味津々らしくすぐに何があったのか教えてくれた。

「……殺人、事件?」

「そうなのよ。詳しくは分からないんだけど、一家四人中、助かったのは子供だけなんですって。両親とお姉ちゃんは刺殺されたって……しかも凶器はナイフや包丁じゃなくて、確か……長物。そう、長物よ。そこが普通じゃないってこんな大騒ぎになってるの。
 ……最近は新都の方でも事故続きだし、物騒な世の中になったわねぇ」

 あー恐い恐いと己の身を抱くおばさん。
 そこまで知っていれば詳しくは知らないとは言わないと思うが……

「――――」

 何故こうも驚くことばかり続くのだろう。
 ……しかも今度は殺人事件。
 凶器は長物――長物とは、日本刀のことだろうか。
 殺人事件ということは、それに両親と姉を殺されたということか。

 ……想像をしてしまう。

 深夜、押し入ってきた誰か。不当な暴力。理不尽な暴力。交通事故のような一方通行の略奪。破壊。斬り殺される両親。ワケも分からず次の犠牲になってしまった姉。その陰で、愛する家族の血に濡れた子供の姿。それを知っていながら、子供だけを殺さなかった誰か。

「――おばさん。これ、犯人は捕まったんですか」

 今朝方起きた――発覚した事件。
 犯人が捕まっている可能性は限りなく低いだろうことは分かっていたが、聞かずにはいられなかった。

「捕まっていないどころか指紋一つ残ってないんですって。衛宮ちゃんも気をつけないと駄目――どうかしたの? まだ調子悪い?」
「? いえ。もう大丈夫ですけれど……もしかして、変な顔してました?」
「ううん……変な顔っていうか厳しい顔って感じだったけど、ごめんね。嫌な話聞かせちゃって」

 おばさんはすまなさそうに言って、まだ家の用事が残ってるからと去っていった。

「……」

 ぱたぱたと小走りする後ろ姿をぼんやりと目で追う。 
 家の用事が残っているといのは、きっと嘘だろう。
 今のは雰囲気に耐え切れず逃げ出したのだ。俺が知らず醸し出していた、厳しい雰囲気に。
 それが自分の所為だとおばさんは変な負い目を感じてしまって、去っていったのだ。
 今聞かなくとも、嫌でもニュースや新聞で知ってしまうだろうから、何もおばさんに悪いところはないのだけれど……

「……そんだけ俺の顔が恐かったってことか」

 ごめんなさい、と心の中で呟いて、俺は歩き出した。







 それからは特に何事もなく学園に着いた。
 正門をくぐってグラウンドへと入る。
 体育の授業をしていた生徒たちと先生に訝しげな視線を送られたので、隅の方を俯き加減の小走りで駆け抜ける。
 ……そういえば、遅刻なんて入園いらいはじめてだな。
 なんてくだらないことを考えながら、脱靴場で靴を履き替えた。
 まずは職員室へ行かなくては――って、

「やば――。もう一時限目終わるぞ」

 腕時計で時刻を確認して、顔から血の気がひいていった。
 急いでいたつもりだが、殺人事件のことが気になって予想以上に歩みが遅かったらしい。
 脱靴場と職員室の間には結構な距離がある。具体的に言えば三つある校舎の真反対側だ。
 これは急がないと二時限目の開始に間に合わなくなってしまう。
 きょろきょろとあたりを見回し、人目が無いことを確認して、俺は無断欠席に遅刻に加えて三つ目の校則違反――廊下を走り出した。

「くそ……っ、こんなことなら……っ」

 あのとき騒ぎを無視してそのまま学園に向えば良かった……と後悔しても遅い。何故か痛む腰の所為で――いや、痛い理由は分かっているんだけど――走りにくいが、とにかく出来うる限りの速度で走る。
 生徒や先生と出くわさないようにとあたりに気を配り、時に時間は大丈夫かと腕時計に目を落とし、時に腰を気遣い、傍目から見ればかなり怪しい人に見えるだろうなぁ、なんてことを考えながら走る。
 ――そんなややこしいことをしていた所為か。
 あと一つ角を曲がれば職員室というところで腕時計に目を落とした俺は、同じタイミングで職員室側からやって来た誰かと正面からぶつかって……しまう寸前で何とか躱せたのは、つい先日同じような体験をしていたおかげ。
 ……おかげ、なんだけど。

「な――」

 物理的ではなく精神的な衝撃で俺は尻餅をついた。
 目を皿のようにひん剥かれ、拳が入りそうなほど口が開く。
 吃驚した。吃驚を通り越して思考が停止した。
 ――何故なら。
 その職員室側からやってきた”誰か”というのが、

「ちゃお。久しぶりね、士郎君」

 もう少しで正面衝突だったいうのにそれを全く気にした様子もなく微笑みながらしゅたっと片手を挙げたその人が、

「……どうしたの? まるで幽霊でも見たような顔してるけど」

 そう言いながら、屈んで俺の顔を覗き込んできたその人が、

「な――な、なんで遠坂さんが此処に居るんですか……!?」

 今朝別れたばかりの遠坂さんだったから――っていうかどうして学園に貴方が居るんですかというか久しぶりって一時間くらい前に会ってるじゃないですかというかあぁ顔が近い顔が近いですってやっぱり綺麗だなぁ良い匂いがするなぁっていうかもうワケが分からない何を考えているんだ俺は。 
 ――もちつけ。違う。落ち着け。
 いち、に。と心の中で数えながら深呼吸をする。

「……うん」

 OK。全然もちつかない。違う。落ち着かない。
 とりあえず状況を生――違う。整理しよう。
 遠坂さんはスーツを着ていたから今日は仕事だ。間違いない。
 夢から覚めて元の生活に戻ろうと約束した。間違いない。
 遠坂さんとは今朝俺の家の前で別れた。間違いない。
 そして俺は藤ねぇの件や殺人事件の件や色々と変わったところはあったが、ともかく学園に来た。間違いない。
 そして無断欠席と遅刻をした理由書やらを書いたり生活指導の先生にしゃっきりポン! と絞られる為に職員室に向って、あとちょっとというところで遠坂さんと――って、だから何でさ。何でやねん。似非関西弁も出ますよ。それくらいワケが分からない。