Fullmetal Shout

 

「はははっ――衛宮、君のサーヴァント、図体はでかいくせに全然弱いじゃん」 

 慎二が哂う。ライダーの宝具を喰らい、左半身を失ったバーサーカーを、俺を守る盾となって深手を負ったバーサーカーを嘲るように哂う。
 
 邪な愉悦に歪んだその顔を見て沸いてくるのは友情などという綺麗なものではなく、ただ、純粋な怒り。慎二への怒りが半分。バーサーカーの実力を発揮させられない未熟な己への怒りが半分。

 ぎりと、歯を噛み締める。
 握りこんだ指は白くなり、爪が喰いこんだ掌にははっきりと痕がついている。
 
 その慎二を守るように――宝具である白の天馬を消し、大地に降り立った――ライダーが、一分の隙も無く俺とバーサーカーの様子を窺っている。

 発せられる殺気、感じる雰囲気はその容姿に相成って恐ろしく不気味。
 額を、首筋を、嫌な汗が流れる。
 強い。
 このサーヴァントは強い。
 遠坂のセイバーには及ばないが、慎二のサーヴァント・ライダーもかなりの力を持った英霊なのだろう。白い閃光に心臓を含む左半身を吹き飛ばされたバーサーカーが失った命のストックは一つやニつではあるまい。

 ……どうする?
 ゴッドハンドの力により左半身の再生が始まっているバーサーカーを見遣りながら考える。
 強化と投影――俺が使えるたった二つの魔術。……しかしどちらも駄目だ。ライダーを打倒できる程の武器を投影することは出来ない。それにセイバーと同等、もしくはそれ以上の敏捷性を持つライダーに接近戦をしかけるのは拙すぎる。 
 
 こういう思考を廻らせるからと言ってバーサーカーのことはを信頼していないというわけではない。寧ろ協力関係、魔術の師弟関係にある遠坂を超えて誰よりも信頼している。
 けれど先ほどの戦い。バーサーカーの攻撃は一度もライダーに中る事が無かった。掠ることさえ無かった。
 ……それが、心底歯痒い。
 バーサーカーはヘラクレスを真名に持つ、ギリシャ神話最大の英雄にして最高クラスの神性持つ最強の英霊だ。ライダーがどこの英霊かは知らないが、そのポテンシャルはバーサーカーの方が確実に高いだろう――本来ならば。
 そう、バーサーカーは俺からの魔力供給が足りないため本来の力――狂化を使うことが出来ない。もし使えば、俺は反動で確実に死ぬだろうというのが遠坂の弁だ。
 事実その遠坂に、遠坂のサーヴァントであるセイバーにさえもそれをすることを止められている。
 バーサーカーはクラスの特性ゆえ会話することが出来ないが、恐らく遠坂と同じ心持ちだろう。
 誰よりも気高く、誰よりも誇り高いこの英霊は、マスターである俺が傷つくことを頑なに良しとしない。

「……な、なんなんだよソレ! 死んだんじゃないのかよ……!」

 再生していくバーサーカーを視界に捉えて慎二は驚愕の声を上げる。
 声は上げないがライダーも吃驚しているのが雰囲気から理解る。
 しかしそれも瞬く僅か。纏う殺気を戦闘時のそれに変えて、己が武器――ダガーのような形状をした、鉄鎖が付いた釘剣を構える。

「……慎二、下がっていてください」

 言ってライダーが一歩二歩前に出る。いつも大仰な態度をみせる慎二は、バーサーカーの再生を見て萎縮したのか、なにやらブツブツと小声で呟きながらも、言われた通りに後退して距離をとる。
 
 僅かな足音すら立てずに、ライダーがまた一歩間合いを詰める。
 その距離、ここから約25メートル。
 
 時を同じくしてバーサーカーの再生が終りを告げる。
 双眸に力強い光が宿り、鋭く、約20メートルの所まで接近しているライダーを睨み付ける。その手にはしっかりと岩塊のような巨大な斧剣が握られている。
 
