あんたいとるど・ひも4

リトル・ミス・ストレンジ




† 


「――せんせ、い?」

 それからどうにか頭と心を落ち着かせて訊ねてみれば、何と、遠坂さんは――新しく学園に赴任してきた、保健の教諭だというではないか。
 もう、彼女に驚かされるのにも慣れたのだろうか。驚きはしたものの、俺は割とスムーズにその事実を受け入れる。
 ……そうか。先生なのか。だったら学園に居ても全然不思議じゃないな。うんうん。なるほどなるほど。

「そ。本当は新学期から赴任する予定だったんだけどね、春休みに合わせて産休に入るはずだった前任の先生の容態が急に変わっちゃってね」

 ……あー、そういえば三十代後半での第一子だとかでめでたいニュースだって学園中の噂に――

「急な話でこっちも焦ったんだけどね、急な分特別手当も出してくれるって言うし、ま、いっかなーなんて。
 ……それにね、偶然なんだけど、故郷がこの町なのよね。実家にはワケあって住めないんだけど、住居の手配は学園側がやってれるっていうしねー。
 さらに言えばなんだか予感があったのよ。この町に来れば、良いことがあるって」

 事実、その通りになったしね。来て良かったわ――。

 と、どこか楽しそうに、まくしたてるように、いきさつを話しながら俺の眼をじっと見つめる遠坂さん。その瞳に吸い込まれていく――ような、不思議な錯覚。なんだか頭がフラフラとするような、おかしな感じが……

 ――噂に、なったような、気がする……?

「――そうなんですか。それじゃ、一年間だけですけれど、宜しくお願いします。遠坂さ――じゃなくて遠坂先生」

 ……しない。気のせいだろう。ちょっとボケてるな、俺。

 お願いします、と頭を下げる。なんだか頭がぼーっとするのは、多分遠坂先生の顔をじっと見た所為だ。そう、だと思う。

「はい。こちらこそよろしくね、衛宮君。――といっても、保健室に来るってことは体調悪かったりケガしたときだから、宜しくってのもどうかなだけどね」
「そりゃそうですね……。それじゃあんまり遠坂先生のお世話にならないように気をつけます」
「うん。宜しい。それじゃ、職員室に行きましょうか、遅刻君?」
「う――」

 にこり、と笑いながら、茶化すように言う遠坂先生――なのに、なんだろう。顔は笑ってるのに、心は全然笑ってない、そういう感じ。背筋の産毛がぞわっと逆立つ。
 ……正直、恐い。威圧感に思わず後じさりそうになる。

「まったく、とんだ不良生徒なんだから」 

 笑いながら近づいてきて、むんずと俺の腕を掴む遠坂先生。
 ぎり、と音がしたのは気のせいだろうか。

「す、すいません。でもこれにはワケが……」
「言い訳は私にじゃなくて生活指導に先生にしなさい。ほら、さっさと行くわよ」

 言い終えるやいなや、方向転換して歩き出す遠坂さん。
 ずずず、と引き摺られる。あの細い腕に何処にそんな力があるのか、思わずバランスを崩して足がよろめいた。

「――っ! ちょ、こんなコトしなくても大丈夫ですって! 今も職員室に行こうとしてたところですしっ!」

 何とかバランスをとって、歩き出す。
 しかし抗議の方は届かない。

「不良の言うコトなんか信じられません。つべこべ言わずにさっさと歩くの」
「いや、ていうか……っ」

 ――この状況は情けないというか、恥しい。それもすこぶる。駄菓子屋で万引きした悪ガキか集団強盗で干された某アイドルだ、これじゃ。
 遅刻したのは俺が悪いのだけれど、ここまでするだろうか、普通。
 ……もしかして、いや、もしかしなくても遠坂”先生”は凄く厳しい人なんじゃないだろうか。うん。そうに違いない。例えば、こう、同じ課題を何十個も出しておいて、出来るまで食事は無しだから、私は貴方が課題やってる間向こうで休憩してるから――とか、笑顔でそういう事を普通に出来そうな。

「――」

 なんだろう。今、なんだか、物凄く悲しい幻覚を見た気がする。
 無論、気のせいなのだけれど。



「……はぁ」

 結局、俺は遠坂先生に職員室まで連行された。
 生活指導の先生じゃなく、保健の先生で良かった。藤ねぇの変わりに担任になったりしなくて本当に良かった……なんてことを考えながら。

――ぎりりりっ

 痛っ!?
 
