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 チャイムが鳴って少し経ってから、虎子ちゃんが教室内に入ってくる。
 二時限目の授業は英語だ。
 俺の得意な科目だが、英語の授業はあまり好きではない。英語の授業というか担当の教諭があまり好きではない。あまり好きではないというか、苦手だ。それはもう凄く苦手だ。

「きりーつ、れーい」

 日直の号令に合わせて、挨拶をする。
 席に着きながら、あぁ、クソ。どうせ今日も当てまくられるんだろうなぁ、ケッ。なんて考えていたら、キリスト教徒なのに神に見放されたのだろうか、いきなり虎子ちゃんに声をかけられた。

「ちょっとー、言峰くん。教科書はちゃんと授業が始まる前に用意しときなさいよ」
「へいへーい。次からは気をつけまーす」
「こらー。返事は「はい」。はい一回」
「はーい。分かりましたよー」

 全然気を付ける気も分かってる気もしない気だるそうな返事をすると、虎子ちゃんは腰に手を当てて「はぁ」と溜息を吐いた。
 それから「相変わらずよねぇ、言峰くんは……」などとぶつぶつ呟いてから、教科書を開く。

「はーい。今日は新しい単元に入ります。みんな、P44を開いてねー」

 言いながらも、視線は俺の机の上だ。どうやら俺がちゃんと教科書を用意するかどうか見張ってるらしい。
 クソ。別に教科書が無くたって分かるっつーの。これでも英語だけはいつも遠坂と学年一位二位を争ってるんだから。厳密に言えば遠坂が一位を取ったのは入試の時の一回だけで後は俺の全勝なんだけど、言ったら遠坂が怒るんで争ってると言っておくことにする。
 ちなみに俺が英語が得意なのは、小さいころから親父に連れられて海外に行ったり洋画を吹き替えも字幕も無しに観させられてたからなんだけれど、まぁどうでもいい話だ。気がついたら得意だった。これで十分だろう。

「えーと、たしか……」 

 机の横にかけた通学鞄の中を漁る。
 基本的に教科書類は全て机の中に置きっ放しで、家にもって帰るのはノートだけなんだが、先日担任でもある虎子ちゃんの命令で「教科書は家にもって帰ること。いいわねー。それと最近校内で盗難事件があったから、貴重品類はなるべく学園に持ってこないこと」になってしまったのだ。
 しかも机の中の検査までやられた。ここまでやられたら流石に持って帰らないワケにはいかない。教科書を盗むような酔狂なヤツはまぁいないと思うが、もし盗まれたらムカツクし。結構高いんだぞ、教科書――って、

「いけね。忘れた」

 無い。何処を探しても無い。見つからない。
 そういや昨日の夜は慎の字の家に泊まったから時間割できてないんだった。頻繁に泊まるんで着替え類なんかは慎の字の家に置いてあるけど、流石に教科書までは置いてない。それをすっかり忘れてた。

「大河センセー。すいません。教科書忘れたみたいです」

 手を挙げて、虎子ちゃんに素直に伝える。流石に虎子ちゃんと呼ぶわけにはいかないので呼び名は大河センセーだ。これもこれでどうかと思うが。

「ちょっと言峰くん。先生のことはちゃんと藤村先生って呼ばなくちゃダメなんだから。次に名前で呼んだら怒るわよ。それと、教科書を忘れたんなら授業が始まる前に借りてこないとダメじゃない」
「はーい、以後注意しまーす」

 俺の全然注意していない素振りの返事もどうかと思うが、教科書より自分の呼び名を先に注意する教諭というのもどうなんだ。おい。

「はぁ。仕方がないから今日は隣の人に見せてもらいなさい」
「うっす。分かりました」

 大河センセー。とは流石に言えなかった。何だかんだで怒るといったら怒る人だから。しかも恐い。だってリアルごくせんだもん。俺だってヤのつく人に睨まれるのはゴメンだ。

「さてと」

 手を降ろし、椅子に座り直して隣の席を見遣る。

「――こほん」

 右隣の席はいちなちゃんだ。そのいちなちゃんは俺と視線が合うと、ばっと視線を逸らし、教科書を片手に何だかワザとらしい咳をした。それから前を向いたまま横目でちらちらとコチラを窺ってくる。
 ……えーと、これは見せてやってもいいという意思表示なんだろうか?