 ……どうする。

 令呪は残り一つ……ここで使うわけにはいかない。金色のサーヴァント。最古の英霊王ギルガメッシュとの戦いに備えてこの令呪は何としても温存しなければならない。
 ……しかし、このまま戦ってはバーサーカーはライダーには勝てない。
 
 ……そうなれば、手段は一つしかない。
 
 バーサーカーの、その雄雄しい横顔を見遣る。
 そこには一欠けらの油断も驕りも隙も無い。毅然とした、幾回も打ち鍛えられた鋼の如き鋭い表情がある。
 一歩たりとも引きはしない。この身朽ちてもマスターだけは守り通すという誓いがある。

 その顔を見て心がずきり、と痛む。

 いまから俺が行うことは、きっと遠坂を、セイバーを、バーサーカーを、皆を激怒させるだろう。遠坂なんて憤激のあまり俺のことを殺すかもしれない。

 ……でも、それでも俺は。
 未熟な俺の所為でバーサーカーがこれ以上やられるのは。これ以上傷つくのは。
 ……これ以上死ぬのは。
 絶対に見たくない。絶対に耐えられない。絶対に我慢できない。
 確かに俺は死ぬかもしれない。でも、死なないかもしれない。やってみなくちゃ判らない。
 
 俺は、逃げる訳には行かない。
 俺は、この戦争に勝たなくてはいけない。
 だから、だから、だから――

「…………すまん、皆…………」


 誰にも聴こえないような小さな声で呟いて、俺は、撃鉄を撃ち下ろした――!


「――――――――――!?」

 バーサーカーがその異変に気が付いたのか、ライダーへと向けていた視線を俺へと向ける。その瞳に浮かぶのは明らかな戸惑い、困惑、怒り。そして、

 ――むき出しの、狂気。

「――――――――――!!!」

 バーサーカーが声にならない叫びを上げる。
 初めの異変は双眸。白い眼球に黒目が覗いていたその眼は、黒く塗りつぶされ、赤く染まった瞳が爛々と輝いている。
 次の異変は全身。筋肉という筋肉が蠢動し、漲り、迸る魔力に呼応して膨れ上がっていく――!
 
「――――っ!?」

 ライダーの警戒が強まる。
 それはそうだ。だって、今のバーサーカーの殺気は先ほどのバーサーカーが発していた殺気とは比べるのが馬鹿馬鹿しくなるほど強大で、圧倒的で。
 
 ――ここに立っているだけで、死んでしまいそうなんだから。


 狂化していくバーサーカーを中心にして、破壊の、狂暴な暴力の波紋が広がっていく。
 捲れあがったアスファルトも、瓦礫も、倒れた電柱も。悉くが風に舞う木の葉の如く。
 生気が、精気が、闘気が、希望が、絶望が。
 総てが一切合切に粉砕され、駆逐され、消滅していく。
 死が。唯、唯一にして絶対なる死が、確固たる質量を持って具現していく。
 空間が凍りつく。絶対零度の死に凍りつていく。
 触れただけで死ぬ。近づいただけで死ぬ。動いただけで死ぬ。
 それを視界に入れた時点で既に死んでいる。それに気づいた時点で死んでいる。蹂躙されていく蹂躙されていく蹂躙されていく蹂躙されていく。

 ――死に、蹂躙されていく。

 総てが、遍くこの場に存在する総てが。
 バーサーカーに、死の具現に、鋼鉄の死神に。絶対なる死に蹂躙されていく。
 今この瞬間――世界はバーサーカーという名の死に支配されようとしている。
 ……ゆっくりと、確実に。


「あ――――が…………!?」

 俺の方に   来た   瞬間  意識が   される
       何とか   感覚    思考    戻す戻す  取り戻す――――!