 †

 学年主任の先生やら生活指導の先生にこっぴどく絞られ、欠席届を書き終えた頃にはもう二時限目も終わりにあと少し、というところだった。
 まさか失恋のショックで家出してました、などと書く訳にもいかず、体調が優れなかっただのというありきたりだけれどそれらしい理由は「藤村先生が家を確認したが本人の姿は無かった」という事でで使えず、理由の欄を書くのにしこたま苦労したせいだ。

「あー……疲れた」

 職員室を後にして、とぼとぼと廊下を歩く。何時までもこうしている訳にもいかない。三時限目からは授業に出なさい、という生活指導の先生の言葉に従って授業を受けるために教室へと向う。
 ちなみに俺を職員室へと連行した遠坂先生は、俺が説教を受けている間ニヤニヤ――なんてことはなく、同僚の先生たちの前では本当に先生然としていて、なにやら先生同士で二言三言話をした後は「それでは私はこれで」という簡潔な言葉だけを残してすぐに保健室へと帰っていった。

「保健、か。似合ってるような、似合ってないような……」

 歩きながら、遠坂先生のことを考える。
 同じ学園で毎日顔を逢わせるチャンス? があるということは、それだけお礼が出来る機会も多いという事だけれど、逆に言えば俺の方ももっと遠坂先生にお世話になってしまう危機でもあるのだ。健康診断とか学園内で怪我をした時などを除いては、出来るならこれ以上は世話にはならないようにしないといけない。だって、俺たちの関係は教師と教え子という物に変わってしまったのだから。昨日みたいな事はもう二度と駄目だ。何が駄目って、そりゃあいろいろと駄目だ。とにかく駄目だ。
 ……もしも、だ。昨日みたいな事がもう一度あって、それが公になってしまったら、遠坂先生にとても迷惑がかかってしまう。俺の学園生活にも色々と問題が起き、支障が出るだろうし、二人は解雇と退学になるだろう。そうなれば、もっと沢山の人に迷惑がかかってしまう。
 ――だから、そう。俺はただの学園の一生徒として、素行良く、今までどおり普通に学園生活を過ごすのだ。この四日間は無かったことには出来ない。だから、それを踏まえて、二度と愚かなことをしないように。まずはしっかり授業に出て、一成やら学友たちに、家に戻れば藤ねぇに謝るのだ。……桜とも、今までどおりに接しよう。そして遠坂先生にもいつか必ずお礼をして、それが終われば、もう本当に元通り。
 ――父と彼女との約束。自分自身の理想。それに向かって、ただひたすらに突き進む。曲がることも休むことも知らない衛宮士郎は、そうやって不器用に生きていくのだ。脱線はただ一度きりだ。

「……」

 頭を振る。今日は今朝からこんなことばかり考えている。考えすぎるのは体に毒だ。これくらいにしよう。もう、十分。
 すぅ、と深呼吸を一つして気持を落ち着かせる。ちょうど、チャイムが鳴って二時限目が終わった。休み時間になるやいなや廊下に飛び出てくる元気な生徒たち。その仲の顔見知りの驚く顔に挨拶をしつつ歩いて、さてさて教室に着いた。皆になんて言おうかな……なんてことを考えながら、がらがらと扉を開ける。

「よお」
「――っ」

 途端。シーンと静寂。……うわぁ。いや、そりゃそうだよな。何の連絡無しにも四日間も休んで、しかも家にも居ない。そんなヤツが「よお」なんて間抜けな挨拶と共にひょっこり戻ってきたら、どう反応していいか分からないよなぁ。

「えーと……」

 どうしたらいいもんか。頬をぽりぽりと掻いていたら、ポカン状態から回復した何人かが、こちらに寄って来てくれた。

「衛宮じゃないか」
「衛宮、おいおい、いったいどうしたんだよ」
「心配したぞこの野郎」
「なんつー部長出勤だよ。ったく、たまにとんでもないことするよな」
「衛宮君、身体大丈夫?」
「クラス全員心配してたんだよ」

