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あんたいとるど・ひも2

エレクトリック・レディランド




 見渡す限りの荒野に乱立する墓標。遠めからは十字架に見えるそれは、実際には全て剣であった。一本の例外もなく朽ちた剣たち。その担い手たちの姿は荒野の何処にも無く――当たり前か、朽ちてしまうほどの長い間、この剣たちは荒野に突き刺さったままで、振るわれることが無かったのだから。
 ――悲しき墓標たちが並ぶ荒野。灰色の空の下。
 空気に錆びた臭いが混じる其処の中心に、一組の男女が寄り添うにして立っていた。小さな丘。その頂上で、男の人はボロボロの赤い外套を纏い――体中に幾つもの剣が突き刺さり、血が溢れて、片腕が肩口から失われていて、鼻も、両の瞳さえも潰されて、生きているのが不思議なくらいの重症で、それでも――じっと空を見上げている。
 女の人は何事かを叫びながら――男の血が自身の服に付着することや、男の体から突き出た剣が己を傷つけること、そんな全てことに構うものかと、男の人の胸をどんどんと叩き続けている。赤子のように噎び泣きながら、何度も何度も叩き続ける。
「――っ! ――っ!」
 女の人が何と言っているのか、分からない。
 ……それが酷く、おかしかった。
 俺はこんなにも彼女の近くに居るというのに、彼女が何と言ってるのか分からないのだから。聞こえないのだから。理解できないのだから。
 こんなにも悲しそうな、泣いている、可哀想な人が近くに居るというのに、どうして俺は手を差し伸ばしてあげないのだろうか。――いや、何を言っているんだ。俺はあの男の人じゃない。手を差し伸ばしてあげなければならにのは、あの男の人だ。
「どうして! どうして!」
 女の人と一緒になって、俺も叫ぶ。
 どうして助けてあげないんだと。どうして気がついてあげれなかったんだと。
 ――お前を大切に想う人がこんなにも近くに、ずっと近くに居てくれたことに、どうして気がつかなかったんだと――
「どう、して……! どうして……!」
 何時の間にか俺も涙を流していた。
 酷く悲しかった。どうしてあの男の人こんなにも馬鹿なんだろうって、悔しかった。辛かった。
 
 自分の一番大切なものに最後まで気がつけず――なのに、とても満足そうに微笑んで、彼女をこんな寂しい荒野に一人残して死に行こうとしている、あの男の人を見るのが、とても辛くて、
 そして何より、
 どこか遠坂さんに似た雰囲気の女の人の、あんなにも悲しそうな顔を見るのが、とても、とてもとても辛くて――――
 
 

 
 
「あ――――」
 目が、覚めた。
 体中に圧し掛かる、気だるい脱力感。やたらに霞む視界は何故なんだと、ぼんやりとした頭で考えて――自分が泣いていることに気がついた。
「変な夢だったな……」
 そして、とても悲しい夢だった。いつも目覚めは暗く、夢などあまり見ないのに。……どうしてこんな夢を見たんだろうか。
 分からない……目をこすりながら、体を起こす。
 さらりと俺の体から流れ落ちる真白いシーツの感触が心地良い。ふかふかのベッドは優しく俺を包み込んでくれていて、このままもう一度眠りたい――気分には、ならなかった。眠ればまたあの夢を見てしまうような予感がして、そして何より、
「ん……っ」
 同じベッド。俺の隣で一糸纏わぬ姿で気持ち良さそうに寝息をたてている遠坂さんの姿に――――
「――――」
 ――――全ての行動を停止した。
 脳裏に蘇る――思い出すのも憚れなければならない映像たちは、けれど鮮烈で鮮明。
「あ……」
 駄目だ駄目だと警鐘をガンガンと打ち鳴らす理性を無視して、馬鹿な本能は手に感触を、鼻に匂いを、体に暖かさやを思い出させる。
 顔に血液が集まってくる。血液が沸騰して顔が熱くなる。頭が熱くなる。頬が赤い、なんてもんじゃない。顔中が熱い体中が熱い。しかも朝だということもあいまって、健康で健全な青少年な俺は――って、
「馬鹿馬鹿馬鹿……っ!」
 大慌てでベッドから抜け出す。抜け出して、あたりに散乱していた自分の服を掻き集め、腕に抱えて、部屋を飛び出した。
 