「――――――、は、あ…………」

 消し飛びそうになった意識を繋ぎ合わせる。 
 異変が起きたのは心臓。高速で脈を刻みだし、これでもかと四つの部屋から血液を全身へと打ち出していく。
 次に血管。全身の血液いう血液がコンロで熱せられた水のように加速度的に熱を増して行く。

「うが……あ――――あ…………かっ、あ…………!」

 そして第三の異変は全身。
 全身を巡る魔術回路。その全てが強制的に開かれて悲鳴をあげる。強制的に魔力を生成させられて絶叫をあげる、限界を超えた魔術行使に焼きつきそうになる――!

「が――――はぁっ……………あぁぁ…………っ!」

 生成された魔力は骨を切り裂き肉を引き裂き臓腑を掻き混ぜて体中で荒れ狂う。
 背中を魔力が駆け巡る。回路を焼きながら荒れ狂う。
 背骨がめきめきと軋む。筋肉が断裂する。背筋に焼き鏝を入れられたような痛みと熱さが背中を襲う――!

「うあぁ……あぁ……あっ…………がっ……!」

 腕を魔力が駆け巡る。回路を焼きながら荒れ狂う。腕の骨に罅が入る。筋肉が断裂する。関節が裡から爆砕して、使い物にならなくなる。血管が破裂して血が噴出す。内出血だらけで皮膚がどす黒く染まっていく――!

「あぁぁ……ぁ……が……はっ……」

 脚も同じだ。胴体も同じだ。回路が焼かれる。魔力が荒れ狂う。荒れ狂った魔力がレイラインを通してバーサーカーへと流れていく。

「あぁぁぁぁぁぁ…………っっっ!!!」

 止まらない止まらない止まらない。
 足りないと足りない足りないんなものでは全然足りない。
 全ての魔術回路が強制的に開かれる。俺の身体を好き勝手に暴れまわった魔力はすべてバーサーカーに送られた。それでも尚足りないと回路が開かれる。回路が魔力を生成する。限界を超えて生成する。し続ける。

 その度に身体が悲鳴を上げる。全ての血管が破裂しそう全ての筋肉が断裂しそう。
 臓腑が滅茶苦茶にかき回される。頭蓋野中から眼球を鎚で叩かれる。

「は――――あ、ぁ…………」

 頭が割れる。内臓を吐きそうだ。歩けない。立っていられない。息ができない。生きていられない。生きていられない。生きていられない。
 
「――――――は、あ…………―――――!!!!」

 ……思考が断線する断線する己の身体に何が起こっているのか判らない忘れていく忘れていく忘れていく。
 痛い痛い痛い。判らない判らない判らない。今痛んだのは身体の何処だ何処だ何処だ何処だ何処だ判らない判らない痛いとは何か痛いとは何か痛いという感覚を忘れていく――
――!

「ふぅう……うぅ……うぅぅぅあああぁぁぁぁぁ!!!」

 それでも耐える。痛み、痛みと読んでいた感覚をを絶叫に乗せて外へ放出する。
 精神を集中しろ。集中しろ。自分の身体を制御しろ。魔術回路を制御しろ――――!

「……が、ふっ――――っ……!」

 ノイズが走る。
 ……俺は、今、何を考えたのか。
 判らない。反動に耐え切れず、血反吐を吐く。

(ち――く、しょう…………!)

 視界が紅に染まる。己が流す血の涙に滲んで、地獄の業火よろしく深紅に染まる。
 
 ……なんで、俺は泣いているのか判らない。

(……あぁぁぁぁぁぁ……あああぁぁぁぁぁあああ――――!)

 頭が痛い。割れるように痛い。誰かが眼球ではなく頭蓋骨を直接鎚で叩いている。滅茶苦茶に暴れまわっている。
 
 ……そういう、感じがするだけだ。
 
 ぎり……と。
 その痛みに耐える為に歯を噛み締める。奥歯が砕け、圧力に耐えかねた歯茎から血が零れるほどに噛み締める。
 
……この味は、嫌いだ。

(……あ、あぁぁぁぁぁぁ……あ゙あ゙あ゙ぁぁぁぁぁあああ――――!)