「……」

 頭の中でいちなちゃんと机をくっつけて一つの教科書を二人で覗き込む姿を想像する。
 ……うん。
 良い。凄く良い。しかもいちなちゃんは英語が苦手だから、分からないところを教えてあげてポイントアップじゃないですかコラ。

「よし」

 決めた。いちなちゃんに見せてもらおう。
 なぁ、柳洞ちゃん。と、声をかけようとする。流石に教室内のしかも授業中にいちなちゃんとは呼べなかったからだ。少し情けないが、しょうがない。タダでさえ俺は姉貴やら遠坂の件やらで男子生徒から白眼視されてるんだから。
 この前のデートの時は知り合いに見つからないか常にびくびくしてたぞ。俺のチキンハートは。

「ん?」

 と。
 がたごん、といちなちゃんの席の方に体を傾けたところで、左からシャツの裾をくいくいと引っ張られた。
 それにつられて振り返る。
 そこには左隣の席の後藤桜ちゃんが居た。

 後藤ちゃんはいちなちゃんに負けず劣らず可愛らしいフェイスと、遠坂が泣いて悔しがる女性らしい体――怪物”G”とちょっぴり不思議ちゃんな性格で穂群原の三本柱の一人として男子の人気を集め、弓道部では面倒見の良いエースとして、顧問の虎子ちゃん、先輩、はたまた後輩の男子どころか女子からも慕われている学園の人気者だ。
 ちなみにGとは回りが、っつーか男子だけがそう呼んでいるだけで本当にGなのかはその男子達の永遠の謎と興味だ。遠坂の見立てではEかFらしいが、血の涙を流しながら教えられても何も嬉しく無いぞ、コラ。

 中学も同じ、学園でも弓道部で同じだったという事もあって知り合って久しい。趣味が同じ料理ということもあって、一緒に買い物行ったりとか、夏祭り行ったりとか、料理の教えあいっこしたりとか――俺が和食を、彼女が洋食――で私生活でも仲が良い。
 遠坂にいわせれば付き合ってるのと変わらない、らしいが、断じて違う。付き合ってない。仲が良いだけだ。うん。夏祭りだってお前も一緒に行ったじゃねーか。

 少し話がずれた。
 そんな後藤ちゃんが俺に何か用だろうか?
 と、不思議に思っていたら、なるほど。後藤ちゃんの手には英語の教科書があった。どうやら、見せてあげても良いよ、ということらしい。

「どうしたの? 後藤ちゃん」

 尋ねる。後藤ちゃんの意思は理解できてたが、直に本人に言って欲しかった。そっちの方が嬉しいからだ。それに、もしかたしたら俺の勘違いだった、てこともあるかもしれないし。

 俺の問いを聞くと、後藤ちゃんはにっこりと微笑んで、ゆっくりと口を開いた。

「宜しければ拙者のをお見せするでござるよ。言峰殿」
「――はへ?」

 思わず素っ頓狂な声をあげる。
 拙者? ござるよ? 言峰殿?
 いったい何でそんな変な武士みたいな喋り方なんだ――って、ああ、そうか。

「そうか。昨日のドラマは時代劇だったな」 

 直ぐに合点する。後藤ちゃんは前日見たドラマに影響されてころころ口調や仕草が変わったりすることがあるのだ。それも多々に。
 こういうところが不思議ちゃんなんて言われてしまう原因なのだろうけれど、後藤ちゃん本人は全く気にしていない。それは俺もだ。寧ろ此処までドラマを楽しめれる後藤ちゃんに尊敬の念すら覚える。人生楽しまなきゃ損だ。