「――はっ、はっ、はぁ……!」
 バタン、とドアを閉めてそのドアにもたれかかる。
 心臓は馬鹿みたいに素早く鼓動していて、呼吸も荒い。深呼吸、深呼吸。と深い呼吸を繰り返すが、てんでおさまらない。
 けれどそれも仕方ない話だ。
 だって、あんな……
 
「だから思い出すな俺の馬鹿……!」
  
 ……あんな遠坂さんの姿態と肢体の記憶を追い出すように、頭をボカボカと殴る。 
 殴って殴って殴りまくったが、一向に体も心も落ち着かない。落ち着く気配すら見せない。
 ……これは駄目だ。色々と駄目だ。もうとんでもなく駄目だ。それでもってヤバイ。マズイ。色んな人に合わせる顔がない。下げる面がない。言う言葉が見つからない。
「――――」
 頭を抱える。そして、ともすればこのままへたみ込んで一歩も動けなくなってしまうだろう体に鞭打って、のろのろと歩き出した。前傾姿勢で。
「これは……その……」
 喜んで良いのか、反省すべきなのか、謝るべきなのか。
 分からないくせに、そんなことを考えながら、俺は洗面所の扉を開けた。――冷水を浴びよう。それ以外、何も思いつかない。
 
 

 
 
 頭から冷水を浴びて浴びて浴びまくって、風邪を引く一歩手前でようやく落ち着いた。ちぢこんだ。
 それで、冷えた頭で考えると――昨日のアレは不可抗力というか、不意だったというか、ともかく俺の方には責任は……
「……ある、よなぁ」
 それも大いに。
 遠坂さんにあんな顔とあんな声であんなコトを言われて、お願いされて、断ったり抗う術が俺にあったかと聞かれれば、無いと答える。けれどそんなものは言い訳だ。止めようと思えば止められたんだ。結局俺は……そこらのサルのように、未知の性の誘惑に勝てなかったのだ。
「――はぁ」
 溜息を吐く。吐いて、頭を振る。
 がっくりと落ちそうになる肩を、けれどそれはとても失礼なことなんじゃないかと考えて落さない。
 初めてのそれは本当に好きな人と――なんてロマンチックなことに憧れていなかったといえば嘘になるけれど、遠坂さんが相手だったことに不満や抵抗が有ったかといえば、それも嘘になる。
 出会って一日経ってないけれど、遠坂さんが俺なんかとは絶対に不釣合いな素敵な女性だということを知っているし、知らされた。刻み付けられた。
 だから、寧ろ俺なんかで……きっと酔った勢いとかでああいう流れになってしまっただけで、不可抗力の不本意不満で後悔しているのは遠坂さんの方じゃないかとい心配してしまう。申し訳ない気持ちになってしまう。
 
 だからやっぱり、謝ろう。
 ごめんなさい。俺は親切にしてくれた貴方の好意を無碍にして、貴方に取り返しのつかないことをしてしまいましたと。俺に出来ることなら何でもしますし償いますから、どうか許してくださいと。
  
「……うん。それが良いよな」 
 それはもしかしたらとても悲しいことなのかもしれないけれど、俺にはそれくらいしか思い付けないのだから、仕方ない。
 頷いて、包丁を握る。
 まずは昨日の夕食のお礼をしないといけない。……使うのは、遠坂さんの冷蔵庫の中にあった食材だけれど、ともかく料理にはちょっとだけ自信があるんだ。
「遠坂さんは中華だったから、俺は和食でいこうかな」
 鍋をコンロにかけながら、考える。考えて、答えは直ぐに出た。
 メニューは――昨夜は肉が中心だったから、今朝は魚中心に焼き魚やつみれ汁やらにしよう。
「よしっ!」
 頬を叩いて気合を入れる。
 正直遠坂さんより美味しいものを作れる自信は無いけれど、そこは根性でカバーだ。
 根性で料理が上手くなったら苦労しないぞ。という心の声を無視しながら、ちょうど冷蔵庫に入っていた鰯と鯖を捌く。
 ――時計の針は午前の五時半をさしている。
 目覚まし時計を使わなくても――昨夜色々あっても、決まった時間に起きれるのも、ちょっとした俺の自慢。
 時々寝坊して――頬をもう一度叩いて、俺は魚を捌くのに集中した。
 今は思い出すな。考えるな。耳には……そう、とんとんというリズムの良い音しか聞こえてこない。聞こえてこないのだ。
  