 更に心臓が高鳴る。俺の身体を突き破って外界に飛び出そうとせん勢いで脈動する。
 体中の血液は蒸発する勢いで沸騰している。体中の毛細血管が破裂している。
 体中の筋肉がぶちぶちと悲鳴を上げて千切れている。
 体中の熱気が毛穴から溢れ出る。

 ……そんなもの、どうでもよく、なってくる。 

「…………あっ……があっ……が、は――――ぁっ!」

 魔術回路の暴走は止まらない。魔力を生成してはバーサーカーに送り出していく。
 
 ……バーサーカー、――――ああ、それなら、知っている。

 その名前なら、知っている。それの顔なら、知っている。
 知っている、知って、いる、知って、いる、知って、いる、知っている。
 俺を守って、くれる、彼を、知って、いる。俺を、守って、くれた、彼を、知って、いる。俺と一緒に、戦って、いる彼を知って、いる。
 ……彼が、俺を庇って、死、んだことを、知っている――!
 
 ガチリと、何かが頭の中で音をあげた。

「あ……あぁ――――あぁぁぁぁああああああ――――!!!」

 絶叫を上げる。
 心臓がドクンと大きくはねた。
 停止していたのだろうか。いや、気にしてもしょうがない。動けばそれでいい。

 ――――思考と感覚を取り戻せたのは奇跡か。
 
 取り戻した感覚。割れそうな程に痛むその頭蓋の中。取り戻した思考。脳が包含する全ての思考回路が。理性が。本能が、魔術としての本能が、人間としての本能が俺に訴えかける。止めろと、辞めろと叫んでいる。絶叫している。糾弾している。
 
 ……彼を、バーサーカーを狂化させることなど未熟たるお前の身には不相応も甚だしい行いだと。この世で最も愚考な愚行だと。

 ――――ああ、おれ、バーサーカーを狂化させているんだった。

 声が響く。
 声が響く。
 呪詛のように声が響く。

 今すぐ止めないと辞めないと死ぬぞ死ぬぞ死ぬぞ確実に死ぬぞ魔術回路が全て焼きついて死ぬぞ身体が裡から爆裂して死ぬぞ狂化したバーサーカーを制御できる筈がない出来る筈がない不可能だ不可能だ不可能だ死ぬぞ反動に耐え切れず死ぬぞ魔力の全てを回路の全てを身体を記憶を何もかも全てを失って跡形も無く完膚無きまでに死ぬぞ――!

「……ご、ふ――――っ……!」

 ……血反吐を吐く。どす黒い血塊はグロテスクだ。

 無理だ無理だ無理だ。

 ――そんなこと、ない。

 ……鼻血が出る。その血も黒い。止まる気配は無い。

 不可能だ不可能だ不可能だ。

 ――そんなこと、ない。

 ……視界が霞む。深紅が真紅に。

 死ぬぞ死ぬぞ死ぬぞ死ぬぞ死ぬぞ。

 ――そんなこと、ない。

 ……また血反吐を吐く。視界に映る世界全てが血の色で、どれ程の量を吐いたか判らない。

 ――死ぬぞ。本当に死ぬぞ。死ぬぞ死ぬぞ死ぬぞ死ぬぞ死ぬぞ死ぬぞ死ぬぞ死ぬぞ死ぬぞ死ぬぞ死ぬぞ死ぬぞ死ぬぞ死ぬぞ死ぬぞ死ぬぞ死ぬぞ死ぬぞ死ぬぞ死ぬぞ死ぬぞ死ぬぞ死ぬぞ死ぬぞ死ぬぞ死ぬぞ死ぬぞ死ぬぞ死ぬぞ死ぬぞ死ぬぞ死ぬぞ死ぬぞ死ぬぞ死ぬぞ死ぬぞ死ぬぞ死ぬぞ死ぬぞ!!!