「確か剣客商売だったよな。俺も池波正太郎が原作のヤツは結構好きなんだ。昨日もツタヤでたそがれ清兵衛借りてブックオフで蝉しぐれ買ってきたし……って、両方とも藤沢周平じゃねーか。馬鹿」

 自分で言って自分で突っ込んでしまった。寒い。しかも普通に勘違いしてた。

「言峰殿はいつも面白いでござるね」

 だが、後藤ちゃんはそんな俺を見てくすくすと笑う。
 いつも、という部分が少し気になるが……うん、後藤ちゃんの笑顔を見てると気にならなくなるから不思議だ。

「……」

 今度は頭の中で後藤ちゃんと机をくっつけて一つの教科書を二人で覗き込む姿を想像する。
 ……あぁ、良い。凄く良い。
 いちなちゃんと一緒も良いけれど、後藤ちゃんと一緒も良い。
 後藤ちゃんは別段英語が苦手なワケじゃないけれど、後藤ちゃんはいちなちゃんや遠坂には無い立派な乳を持っていらっしゃるわけで、当然机をくっつけて二人で一つの教科書を見るとなれば偶然肘に当たったりしてもおかしくない。絶対おかしくない。断言する。文句あるかコラ。

 よし。決めた。後藤ちゃんも見せてくれるって言ってくれてるし、後藤ちゃんに見せてもらうことにしよう。

「わりぃな。後藤ちゃん。ありがたく見せてもらうことにするよ」
「いいえ。お気になさらず。……では、拙者が失礼して」

 言って、後藤ちゃんは椅子に座ったままががが、と床を摩るように移動する。そして俺の椅子と自分の椅子をぴったりくっつけて――って、

「ちょ、ご、後藤ちゃん。何か近くないか!?」

 思わず声をあげる。だって肩と肩が触れ合うどころか密着してるぞ、おい。いや、嬉しいといえば嬉しいんだけど、流石に授業中にこれは不味くないかっつーか何が不味いのかよく分からないけど、大胆過ぎじゃねーかっつーか柔らかいっつーかいい匂いっつーか……あぁ、クソ。行き成りのことでちょっとテンパってるぞ、チクショウ。落ち着け、言峰士郎。処女じゃあるまいし。これくらいで動揺するな。ガンホー! ガンホー! 人生楽しめ!

「拙者はコレ位が丁度良いでござる」

 そんな俺などお構い無しに、後藤ちゃんはすました顔でそう言うと、どっかと教科書を”俺”の机の上に置いた。

「ね? 見やすいでござろう?」

 教科書をぺらぺらとめくって、後藤ちゃんは俺の顔を覗きこんで微笑んでみせた。
 ちらりと襟元から覗く胸元に――馬鹿! 目を奪われたら負けだ! 授業中だぞ、おい!

「そ、そうだな。うん。見やすいよ、あ、ありがとう」 
「いえいえ。言峰殿には何かと世話になっているのだ。これぐらいお安い御用でござる」

 言って、後藤ちゃんはえっへんと大きな胸を張った。
 あぁ、もう! クソ! 天然か!? これは天然でやってるのか!?
 どもってしまったし、さっきから何だか教室中、特に右方向から強い視線と想念を感じるが、無視だ。
 っつーか恐くて振り向けない。っつーか可愛くて視線を逸らしたくない。柔らかいんで体を離したくない。いい匂いなんで……あぁ、クソッタレ。馬鹿。俺のオカマ野郎。フニャマラ軍曹。

「はーい。じゃあこの単語の意味が分かる人ー?」
「はい! はい! 拙者が答えるでござる!」

 後藤ちゃんが挙手する。しかも右手を挙げるもんだから、その勢いで乳が――って、あぁぁぁ……ダメだぁ。体から力が抜けていくったら抜けていく。


/


「……ジ、ジーザス」

 結局、授業が終わるまで俺はひたすら俯いていた。
 集中しないと直ぐに硬マラになってしまいそうだった。あぁ、クソ。休み時間になったらトイレ――いや、待て待て待て。そこまでしたら完全に何か大事なものを失うぞ。