 ――古い、たてつけが悪くて蝶番も錆びて、無暗に重い、扉が開く音。
 
 そんなもの、二度と聞くことは無いし、聞いちゃいけない。
 ……目元を拭う。
 涙かと思ったそれは、汗だった。

 

 
 
 ――新しい、軽やかで静かな、扉が開く音。
 
 聞きなれないそれは、廊下からリビングダイニングに続く扉が開いた音だ。
 俺は緊張に振るっていた包丁を止めて、肩を強張らせた。
 来た……。遠坂さんだ。
 先ほどの決意を思い出す。思い出すが、朝からいの一番に謝るのも逆に失礼ではないか。まずは、普通に接しよう。挨拶をして、一緒に飯を食べて、一服して、落ち着いたときに切り出そう。うん。それがいい。
 もそもそと近づいてくる足音。
 振り返る。そしてなるべく爽やかに普通に気持ちよく挨拶しようとして、
 
「――おはよう。朝早いのね、あなた」
「――――」
 
 尋常じゃない目つきをした遠坂さんの顔に絶句した。
 
「ちょ、どうかしたんですか……!?」
 けれど、絶句したのも一瞬。直ぐに心配になって、声をかける。
 ――長い間塹壕戦をして戦争病にかかった兵士。
 ――爆雷の恐怖で頭がおかしくなったベテランのサブマリナー。
 映画でしか見たことないそれだけれど、今の遠坂さんの表情はまさにそんな感じだった。足取りもふらふらと幽鬼のようだし、何かあったのだろうか。
「別に。朝はいつもこんなだから気にしないで」
 言いながら、遠坂さんはのろのろと冷蔵庫を開けて、中から牛乳を取り出した。
 腰に手をあて、徐に口のみでごっきゅごっきゅと流し込んでいく。
「本当に大丈夫ですか……?」
「げふっ……。ええ、気にしないで。顔洗ってくるわね」
 空になった牛乳パックをゴミ箱にスローイング。見事命中。
 口の端から、牛乳を一筋。
「……行ってらっしゃい」
 ひらひらと手を振りながら部屋を出て行く遠坂さんは、ちょっとかっこ悪かった。
 
 

 
 
「んー。さっぱりしたー」
 ニ、三分ほどして遠坂さんが戻ってきた。
 先ほどの目つきは綺麗さっぱり元に戻っている。化粧はしていないけれど、ロングの髪をアップにしたその姿は新鮮で、実際の年齢よりも――何歳かは知らないけれど――若々しい印象を与えてくる。勿論、綺麗だ。すっぴんでも。
「おはようございます。遠坂さんも朝早いんですね」
 出来上がった料理を盛り付けた皿をテーブルの上に並べていく。
 時計の針は午前六時を少し過ぎたところ。
 遠坂さんが何の仕事をしている人かは知らないけれど、通勤に時間のかからない新都に住んでいることを考えたら、十分に早起きだと思う。
 と。
「早い……ね」
 遠坂さんは俺が朝食の用意をしていたことに驚いたのか、ぽかんとした表情でテーブルの傍に立ち尽くしていたが、不意に不機嫌そうな声でぼそりと呟いた。
「? どうかしたんですか……?」
「いーえ、別に。普段はもう少し遅く起きるんだけど、今朝は寒かったからねー」
「……そう、ですか? この季節にしたら暖かい方だと思いますけど」
 大きな窓から差し込んでくる日差しも暖かいし、冷水を浴びても平気――ではなかったけれど、とにかく今日は割合暖かいほうだ。暖房も効いてるし。
「――――」 
 遠坂さんは俺の言葉を聞きながら、テーブルに腰掛けて頬杖をつく。
 そして今度はあからさまに不機嫌そうに唇を尖らせて、
 