 ――ああ、そんなことは、本当に起こりえない。

 血反吐がこみ上げる。また吐く――訳にはいかない。
 耐える。飲み込む。五月蝿いその声と一緒に押さえ込む。

 ……だって、バーサーカーを狂化させないと、勝てないんだから。
 ……それなら俺は、絶対に狂化を成功させるから。

 ――だから、そんなことは、本当に、絶対に起こりえない。

「はぁ――――ぁ、はぁ……はぁ、はぁ……!」 

 呼吸が荒れ狂う。無理やり押し込めた血反吐は腑の中で荒れ狂う。
 痛い。これが痛みだ。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。痛いのは辛い。辛い辛い辛い辛い辛い辛い辛い辛い辛い辛い辛い辛い辛い辛い辛い辛い辛い辛い辛い辛い。
 ――しかし、そんなものは気にする必要は無い。 

 ……思い出す思い出す思い出す思い出す思い出す思い出す思い出す。
 何故戦うのか思い出す何故勝たなければならないか思い出す何故ここまで勝てることを信じて疑わないのか思い出す

 
 ――そして、脳裏に一本の剣が浮かぶ。
 

 ……ああそうだ、この身は剣だ。
 この身は一振りの剣だ。
 この身は犠牲を恨み全てを救う正義の剣だ。
 剣で出来ているこの身が、無限の剣で出来ているこの身が朽ちることなど在り得ない。
 唯の一度も負けることなど在り得ない。
 まして、折れることなど、決して在り得ない。
 だから、身体のことを気にする必要などない。


 ……思い出した思い出した思い出した思い出した思い出した思い出した思い出した。
 何故戦うのか思い出す何故勝たなければならないか思い出す何故ここまで勝てることを信じて疑わないのか思い出した。


 この身は剣で出来ている。
 だから、不可能だと判っていても。
 未来が憎悪と絶望に染まっていると知っていても。
 そこに一欠けらの希望も救いも何も無くとも。
 
 俺は、衛宮士郎は、正義の味方は戦わなくちゃいけない。
 
 ――譲れないものがある。
 ――戻れない道がある。
 ――曲げられない信念がある。
 
 ――5年前のあの冬の日から変わらず、この胸に輝き続ける理想がある――!

「…………うぉぉぉ――――うおおおお…………うおおおおぉぉぉぉっっ!!!」

 思考が冴え渡る。誓いを胸に、折れ曲がりそうになる身体を引き起こす。体中の関節という関節、筋肉が悲鳴をあげるが無視。

「……がぁぁ……はぁっ……はぁっ……はあぁっ…………!!!」

 身体が熱い。心が熱い。燃えるように熱い。灼けるように熱い。
 魔術回路が熱い。心臓が熱い。骨が熱い。血管が熱い。筋肉が熱い。
 灼ける焼ける燃え尽きそう燃え尽きそう燃え尽きそうになるほど熱い熱い熱い!!!

「はっ……はっ……はぁ……は、はぁ…………」 

 それに反して頭は、酷く冷たく、冷めている。

 ――己を俯瞰する。未熟な俺を理解する。出来ることを理解する。世界を理解する。バーサーカーを理解する。
 冷たい、冷たい、冷たい興奮がこの身を奮わせる。

 引き起こした身体を支える。まっすぐに立つ。大地を踏みしめる足は、強く。
 己の身を血で打ち鍛え。誓いを胸に、戦場に立つ。

「―――――、あぁ。やっと――――」

 口元をぬぐったその瞬間。レイラインから感じるバーサーカーの鼓動が一際大きく脈打った。
 ――それが意味するのは、狂化の成功。

「―――――、ちょ、っと、おそい、――――――」

 俺は今、笑っているかもしれない。安堵に笑っているかもしれない。
 あとは、彼がやってくれる。彼が、けりを付けてくれる。
 誰よりも頼りがいがあって、誰よりも強い、彼が――――。

 ――そして、死の波紋が一つの指向性を帯び始める。

 狂気に、狂喜に。紅く爛々と輝くバーサーカーの双眸が向けられるその先。
 祭壇に捧げられた神の怒りを静めんとする生贄の如く、恐怖に顔を引き攣らせている慎二へと――歯をがちがちと鳴らし、目尻に際限なく涙を湛え、腰を地面に落とし。失禁し、憐れな程に畏怖している慎二へと。
 先ほどまでの悠然とした笑みを消し飛ばし、ただ、慎二とバーサーカーとを結ぶ線上にその身を置き、身構えることしか出来ないライダーへと――!