 そして心配の言葉や、安堵の言葉などを口々にかけてくれる。笑いながら、怒りながら、不安そうにしながら。

「悪い悪い。ちょっと理由はいえないんだけどさ……この通り、元気だよ。心配かけてすまなかった。ゴメン。それと、みんなありがとう」

 頭を下げる。そんな俺の肩をばんばんと叩く男の学友たち。

「何、気にするな! おかず三つで手を打ってやる!」
「辛気臭いぞ、こらこら」

 そして、そんな俺たちを見て、微笑む女の学友たち。あー、くそ、学園って良いなぁ。クラス全員と友達というワケでもないので、遠くでふーんみたいな顔をしているヤツも居るが、……正直、感動だ。少し泣きそうだ。

「衛宮」

 ――と、そんな風に謝ったり、お礼を言ったりしていたら、後ろから一番の友達が声をかけてくれた。

「悪い! 心配かけた!」

 振り向く。顔もあわせずに、行き成り頭を下げる。
 声の主、一番の友達とは柳洞一成だ。その一成は言わずもがな生徒会長で、いくら友達といえど、学園の風紀を守る身として、何日間も無断欠席した事について説教をしないわけにはいかないだろう。

「……スマン」

 何と言っていいか分からなかった。だから、とにかく謝罪の言葉を口にする。飾り立てずに、シンプルに。そして、頭を下げたまま、じっとお怒りの言葉を待つ。

「……?」 

 待つのだが、一向に一成は怒鳴りもしない。
 ……どうしたんだ?
 気になって、頭を上げる。
 そこには、一成の怒り顔が――無く、

「色々といいたい事がある。しかし、言わん。何があったかも聞かん」

 心底安堵したような顔が、

「……無事で何よりだった、衛宮。心配したぞ」

 ほっと息をついていた。
 ……あぁ、本当に少し涙が出てきた。良い友達を持ったなぁ、と今更実感する。思わず抱きつきそうにな――りはしない、そこまではいくら何でも。けれど、それくらい感動してる。……それと同時に酷く申し訳ない。実際、俺はこの四日間家出をして、フラフラと街を彷徨っていただけなのだから。

「……どうした? 衛宮、やはり体調が悪いのか?」
「いや、ちょっと友情の素晴らしさに感動してただけだ。サンキューな、一成」
「? 礼を言われるような事では無いと思うが……。まぁ、四日も学園に来なければ緩むのも仕方ない。お前の居ない間に新しい先生が来られたりしたが、それ以外は概ね何時もどおりだ。安心して勉学に励んでくれ」
「あぁ、そうするつもりさ。ありがとう。それと、本当にスマン」
「何、気にするな」

 言い終わって、「喝!」と会話を締めくくる一成。それを聞くのも何か凄く久しぶりな気がする。いや、本当に久しぶりか。ただふらふらしてただけの三日は、心の状態の所為もあったけれど、時間が経つのをとても長く感じていたから。

 ――何だか変な事で戻って来たのを実感するなぁ。
 そんなことを考えながら、俺はこれも久しぶりの自分の席へと向った。
 


 

 残りの休み時間は、席が隣の後藤君との雑談に終わった。
 話題は新任した先生についてだ。つまり、遠坂先生について。
 何でも俺が家出した翌日――三日前の全校朝礼で新任の挨拶があり、二日前から保健の教諭として穂群原で勤務しているらしい。若くて美人な女性の先生が来るという噂は前々からあって――俺はそれどころじゃなかったので知らなかった――事実、その通りな人が来たものだから、遠坂先生に心奪われて、ケガもしていないのに保健室に行ったり、わざとケガをして保健室に行く男子生徒が増えたとか何とか。

「へぇ、そんなに美人なんだ、その先生」

 そんな相槌をうつ。我ながら最低だとは思うけれど、こればっかりは仕方がない。昨日の出来事を他人に話すなど出来るわけがない。

「衛宮殿も機会がなくても一目見ておくと良いと思うでござる」
「ハハハ……俺は機会があればで良いよ」

 引き攣った笑みを返す。俺は一目どころか、その遠坂先生が親にも兄弟にも、親友にさえ見せない顔をもう見ているのだから。……って、イカン。思い出したら駄目だ。思い出すな、馬鹿。
 ちなみに増えた、と過去形なのは、ケガや病気でもないのに保健室に来る生徒は一人残らず無言の無表情で追い出され、締め出され、無視され。わざとケガをした生徒は――その、治療と呼ぶには余りにも激痛が伴いすぎる行為に恐れをなし、保健室に寄り付かなくなったかららしい。