「だって目が覚めたらあなたが隣に居なかったんだもん。広いベッドに一人きり――寒いわよ、そりゃ。裸だったし」
 
 ――とんでもないことをのたもうた。
 
「う――え、い、あ」
 完全なる不意打ち。
 それで――今朝、遠坂さんに会ったときから思い出さないように思い出さないようにと努めていた昨日のあれのことを思い切り思い出してしまった。
 脳裏に浮かんでくる鮮烈な映像たち。上手く喋れない。俺は言い訳も何も出来ず。ただ体中を茹蛸みたいに熱く赤くしながら、素っ頓狂な呻き声を漏らすだけ。
「吃驚したなぁ。同じベッドに寝たのに女が起きる前に居なくなっちゃうなんてなぁ……この、薄情モノ。何? やることやったら後はどうでも良いっての?」
 遠坂さんは下からきっと睨みつけてくる。
「あ――う……、その」
 何も言い返せない。それだけの人生経験やら器量やらともかく恥ずかしくて情けなくて申し訳なくてワケが分からない。
 あうあうと口がぱくぱくする。俺の意思に反して。
「寂しかったなぁ、寒かったなぁ……心が寒かったなぁ」
 今度はよよよ、と泣き崩れる仕草をする遠坂さん。
「い、え……だ、だから」
「だから、何? ふん。結局体が目当てだったんでしょ。私の気持ちなんてどうでも良かったんだ……。そうよ、初心な顔してあれだけ激しくやっといて――まさかいきなり後ろ」
「わぁ――――っ!? ちょ、何言ってるんですか……!?」
 それはもっとも封印すべき記憶――!?
 大声で叫んで遠坂さんの口を塞ごうとするが、遠坂はさんは俺の手をひらりと躱してしまう。
「あれは初めてで混乱してたし頭がぼうっとしてたしでワザとじゃなくて完全に不可抗力で――――っ!」
 顔から火が出るどころか溶岩が噴出しそうだ。頭がクラクラしてきた。
 そんな俺とは裏腹に、遠坂さんはにやにやと笑って。
 