「……? 言峰殿? 気分が悪いでござるか?」
「……い、いや。大丈夫。それより今日はありがとうな、いつか恩は返すから」

 力なく後藤ちゃんに答えて、教室を出る。
 次の古文の教科書も忘れてたからだ。遠坂に借りてこよう。うん、それが良い。何か知らないけどいちなちゃん滅茶苦茶機嫌悪いし。もう一回後藤ちゃんの世話になると一線を踏み越えてしまいそうだし。
 ……あぁ。なんて情け無い。案外オカマなのかもしれない、俺。


/


 で、次の日。

「あ、後藤ちゃん。おはよう。これ、昨日のお礼ね」

 登校してきていの一番。教室の入り口の前で、ばったりと後藤ちゃんに出くわした。
 ちょうど良い。と、昨日のお礼にと思っていた大江戸屋のドラ焼きを鞄から取り出して、後藤ちゃんに差し出す。

「昼飯の時にでも食べてくれ」

 大江戸屋のドラ焼きは後藤ちゃんの長年の好物だ。
 その好物を受け取った後藤ちゃんは、ぱぁっ、と顔を輝かせた後――

「ピカチューッ!」
「――――はぁ?」

 ――とんでもないクソを垂れた。

「ピッカァ、ピッカァ!」

 そしてドラ焼きを手に嬉しそうにぴょんぴょんと跳ね回る。制服の下でフリーダムにゆさゆさと揺れ動く怪物くん――じゃなくて、マジか。おいおいおい! ピカチューって! ドラマですらねぇぞ! 

「後藤ちゃん……? 何だよ、そのピカチューってのは……。いや、昨日の夕方やってたのは知ってるんだけど、その、幾らなんでもこの歳になって――」
「ピ?」
「――あぁ、いや。歳は関係ないな。それよりも、だ。それじゃ日常会話すら出来ないじゃねーか。俺は大丈夫だけどさ、他のヤツとか先公とかに話かけられたら……」
「ピカ?」
「……まぁ、その時は何とかなるよな、うん。ドラ焼き味わって食べてくれな」
「ピカ!」

 満面の笑顔を浮かべる後藤ちゃん。
 ……あぁぁっ! もう! 何なんだ! 幾らなんでも反則だぞ! このクソッタレが! 昨日のござる口調も変な意味でくるもんがあったが、今日のはヤバイ。何がヤバイのか今日も分からないがともかくヤバイ。
 我慢だ。堪えろ士郎。いや、無理。だって小首を傾げる仕草が可愛すぎるんだよ、コラ!
 しかもいま気がついたけど頬っぺたに赤丸まで書いて――だぁーっ! 馬鹿野郎! こんなの見せられたら授業受ける気無くなるっつーんだチクショウめが!

「後藤ちゃん」
「ピ、ピカ?」
「今日は授業サボって、どっか遊びに行こう。いや、行く。なんと言われても行く。何が何でも行く。決定」
「ピ、ピ――っ!?」

 後藤ちゃんの手を取って、歩き出す。こんなときになってもピカチューを貫きとおす後藤ちゃんは凄いというか何と言うか呆れるというか。いや、可愛いっちゃ可愛いんだけど。でも普通の人から見たら頭イタイ娘にしか見えないんだろうなぁ、ソコが悲しいぞ。ったく。
 ……俺だってはじめはちょっと引いたけどさ、些細なことじゃないか、こんなの。人の価値がそんなくだらない事で決まってたまるかっつーんだ。馬鹿。こんなに優しくて気が回って、家庭的で女らしい良い娘中々居ないぞ。

「ピカチュー! 君に決めたっ!」

 ムーヴクイック!
 いまだ途惑っている後藤ちゃんに向って言って、走り出す。
 人生楽しまなきゃ損だ! クソッタレが!