 ――たった二日で、保健室は某魔術学校よろしく穂群原学園の秘密の部屋と化したのだという。

 ちなみのちなみに、その治療行為とは経験者曰く、
『拷問』
 その一言らしい。……いや、それは言いすぎじゃないかというか。いやいや、俺は体験したわけじゃないから分からないけど、……何となく納得してしまいそうになっている俺も居るような居ないような。

「貧血が持病な身体の弱い女子生徒などには優しいという噂でござるが……なにぶん、拙者のまわりの人間は一日で敗退した者ばかりでござるからなぁ」

 遠くを見つめる後藤君。それで悟る。あぁ、後藤君もその敗退者の一人なんだと。

「ウチの男子は体育会系率高いもんな。ケガ以外ではあまり保健室には行かないか」
「うむ。何でもケガをしてもマネージャーに手当てしてもらったり、我慢したりする者が現れてるという噂もあるでござる」
「ハハハ。本末転倒だな」
「いや、まったく」

 二人して笑いあう。俺の方は冷や汗垂らしてるけれど――と、急に後藤君の顔が真面目になった。ちょいちょいと耳を指差したあと、手招きをしてくる。多分耳を貸せということだろう。
 しかし――いったいなんだろう? 気になるので、ジェスチャーどおりに耳を後藤君の方に近づける。

「……衛宮殿、遠坂御前は難攻不落でござる。しかし、しかし――新任で、若い、美人の先生は、もう一人居るのでござるよ」
「……へぇ。珍しいね、こんな季節なのに」
「うむ。実は衛宮殿が欠席したその日、オーラルコミュニケーションのシロータ先生が……その、破廉恥行為を働いてお縄についたのでござる。その代わりの先生が昨日づけで新任してきたのでござるが――」

 って、マテマテ。俺たちの次の授業がそのオーラルコミュニケーションじゃないか? ――ていうかシロータ先生、アメリカ人にしては妙に日本人ぽい性格で、カメラが趣味だとか言ってたけど、何してるんだよ……!?
 
 こんがり焼けた肌。白い歯。何故かいつもグラサンをかけ、色々な小道具を用いてギャグを飛ばしては皆からやや受けを貰っていたシロータ先生。そんな先生に、もう二度と会うことはないだろう。
 ――未練はない。
 耳にタコ。何故かそのギャグだけを、よく覚えている――
 
「――あれは、臨時の全校朝礼のことでござった。校長先生に紹介されて、壇上に立った先生は先ほど話したとおり、本当に麗しい女性だった。しかし、マイクを渡された先生の第一声は、信じられぬことに――」

 ことに――後藤君の言葉を遮るように、始業のチャイムが鳴る。その音に飲み込まれて、後藤君がなんと続けたのは分からなかったが、教科書やらを用意していなかった俺は続きを確かめずに、慌てて鞄から教科書やら筆記具類を引っ張り出す。
 既に用意を終えていてた後藤君は席に座りなして、はぁ、と溜息をついてどんより暗い顔をしている。……なんだろう? 気分でも悪くなったのかな。横目で見つつ、俺も席に座りなおす。姿勢を正して、その新しい先生が教室に入ってくるのを待つ。
 そして、チャイムが鳴ってから十秒か二十秒。教室の扉が勢いよく開いた。
 ……正直なところ、興味があったのだ。
 若くて綺麗で美人だとか、見た目麗しいとか、それも異国の人だとか。
 後藤君の言葉どおりに、教室に入ってきた新任だというオーラルコミュニケーションの先生は、一目で日本人のそれとは明らかに違うと分かる艶やかなブロンドの巻き髪で、顔立ちも遠坂先生に勝るとも劣らない端麗さで――けれど、何故か先生は厳しい表情をしている。不機嫌そうだ。何なのだろう、もしかして厳しい人なのかな、そんなことを考えているうちに、教卓まで歩いてきた先生は、開口一番、不機嫌な表情のまま、心底嫌そうな声でこう言った。
 

「ワタクシの名前は、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト。好きな物は珈琲。嫌いな者は日本。日本人。そして卑怯者。――お手柔らかにお願い申し上げますわ。辺境の学生さん方?」