「へー。ふーん。そうか、そうだったんだぁ。士郎君はじめてだったんだぁ。嬉しいなぁ」
「――――っ!?」
 
 ――これまたとんでもないことをのたもうた。
 
「は、はは……」
 両の手で頬を覆ってきゃっきゃっと騒ぐ遠坂さん。
 そんな遠坂さんに――もう何も言い返す気力が沸いてこなくて、というか何を言っても軽くあしらわれてしまうだけだと気がついて、ガックリと肩を落す。
 ……絶対にこの人には敵わない。そう思った。
 もし結婚したならば、一生尻にひかれることになるとそんな怖ろしいことを考える。
「どうかした? 死に掛けの子犬みたいな顔して」
「……いえ。それより昨日の晩飯のお礼に朝食用意したんで、食べて下さい……」
「それは嬉しいけど……ごめんね。傷ついた?」
 歩み寄りながらこちらを窺ってくる遠坂さん。それは嬉しいけれど、今になってこんなに優しくするのは、ずるいと思う。
 俺は「大丈夫です」と短く答えて、まな板に向き直った。
 そのままつみれ汁に入れるための葱をきざむ――とんとんととんと。
 きざんだものを小皿に移して、次にお漬物を切ろうとして――そこでやっと気がついた。
 遠坂さんは別段昨日のことを不本意だったとか思ってない、と。
 確かに怒ってはいるけれど、それは今朝俺がベッドから抜け出してしまった、てことに対してで……って、あれ?
 ということは、その。
(昨日のあれは本気だったってこと……!?)
 せっかく治まりかけていた体中の火照りやらがぶり返してくる。
 包丁がとたんととたたんとんたんと不規則なリズムを刻み始める。
 考えられない。信じられない。ワケが分からない。意味が分からない。 
 だってありえるか、普通?
 ドラマじゃあるまいし、偶然に道端で出会った俺が初恋の人にそっくりだなんてこと。しかもたったそれだけの理由であれだけ優しくしてくれて、しかも――――っ
(だからアレは思い出すなって……!)
 頭を振る。
 思い出すだけで頭がどうにかしてしまいそうだ。
 このことについてはあまり深く考えない方が良いかもしれない。でも、だからといって遠坂さんに直接訊くというのもちょっとどころかかなり憚れる。
「ねぇ、本当に大丈夫?」
 不安そうな声とともに、遠坂さんが俺のすぐ後ろにまで近づいてくる。
「は、はい! 本当に大丈夫です……!」
 まさか「昨日のアレは本気だったんですか?」何て訊けるはずがない。
 慌てながら叫んで、高菜に集中――できない。遠坂さんが近くに来たということもあって、頭の中がこんがらがってる。
「嘘。じゃあ何でこっち向いてくれないの?」
「いや、何でというか……」
 だって馬鹿みたいに真っ赤で、とても人に見せられる顔じゃない。
 俯いて、黙りこくる。
 だから、 
「……顔も見たくないくらいに怒ってるの?」
 その遠坂さんの問いに咄嗟に否定が出来なかった。
「……ごめんね。ごめんなさい。私、時々無神経になっちゃうから。――でもね、朝起きてあなたが隣に居なくて寂しかったのは本当。それだけは、忘れないでね」
 これからのためにもね、と。
 背中に降りかかる悲しそうな声音に、先ほどまでの悪戯っ子のような響きは一切無い。真摯な遠坂さんの声は、まるで流水のようにさらさらと俺の耳と心に流れ込んできた。
 ――だからそれが遠坂さんの心からの言葉だと、瞬間的に理解する。
「あ――」
 呟いて、手を止める。包丁を置いて、顔を上げた。
 漸く、本当に漸く、気がついた。
 それが故意ではないにしても、結果的に俺は遠坂さんに寂しい想いをさせて、そのことに対して俺は何の謝罪もしていないということに。
 そして、昨日のお礼とか何だとか言って朝食は用意したけれど、肝心の「ありがとう」という一言をまだ言ってないということに。
 しかも、逆に遠坂さんにこんなに気を遣わせてしまって……俺は、どうしようもない馬鹿だということに。
「…………」
「…………」
 リビングダイニングには、重苦しい沈黙の帳が落ちていた。
 俺たちは互いに無言で、一歩も動かずにじっと立ち尽くしている。
 ……遠坂さんの言葉が緞帳が降りるきっかけとなったのなら、それを上げるのは俺の役目だ。
 何と言えば良いかは分からない。次からは気をつけます――なんて言えるワケがないし、優しい言葉を捜しても、俺の頭の中の辞書にそんなもの載っているはずがなくて、結局はありきたりの言葉になってしまうのが申し訳ないけれど。 
(……よし)
 決意して、大きく息を吸い込んで、吐いた。
 ばくばくと駆け足で走っていた心臓はそれで落ち着いてくれて、顔はまだ赤いままだけれど、そこまでは気にしていられない。
「と、遠坂さんっ!」
 名を呼びながら、振り返る。
 そして「すいませんでした……!」と続けようとして、
  
 ――そんな俺の決意とか勇気とかそんな全ての気持ちとは裏腹に、
 
 ちゅ、と
 
「――――え?」
 
 唇に、とても柔らかい感触。
 そして目の前には、
 
「えへへ。キスしちゃった」
 
 やっとこっち向いてくれたね、とはにかみながら笑う遠坂さん。
「――――」
 全身から力が抜けて、へなへなと腰から崩れ落ちる。
「ご飯、まだ? 私おなか空いちゃった」
 昨日たくさん運動したからねー。と遠坂さん。
「……どうしたの? アホの子みたいな顔して」
 小首を傾げる遠坂さん。
 ……遠坂さん。遠坂さん。遠坂凛さん。
(あぁ……)
 これで本当に、気がついた。
 これから俺たちの間に何が起こるかは分からない。一時の出会いで、二度と会わないかもしれない。俺は立派な正義の味方になれるかもしれない。
 けれど、そんなことは金輪際一切関係なく、俺は、一生この人に敵わないのだと。
「はは、は」
 意味もなく笑いが零れた。 
 アホー、と。
 朝なのに、カラスが鳴いた。