「な、ななな何だよそれ、ひ、ひひ卑怯だぞ……! そんなの聞いてない聞いてない……! ……くそくそくそくそ、糞っ……クソぉぉっ……! 嫌だ! 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……!死にたくない死にたくいない死にたくないぃぃぃっっっ――!!」
「―――――――――――」

 ヒステリックに悲鳴を慎二を顧ることすら無く、ライダーは口元をきつく結び、いつでも、如何なる方向に動けるように身構えている。

 ……だが、それに意味は無い。
 なぜなら、動けばその瞬間。慎二を抱えれば、こちらに飛び掛れば、一人で退避すれば。
 それを成す前にライダーは、慎二は、一方は魔力の塵と、一方は肉片と化すだろう。俺の命令や指示が無くとも今のバーサーカーはそれを成す。確定にして必死。

(……慎二、ライダー……お前ら、は、無関係、な人々、を、たくさん殺した――――!) 

 血のフィルター越しにバーサーカーの背中と、ライダーと慎二をしっかりと捉える。
 ――この視線、死んでも決して逸らさないと約束し。
 ――学園の結界で、街での吸血で、聖杯戦争に関係ない人々をたくさん殺したお前らと、友達や女などという言葉などとは関係なく戦うと決意し。

 ――――正義の味方は、お前たちを絶対に許さないと誓う。

 
 ……そして、ぐちゃぐちゃにいかれた肺に思い切り空気を吸い込み……カラカラに乾ききったその舌と口に鞭打って、


 ――――今、最凶の狂戦士を解き放つ、死神の唯名を口にする――――


「バァァァァァ、サァァァァァ、カァァァァアアアアッッッ――――――――!!!!!」
「■■■■■■■■――――――――!!!!!」


 俺の命令に呼応して、バーサーカーが鋼鉄の咆哮を轟かせる。
 コンマ一秒、刹那の時を置かずして、力加減という言葉などとは無縁とばかりの強さで鼓膜を叩く ドォンッ! という爆音。
 凍り付いていた空気を爆裂させ、足元のアスファルトにクレーターを穿ち、跳躍するバーサーカー。
 ごおおおん。という音。暴風は空気を振動させ、歪ませる。
 全てを吹き飛ばす暴風を伴って、絶対死の地獄と化した戦場を――目に捉えた全ての獲物を破壊し、粉砕し、屠り殺し、殺戮し尽くさんと――斧剣を掲げ、己の最強さ、最狂さを誇示するかのように跳躍する――――!!!
 
 それは鋼鉄。全てを圧倒する鋼鉄の暴風。空間が断裂するのではないかと危惧させる勢いと破壊力を持って舞う、必殺を運命られた必死の暴風。
 
 バーサーカーからライダーまでの距離は約30メートル。
 ……その程度の距離など、バーサーカーの前では無いに等しい。
 一秒の時もかからずにライダーに肉薄したバーサーカーは、掲げていた斧剣を跳躍の勢いをそのままに振り下ろす!

「くっ――――!」
 
 両脚を爆発させ左方向に跳躍。呻きとともに、小規模の爆撃じみたその一撃を間一髪で躱すライダー。
 否、絶対の威力と非常式の超速度で繰り出される鉛色の旋風は、彼女の長い紫の髪の毛の半分を斬り裂いた――!
 
「――――化け物が……っ!」

 コンマ一秒前に己が立っていた地面に穿たれたクレーターを見て、ライダーが苦々しく呟く。
 そして次に、暴風に舞う己の自慢の長髪を見て美貌を憤怒の形相に固める間も無く、背筋を超特急で駆け上がった悪寒に、背後から感じた圧倒的な死の気配に戦慄する!

