魔女さまの湯浴み
「……何やってんだ」 エプロンを外して風呂場に向かう。 キャスターが風呂に入ってからかれこれ2時間は経過してる。 女の風呂は長いって聞いたけど、いくらなんでも長すぎると思う。 「サーヴァントってのぼせるのかな……」 一小節のスペルでランクAに該当する魔術を行使してしまうようなキャスターが。 俺のことを坊やと呼んで、からかうように意地悪く笑い振舞うキャスターが。 やられたと思ったらローブだけで脱出したお前はくの一かというキャスターが。 のぼせてダウンしている姿を想像して――――失敗した。 と言うかサーヴァントは温度を感じないって言ってた気がする。 「………………ま、それでも一応」 のぼせることは無いとはいえ、用心することにこしたことはないだろう。 マスターである俺が未熟な上に不安定なんだ、キャスターに悪い影響が出てもおかしくはない。 板張りの廊下をぺたぺたと歩く。 冬の冷気を孕んだ木の板がならぶそれは、天然の冷蔵庫を思わせた。 ようするに足の裏が滅茶苦茶冷たいってことだ。アパム、スリッパもってこい。 「武家屋敷だからしょうがないっちゃないんだけど」 この冷たさにはどうしても慣れられない。 熱いのは我慢できるというか平気なんだけどなあ、俺。 などと考えいたら、何時の間にか風呂場まであと5メートルほどのところまで来ていた。 そして、そういやなんて言って声をかけようか。と思案しはじめた、そのとき、 ――――かちゃりと音をたてて、風呂場のドアが開かれた。 「……マスター? 夕食の準備をしていたのではなくて?」 「――――――――――――――――」 呆気に取られ、暫しの間沈黙。 今俺の目の前に立っているの人物は一人しかいない。 それが誰であるかなど、短い付き合いながら完全に承知している筈なのに、その名前を呼ぶことが酷く困難だった。 「マスター……? どうしたの、呆然として。……また、体に異常が出たの?」 「――――いや。そんなコトは、ないんだが」 自分でも呆然とした声で、なんとか返答する。 正直、この状態で声が出せた自分を褒めてやりたい。 「?」 僅かに眉を寄せて、首を傾げる。 肩を少し越したところまで伸ばされている髪が揺れる。 薄紫の髪は、濡れていて、戦っているときや俺をからかうときの彼女とは全然違っていた。 それは寧ろ、初めて出会った日、柳洞寺の近くでずぶ濡れで倒れていた彼女を思い起こさせて―――― (……って、何を思い出してんだ、俺) 頭を横に振って振り払う。 それに違うのは髪だけじゃない。 いつもは濃い紺のローブを纏っているキャスターが今身に着けているのは、ゆりの花があしらってある着物だった。 「――――えっと。その服どうしたんだ、キャスター」 「居間に置いてあった書物に載っていたのを参考に作ってみたのだけれど……やはり私には似合わないわね」 「いいや、そんなことない。似合ってる。凄く」 間を置かず、即座に言い返す。 落ち着いた色の着物は本当に驚くくらいキャスターに似合っていた。 「――――あ、ありがとう」 俯き加減の顔で、ごにょごにょと早口で呟くようにキャスターが言う。 恥らうようなその仕草は、これまたいつもの彼女とは違っていて。 ……思わず、見とれてしまう。 「――――――――」 「…………マスター、どうかしたの?」 怪訝そうなキャスターの声で我にかえる。 まさか君に見とれてたいたとは言えない。 「あー、いや、なんでもない。……その、もしかして風呂好きなのか、キャスター」 「ええ、サーヴァントになってから知ったのだけれど、身体を清潔にすることは好ましいことだし」 そこでふと気がついた。 キャスターから石鹸のいい匂いがか薫って来ている。 合点がいった。 「――――ああ、だから遅かったんだ」 「ええ。……ごめんなさい、いつ敵が襲ってくるか分らないときに」 「いいよ。実際敵襲は無かったし。それにキャスターだって女の子なんだから風呂が長くなるのはしょうがないだろ」 「――――――――――――――――」 呆然とした表情を浮かべるキャスター。 はて、俺は何かおかしなことを言っただろうか? あの藤ねえでさえ風呂好きで入浴時間は長いほうだし、間違いは無いはずだと思う。 「マ、マスターも夕食前に入ってきたら? 私は少し工房でやることがあるから」 言い終えると、足早にキャスターは去っていった。 「?」 ……何をあんなに急いでるんだ、キャスターのやつ。 「………………」 まあいいか。 俺も飯を食う前にひとっ風呂浴びることにしよう。 「………………はぁ」 マスターから逃げるようにして工房に駆け込んだ。 息を大きく一つ吐いてから、深呼吸。 数回繰り返してようやく落ち着いた。 「……まったく」 何を私はこんなにも動揺しているのだろうか。 未熟な坊やであるマスターに服装を褒められて、女の子扱いされた。 それが何だと言うのか。 確かに服装を褒められるのは良い気分だ。 しかし英霊である私に年齢や性別など関係のないこと……関係のないことのはずだ。 『キャスターだって女の子なんだから』 そういえば契約したときや教会に赴いたときも彼はそう言っていた。 遠坂の小娘と協力してバーサーカーと戦ったときなどには、その身で私を庇ったこともあった。 「はぁ」 大きく息を吐く。 ……まったく、厄介なマスターと契約した。 契約してから彼がマスターらしい行動を取ったことなど数えるほどしかない。 「……本当に変な人」 ごちるように呟いた。 ……変な人。 心底そう思う。 いや、そう思わないとやっていられない。 (……貴方がおかしなことばかりするから、私までおかしくなってしまったではないの) だって、そうでなければ、今私が笑みを浮かべている理由を説明することが出来ないのだから。 END |