「■■■■■■■■――――――――!!!!!」

 アスファルトを踵で削り、急制動をかけたバーサーカーがその脚を軸足に回転。
 遠心力と、狂化された鋼の筋肉から繰り出される一撃は、跳躍の勢いと体重を乗せた初撃の威力に勝る威力を持つ!

 非常識な速度で左下から右上に斬り上げるように一閃。直撃すれば全ての生物を死に至らしめるその一撃を、ライダーは前方に全力で身を投げ出すことで回避する――!

「――――っ……!」

 否、回避し切れない。全サーヴァント中最高の速度を持つ彼女の敏捷を持ってしても。
 ――劣悪なマスターによって能力が落ちたその身では――完全に躱すことが出来ない。
 
 闇夜に紅く煌く血飛沫。
 受身を取ることも適わずアスファルトの地面に激突するライダー。しかし彼女とてサーヴァント。一瞬のうちに立ち上がり、体制を立て直そうとして――――その身体がぐらり、と揺れた。

「つ、う――――っ…………!」

 その身が纏う黒のレザースーツは、己の血でどす黒い血の赤に染まっている。白く、艶やかな肌もまた同じく己の血の赤に。

 傷口から止め処なく滴る血液。
 足元に広がるのは小さな血海。
 遠目から見ても理解る夥しい出血量。
 
 ……つい先刻のバーサーカーと同じように、立ち上がったライダーの身体には、左腕が付いていなかった。

 斧剣は触れていない。ほんの僅か、剣先の先の先が掠っただけである。
 しかし、その一撃は肉を断ち骨を断ち肉を粉砕し骨を粉砕し、ライダーの左腕を完全に斬り裂いていた。

「は、あ、ぐっ…………!!!」

 激痛に苦悶を洩らすライダー。
 掠っただけでこの威力。直撃すれば――否、刀身が掠りでもすれば即死だろう。

 ――ああ、何を馬鹿な。こんな推論に意味など無い。
 なぜなら、彼女がバランスを崩した瞬間。この戦いの決着は真に確定したのだから――――。

「■■■■■■■■――――――――!!!!!」

 ごうん、と鋼鉄の暴風がライダーを靡き、間桐慎二が駆るサーヴァント・ライダーは、断末魔の叫びを上げる暇すら与えられず、消滅を持って此度の聖杯戦争に幕を下ろした。


「っ……あ、あ、は…………――――!」

 その光景を見届けて、張り詰めていた緊張が緩んだのか、意識が急速に消えていく。
 もうこの身体にはこれっぽっちの魔力も体力も残されていない。
 レイラインから、狂化が解かれていくのが理解る。
 
「……はぁ……疲、れ、た……な…………――――」

 慎二はどうなっただろう、既に殺されただろうか。ああ、それは酷い愚問だ。バーサーカーを前にして生きていられる人間など居やしない。
 これで倒した。完全に倒したのだ。

「…………は、バーサーカー――悪い、俺、…………」
 
 狂化したことを遠坂もセイバーも、バーサーカーも皆怒るだろうなあ。
 本当に殺されたらどうしようか。でも、生きていたんだし、勝ったんだし、ちょっとくらい大目に見てくれてもいいんじゃないかと思う。

「は、――――あ………………」

 ……それにしても、疲れた。
 少し休憩しよう。
 起きたらまた頑張らないといけない。
 だから起きたときに頑張るために今は休憩しよう。
 
 大丈夫、これくらいなら少し眠れば大丈夫。
 ほら、良い具合に意識の割合が減ってきたし、あったかい何かが俺を包んでくれてる。

「それじゃあ、おや、す……み…………――――」

 その言葉は誰に向かって囁いたのか。
 そんなこともわからないまま、俺の意識は沈んでいった。












































『衛宮君、遺言があれば聞いてあげるけど―――?』






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